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92.臭豆腐と甘納豆. 4-28-98.

その1.台湾からのお友達.

 今までに私どもの大学院生のなかには外国から留学して来た人が何人もいます。そのうちの一人で台湾からの留学生であった李さんが、台湾政府の役人などを引き連れて、日本語の通訳を兼ねて先般2年振りで日本に遣ってきました。

 日本各地での公式訪問の予定をほぼ終了した後、北海道から東京に戻り、東京港区白金にある北里研究所の「北里柴三郎記念室」を訪問団全員7名が訪ねてくれました。北里柴三郎先生や志賀潔先生を含む北里先生の高弟の関係資料を興味深く観ておられました。

 団長の張博士は、東京大学の大学院で薬学を学び、その後米国ウイスター研究所に留学した経験のある、流ちょうな英語と日本語をあやつる親日家でもありました。私も若いときにウイルスター研究所に3年間滞在したことがありますことから、張博士とは初対面とは思えない気楽な一時を過ごすことが出来ました。

その2.北里柴三郎先生と台湾とのつながり.

 「台湾電力は誰が創立したかご存じですか?」との私の問いに、張団長、李引率、その他の方も全員「知りません」との返事でした。以下はは私が台湾の先生方に説明した内容の概略です。

 台湾電力は、北里柴三郎先生の弟子の高木友枝(男性)という日本人が台湾の発展のために作りました。北里柴三郎記念室には、高木友枝という先生の写真を初め数点の資料が展示してあります。写真を指し示しながら、この高木先生は、北里先生がドイツから帰国後に香港で大流行したペストを研究して、世界で最初にペスト菌を発見した時の留守隊長を務め、ドイツに留学もした大細菌学者です。

 明治35年、元内務省衛生局長であった後藤新平台湾総督(後に満州鉄道総裁)から北里先生に台湾の疫病対策並びに衛生状態改善のために優秀な人材の派遣依頼が寄せられました。北里先生は行きたくても自分は行かれないので、第1弟子の高木友枝先生を台湾に派遣しました。最初は伝染病の調査や防疫などの公衆衛生的な仕事に専念していたものと思われますが、衛生状態の改善には経済的な発展が必要と考えられて、自ら社長になって台湾電力を創設しました。それが現在もある台湾電力の前進であります。直接台湾には関係ないですが、北里先生は赤痢菌の発見者である志賀潔先生を朝鮮にあつた京城帝国大学の総長として送り込んでいます。

 更に、北里先生は、志賀潔先生のご長男志賀直氏を台湾帝国大学(現在の台湾大学)の細菌学教授としても派遣しました。この志賀直教授は、台湾から里帰り途中米国の潜水艦の攻撃を受けた船舶に不幸にして乗り合わせていましたので、若くして亡くなりました。このように、北里柴三郎先生は、自分の大切な弟子を貴国に派遣して台湾の発展に大きな足跡を残しました。戦前の日本人の中にも隣国の人々に善い行いをした人々も居たのです。

その3.豆腐と納豆.

 李婦人は英語を流ちょうに話しますが、日本語はあまり得意では有りません。公式行事の無い週末に我が家に来てもらい、李夫妻と英語、日本語と筆談を交えて対話を楽しみました。台湾でも「豆腐と納豆」は日本と同じ字を書きます。但し、関東地方にあるような納豆は無いそうです。

 現在「豆腐」と呼ぶ物は本来「納豆」のことで、またその逆に「納豆」は「豆腐」と書くべき物であったと、日本人の私は思うと難問を話題にしました。納豆の漢字の綴りは、昔の中国人は間違ったのでないか? 「納豆」は豆が糸を引き臭い、これは誰が見ても豆が腐ったもので「豆腐」と書くべきてしょう。豆が変わって納ったものは「納豆」と書くべきでしょう。どうしてこのように間違いとなったのか、という主旨の質問をしました。

 今までに、そのような漢字のつづりが間違いとする語源を聞かれたことがない、と李夫妻は言ってました。その上で、中国大陸の南部には「乾燥納豆」は有りますが、日本のようなベタベタして糸を引く納豆は中国には無かった。その代わり「甘納豆」はありますが、それは豆が甘く納ったので「甘納豆」で正しいのではないか。更に、昔中国には「臭豆腐」と書く臭い豆腐がありました。昔の豆腐は腐って臭かったのでしょう。とすると「豆腐と納豆」は正しい漢字ですよ、と李夫妻の説明でした。

 台湾では、「コンニャク」がダイエット食品として大もてだそうです。本来コンニャクは日本にしか無い食材ですが、カロリーの高い中国食を食べる中国人には、心臓・血管系の病気が多くなって来たので、「コンニャクの肉団子や揚げ物」が大変人気があるそうです。更に、健康食品として日本式の臭い糸引き納豆も食べる人がでて来たそうです。

 健康が命より大切なのは世界共通のようです。

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