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113.微生物学実習の続き.10-7-98.

その1.学生用ロッカーの新しい利用法.

 私達が学生であった時代と異なり、最近の学生は皆大きなサックを背負って大学にきます。中に何が入っているのかは知りませんが、それが意外に重たいものです。さぞかし、教科書や辞書の類をたくさん入れると、あれだけの重さと大きさになるのでしょう。

 どこの学校も学生はお客さんよろしく学生個人用の鍵のかかるロッカーが貸し与えられます。学期末になると、掃除のオバサンがロッカーを掃除してくれます。明け渡しをする時、内部に私物を入れたままの学生が結構いて、掃除の後は書籍、カサ、上履き、時には教科書やノートまでの宝の山ができます。

 微生物学の専用実習室には土足のままでは入れませんので、上履きに履き替えてもとの靴はロッカーに入れてくるように説明はしています。ところが、ここ数年のことですけれど実習室の入り口付近に、長短様々の脱いだ靴がずらりと並ぶようになりました。どうしてロッカーに入れてこないのか理由が解かりませんでした。

 最近になって判ったことですが、昔流の表現では「下駄箱」であるロッカーは、現在は個人用図書分室、すなわち教科書の格納庫となっているのです。教科書、ノートや辞書の類は、授業終了後ロッカーに入れて身軽になって下校するのです。どうして、それが判明したのか、これが実にコッケイなのです。

 月曜日の朝に前の週のレポートを提出して貰います。ある学生が、週末にレポートを書けなかったので、提出は来週でも良いですかと聞きにきました。どうして書けなかったのか理由を聞きましたら、「実習書、参考書、ノート等が手元にないから」書けなかった。どうして無いのかと再度聞き直しましたら、「全てロッカーに入れたまま帰ってしまった」ためとの理由でした。

 一部の勉強する学生を除いて、多くの学生は毎日教科書の類は持ち歩かないで、ロッカーに格納してあるようです。下駄箱のロッカーは、図書の格納庫になってしまいました。ですから、ロッカーには、靴など入れられないのです。

 何時頃から、ロッカーを図書入れに使い出したのかを聞いてみました。答えを聞いて驚きました。なんと中学の時から教科書の類は、みんなロッカーに入れて帰ったのだそうです。ある学生の中学では鍵のかかるロッカーはなかったので、部室のロッカーを使っていたそうです。また、ある中学では、ロッカーの内部の検査があって、良く「シカラレタ」とも言っていました。高校では、全くなにも言われなかった、更に先生は何も知らないと言うのです。どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。

 ロッカーが教科書入れに化けたのは、なにも北里大学だけの現象ではないようです。東京にある古い有名な私立大学の教員に聞いてみましたら、同じ現象をやはり知っていました。もしかするとロッカーは下駄箱でなく教科書の格納庫化は、日本全国の中学・高校・大学に共通する現象であるのかも知れません。このままにしておいて良いのでしょうか。何か良い知恵はないのでしょうか。

 

その2.どうしたらよいのでしょうか

 実習用の実習書には、注意事項、操作法や結果の解釈法などが記載されています。その上、実習書とは別にぜひ理解して貰いたい事項や操作法は、プリントとして渡しています。「111. 破傷風菌はカワイィー」に書きましたが、実習項目は一時期の学生達に課していた実習の半分程度に少なくなり、時間だけはより長くかかるような傾向にあります。その上、理解度の低い学生が出る始末です。この原因の一つが、教科書、実習書やプリントなどを持ち帰らないで、格納庫に入れて帰るためで、全く復習も予習もして来ないで教室や実習室に入ってくる学生が増えたことによるらしいのです。

 バタフライ・ナイフという危険な刃物を持ち歩く中学生が問題になったとき、持ち物検査をして刃物の持ち込みを禁止しようという意見がでていたようです。日本人特有の発想と思います。教科書をロッカーに入れて帰るから学生が勉強しないのだ、ロッカーを格納庫にさせなければ良い、そのためにはロッカーの貸与を中止したら良いという意見が聞こえてくるような感じがします。果たして、ロッカーを無くしたら勉強するようになるのでしょうか。

 私は、講義の最初に学生達に起立して貰い、大きな声で「おはようございます」と挨拶を交わすことにしています。次ぎの二三回は、私が黙って教壇の前に立っていると、それと気がつく学生がいますが、なかなか回りの学生の様子を眺めていて立ちあがりません。一人だけ目立つのが嫌なようです。しかし、テレビ局の取材がある時には、大勢の学生が集まり、映して貰いたくてウズウズしています。

道路で毎日すれ違っていても挨拶を交わさない間は、個人的な交わりは始まりません。お互いが挨拶を交わして初めて人と人との出会いや個人的な接触が始まります。ですから、とにかくお互いが挨拶をしましょうと毎年言い続けています。卒業研究で教室に配属になった四年生にも、朝来たときと夕方帰るときは、「おはようございます、おさきにしつれいします」と挨拶することを守って貰っています。と同時に、当番で研究室の掃除も手伝って貰っています。

 大学でも挨拶をするのですか?と質問をした学生もいました。しかし、「挨拶をしましょう」と提案すると全員が挨拶を交わすようになります。研究室の掃除も手伝ってくれるように必ずなります。学校で先生が教えないと言いますが、先ずは家庭での教育が一番大切で、次には若者の周囲にいる者が率先して必要なことを教えることが肝心と思います。ロッカーは図書の保管庫とは違います、教科書や辞書は試験の直前になって購入するものではありません、挨拶ができて初めて大人の仲間です等を教えることが必要と思います。「先生それは古いよ!」とつぶやく学生もいるでしょう。

 彼らは本来教えられてなければならないことも教えられていないのです。その結果本来知らなければならないことも知らないのです。両親から何も教えられていないかわいそうな人達なのです。本当は被害者なのです。「109. 子供たちの自由研究」の最後の方に書きましたが、強制されることを彼らは極度に嫌います、だからと言って放任するのは無責任であると私は思います。厳しいことを言ったり、成績評価を少し辛くすると、学生の評価は厳しくなります。「私は微生物学の試験の成績が悪く、現在も未修得です。卒業研究として微生物学を選びたいが、それでも受け入れてくれますか」と希望を述べに来る学生もいます。そのような学生に限って、「私にも少しは研究ができそうな気がしてきました」と言いながら卒業して行きます。ロッカーを下駄箱でなく教科書の格納庫にしたのは誰でしょう。学校教育に対するご意見・希望をお寄せ下さい。皆さんといっしょに考えてみたいと思っています。お待ちしています。

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