128.インフルエンザの病原体 . 1-21-99.@ インフルエンザInfluenzaとは. 首都圏の年末年始は、暖冬で冬らしさの寒さを感じられない日々でした。このままの暖冬で推移すると、今年はインフルエンザも流行らないのではないかと思っていました。ところが突如としてインフルエンザの流行が始まり、私の周囲でも寝込んでしまう人が結構多くなりました。 毎年のように突如として流行が始まり、短期間の内に学級閉鎖が広まり、また急速に消え去ってしまうのがインフルエンザの特徴の一つです。さらに、意外なほどの高熱と筋肉痛などの全身症状が診られる臨床症状から、インフルエンザはその他のカゼとは区別される病気です。昔の人は、短期間に広い地域で多くの人が一斉に発症することから 「天体の影響Influentia coeli」に起因するカゼと考えました。これらのことに由来してインフルエンザInfluenzaと呼ばれるようになりました。
A インフルエンザ菌の発見. 北里柴三郎先生が6年間のドイツ留学を終えてベルリンを離れたのは1892年の3月ですが、その直前の1891年の冬にはヨーロッパでインフルエンザの大流行があったようです。 1890年代は、病気の原因体として探せば必ず新しい細菌が見つかる細菌学の黄金時代でした。インフルエンザの患者やその蔓延の広がり方を観察した医師達は、インフルエンザは細菌による伝染病であろうと推測していました。しかし、その病気を起こす細菌がなかなか見つかりませんでした。その主な理由は、健康な人の口の内にもたくさんの細菌が存在し、どれが病気を起こす細菌なのかを区別することが難しかったことが原因のようです。ドイツのコッホ研究所にいたプハァィフェルPfeifferは、患者の鼻咽頭に小さな桿状の細菌の存在に気がつきました。この細菌は、インフルエンザ患者の鼻咽頭に認められるが、健康なヒトには存在しないとの観察結果より、インフルエンザの原因菌であると結論しました。このことから微生物の教科書には、インフルエンザ菌の最初の発見者はプハァィフェルであると記載されています。 しかし、1892年に発行されたプハァィフェルの最初の論文を調べてみると、彼の論文が掲載されている同じ頁に北里の論文が掲載されていることに気がつきました。当時世界的に権威のある「ドイツ医学週報」の1892年発行の28頁に、伝染病研究所のリカルド・プハァィフェルによる「インフルエンザの病原体」と同じく伝染病研究所の北里柴三郎による「インフルエンザ菌とその培養法」という研究報告が掲載されています。 二人の論文の内容を一言で表現すると、「プハァィフェルは、インフルエンザの患者に小さな桿菌を見つけた。」、「北里は、インフルエンザの患者から小さな桿菌を単独で純粋に培養し分離した。」と書いてあります。現在も微生物学の教科書の記載はドイツ寄りで、 インフルエンザ菌の最初の発見者はプハィフェルと北里のドイツ学派でありしまた(日本細菌学雑誌、50(3):787-791,1995と「北里柴三郎の秘話;インフルエンザ菌:誰が最初の発見者か」を参照して下さい)。しかし、1918年に起きたスペインカゼの大流行は、健康な若者を中心に二千万人を超える死者をだすという大災害となり、その際インフルエンザ菌はインフルエンザの本当の病原体ではないのではないかとの強い疑問がだされました。
B ヒトのインフルエンザウイルイスの発見. 英国のスミスSmithらは、インフルエンザ患者の咽頭を拭ぐった液を色々な動物の鼻に接種する感染実験を行い、ついに1933年になってイタチ科のフェレットに感染させることに成功しました。そして、この病原体は、細菌を通さない濾過器を通過することを示してウイルスが原因であることを最初に証明しました。これがヒト・インフルエンザウイルスの最初の分離成功例で、1933年にヒトのインフルエンザウイルスの分離は、スミス、アンドリュースとレイドローの英国学派によって行われた。1940年になって、ポランティアにヒトから分離されたウイルスを鼻から接種し、ヒトにインフルエンザを発症させることに成功し、ヒトから分離されたウイルスがインフルエンザの原因ウイルスであることがヒトを用いた感染実験から証明されました。
