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54.トイレなし生活と風呂なしの生活.7-25-97



その1.

 世界人口の約半数に相当する29億人の人々は、トイレを利用できないほど劣悪な衛生環境におかれているそうです。この内容は、国連児童基金(ユニセフ)の年次報告書として発表された一部です。

 トイレを利用できないということの基準として、大地に簡単な穴を掘った程度の「掘り込み式」をも含めたトイレすら生活環境に存在しない事を指摘しています。とすると、どのような生活環境が考えられますか。

 生理的欲望を感じたら、人目もはばからず一寸その辺で用をたす。その後が大変と思いますが、トイレットペーパーや水などは一切ないのでしょうから、さてどうするのでしよう。世界的には、水カメからヒシャクで水をすくい、その水で陰部を洗う習慣がいまでも多く使われているようです。水がなくても何かの助けをかりることは間違い無いと思いますが、私には何が助けてくれるのかすら想像も出来ません。

その2.

 その辺で一寸用をたして、生理的な欲望を満たさなければならない生活では、居住地区一帯のどこでもが用をたす場所を意味します。とすると用をたす人数にもよりますが、積もり積もれば山となる量の固形物と大地に染み込(シミコ)まない量の水様物とが主人のようになり、そこの空気にもニオイがついていることでしよう。だいたい不潔なニオイは、空気より重いですから、風かなければそこに漂っています。

 その地区に井戸が仮にあったとしても、飲料水は色々な物質で汚染され、ゴミ捨て場はないに等しいから病原菌を保持しているネズミ、トリ、ゴキブリやハエ等の生物が増加し、一寸腰(コシ)をおろしたくても公共の場所も大変に不潔でありましょう。栄養状態の悪い上に衛生環境が悪いと、下痢(ゲリ)等の伝染病が流行(ハヤリ)ます。日本国内どこに行ってもそのような生活環境は存在しませんから、なんと恵まれた国に生活できるのかを認識すべきと思います。

その3.

 世界中の人口の約半数は、電気の恩典(オンテン)も受けていないそうです。トイレのない生活環境とは、全く別な次元の話ですが、我々からすると、考えられないような実態がまだまだ存在するのです。感謝の気持ちを持つべきなのでしょう。

その4.

 日本国内どこに行ってもトイレのない生活環境や電気のない村落はさがしても見つからない程、現在の日本は衛生的で文化的にも成熟した社会かと思います。

 所が意外にも、西欧諸国から来た人達から聞いた話で、ビックリするようなことがあります。「日本の大都会、例えば、東京都の住民の約半数は、風呂の無い生活環境に住んでいる」と言うのです。ウソ! ホント?

 彼らの生活実態からすると、自分の家屋、例えアパートのような借家でも、風呂やシャワー、および水洗式トイレのないような劣悪な生活環境は考えられないし、日本に来るまではそのような生活が日本にあること自体を知らなかったと言うのです。

その5.

 あこがれの日本人から彼らが受けたカルチャーショックをもう少し紹介しましょう。日本には、温泉や公衆浴場がたくさんあり、昔から好んで利用されて来た歴史的背景があることを、後になって判ったらしい。

 しかし、シャワーや水洗トイレも無い劣悪なアパートに住んでいながら、車で公衆浴場に行く人がいる。車を買う経済力のある人が、どうして風呂もシャワートイレも無い非文化的で非衛生的な生活に耐えられるのかしら。

 欧米諸国では、「車を買う経済力が無い人でもシャワーも水洗トイレの設備されていないアパートを借りる人は皆無でしょう」と言うのです。

 さらに、若い日本人は買い物に外国にまで出かけ、一流ホテルのバスルームつきルームに高額な料金を支払って宿泊している。自分のアパートにはシャワーもないのになぜ旅行に出かけたときだけ、バスタブを希望するのでしょう。

 ヨーロッパのホテルでは、バスルームがない部屋の方が多く安いそうです。欧米人は、自宅にはかならずバスルームがありますが、旅先ではバスルームの無い料金の安い部屋を好んで利用する。日本人とは全く逆の現象になります。

その6.

 意外な事を知らされて少し考えてみました。ずいぶんと昔話になりますが、私がアメリカに留学した30年前でも、アパートには、暖房、食器を含む家具、水洗トイレを含む風呂場(バスルーム)はどこにでも付いていました。多少高級なアパートには、家具ナシの物件も確かにありました。しかし、水洗トイレ、シャワーと暖房の無いアパートはなかったと思います。

 車を買える人がなぜシャワーや水洗トイレの設備もない、或る人達からするとキワメテ劣悪な生活環境に、なんの抵抗もなく生活できるのでしよう。これにはいくつかの理由が考えられます。

 一つには、他人の目を気にし過ぎる日本人全体の意識があると思います。若者達の横並びを好む行動パターンがそのよい例でしょう。他人が持っている物は自分も持ちたい。自分の経済力や身分に適した生活でなく、同じ物を持っていることを他人に示し、されで自己満足することです。例えアパートにシャワーがなくても、それは他人には見えないから、無いことに対する劣等感は生じないのでしょう。旅先では一寸違った行動をとります。旅行期間はシャワーしか利用しないでバスタブには一度も水を入れなくても、自宅にはシャワーも無いのにバスつき部屋が生活環境としては常識と言いたいのでしょう。

 二つ目は、製造会社や販売会社の車を買わせる戦略が、たけていることがありましよう。経済力に無関係に車のある生活の快適さや高価な車に乗っていると豊かな生活を営んでいると錯覚させる政策が、とみに上手なのです。

 三つ目は、逆に国の住宅政策のひ弱さ、場合によっては快適で衛生的な生活環境の創造に対する無策があると思います。国の力より民間の知恵が勝っているのでしよう。

 いずれにしても、日本人の生活は、外観だけは一流国並みであっても、中身はシャワーも無い貧しい生活環境であることは間違いないようです。物質的な繁栄が心の豊かさの育成を阻害しているのでしよう。

 ビルの高さが高くなるに応じて、古き良き伝統や文化などは低くなるのだそうです。何時までも無くしたくない精神的な豊かさは、大切にしたいと思います。

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