C ブタのインフルエンザウイルイスの発見. 1918年にスペインカゼが米国で猛威を振るっていた頃、ブタにもインフルエンザと似た呼吸器の病気が流行していることを観察し、これをブタインフルウンザと名づけた科学者がいました。その後も毎年ヒトの流行期と重なるようにブタインフルエンザの流行が繰り返されていました。1928-1930年の流行時に、米国のショープShopeが感染ブタの気管分泌液から、インフルエンザ菌と同じ性質の細菌と細菌濾過器を通過するウイルスとを分離しました。細菌にはブタインフルエンザ菌と名づけましたが、この菌は感染しているブタからは必ず見つかるのですが、健康なブタにこの菌を接種してもインフルエンザを起こさせることはできず、ブタのインフルエンザの原因菌であるとの結論は得られませんでした。 しかし、細菌濾過器を通過するブタのインフルエンザの材料を健康なブタに鼻から接種すると軽いインフルエンザを起こさせることに成功しました。ウイルスを単独でブタに感染させても軽症な感染しか起こしませんが、ブタインフルエンザ菌と混合感染させると典型的なインフルエンザを発症しました。ブタのインフルエンザは、ウイルスと細菌との混合感染によって起こると結論されました。 ブタのインフルエンザウイルスの分離者は、米国学派のショープであった。ショープによる1931年のブタでの成功は、1933年のスミスらによるヒトのインフルエンザの原因ウイルス探しに大きな示唆を与えました。
D トリのインフルエンザウイルイスの発見. ニワトリや七面鳥等の家禽(カキン)に脳炎や全身からの出血を特徴とする死亡率100%の家禽ペストFowl plagueと呼ばれる流行性の病気があります。この家禽ペストは、18世紀末から19世紀初頭にかけて欧州全土で猛威を振るいました。この病気は、ニワトリ、七面鳥、クジャクは最も高い感受性を示しますが、アヒルやカモなどはあまりかかりません。ニワトリから家禽ペストの原因ウイルが1927年に分離され、家禽ペストウイルスFowl(鳥類の)plague(ペスト)virus(ウイルス), Myxovirus pestis-galliと命名されました。 その後1956年になってチェコでアヒルの間に急性の呼吸器感染症が大流行し、感染したアヒルの大半が死亡する事故がありました。この時のアヒルからA型インフルエンザウイルスが分離され、アヒルのインフルエンザInfluenza virus of duckと呼ばれるようになりました。 1955年になって、このニワトリから分離された家禽ペストウイルスがアヒルから分離されたトリのインフルエンザウイルスであることが証明され、驚くことに 家禽ペストウイルスが世界で最初に分離されたインフルエンザウイルスであったのです。
E インフルエンザはどこに潜む インフルエンザは突如として流行が始まり、短期間の内に広まり、急速に消滅する特徴があります。インフルエンザの流行と次の流行までの間ウイルスはどこに生存しているのでしょう。 ブタのインフルエンザウイルスを最初に分離したショープは、インフルエンザウイルスの生存様式について、興味ある実験を行っています。それによると、 ブタのインフルエンザウイルスは、ミミズearth wormを中間の宿主とするブタの肺虫lung worm内に数年間も生存する。ウイルスは、肺虫からその卵に移り外界に糞便と一緒に排泄される。その卵や肺虫をミミズが摂取し、その肺虫を持つミミズをブダが食うと、その幼虫がブタの腸へ行き、次に肺にたどり着き、その幼虫からウイルスが排出されて新しい感染を引き起こすというのであります。しかし、ヒトのインフルエンザについては、このような実験や考えはなくヒトのインフルエンザウイルスがどこに生存しているのかは、全く不明です。インフルエンザと呼ばれる古い病気は、原因のウイルスは見つけられていますが、まだ解らないことだらけです。高齢者や幼い子供達のように抵抗力の弱い人達がインフルエンザにかかると、肺炎を起こして死亡することも珍しくありません。抵抗力が弱いとは、なにを意味するのでしょう。また細菌、特にインフルエンザ菌との混合感染が起こると重い肺炎を起こします。 プハァィフェルと北里が見つけたインフルエンザ菌は、インフルエンザを直接引き起こすことは無くても、インフルエンザを重篤にします。どうして重篤になるのでしょう。今後の研究の成果が期待されます。インフルエンザ菌の遺伝子は、全て解読されています。遺伝子の全配列が解読された最初の生物であります。遺伝子が判っても病気を起こすカラクリはまだ判りません。 |