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139.マレーシアの新しい脳炎. 4-17-99.

  1. 新種の熱病ウイルスに命名。

 昨年末頃からマレーシアに原因不明の脳炎が発生している様子がニュースとして新聞や医学誌に載っているのを見て、この病気に私はウイルス屋として興味を持つと同じに注目してきました。 

4月13日の新聞に「ブタ熱病のウイルスに命名 マレーシア」という小さな記事が掲載されていました。記憶されている人も多いことと思います。この記事によると、マレーシア保健省は12日までに、同国内でブタから感染した住民多数を死亡させている新種の熱病のウイルスに「ニパウイルス」という名前を付けた。この名前の由来は、最初にこのウイルスが検出されたマレーシアのヌグリセンビラン州の農村名から取った。一方、ニパウイルスによる11日までの死亡者数について、マレーシアに6人の専門家を送っている米国疾病対策センター(CDC)は116名としているが、マレーシア保健省は96名と主張している、というものでした。

 そこで世界保健機構WHOのホームページを呼び出して、この新型の病気について調べてみました。「現在流行している病気」と言う項目があり、そこに「マレーシアにおける日本脳炎とヘンドラ類似ウイルス」と言う報告を見つけ出しました。その報告の概要を紹介します。

 

A マレーシアでの新型脳炎ウイルス。

 マレーシアで昨年10月から発生している脳炎の流行は3月19日の時点では、日本脳炎と診断されたかその疑いの患者は133名に上り、そのうち54名が既に死亡した。死亡した症例では、5−7日間の高熱と頭痛、その後精神状態の荒廃、痙攣(ケイレン)と昏睡状態に陥り患者は死亡した。これらの患者の大部分がヌグリセンビラン州Negeri Sembilanの養豚業でブタとの直接的な接触が証明されている。

最初に流行が起こった時からウイルス学的な試験研究が実施され、特に1998年12月には患者19名の検査材料がWHOのセンターになっている長崎大学熱帯病研究所(五十嵐章教授)マラヤ大学臨床微生物学研究所(S.K.Lam教授)で試験され、4名の患者から日本脳炎ウイルスが検出され、日本脳炎であると診断された。

患者の脊髄液から日本脳炎ウイルス以外に新しいウイルスがマラヤ大学で分離され、その後「風と共に去りぬ」でも有名なアトランタにある米国疾病対策センター(CDC)でも新しいウイルスであることが確認された。このウイルスは、パラミキソウイルス科に属し、以前オーストラリア・クインズランド州ブリスベンで分離されたヘンドラウイルスHendra virusに似ている。ヘンドラウイルスは、1994年に多くの競走馬が感染し、馬から分離された新しいウイルスである。これらの競走馬と接触のあった3人が感染し、そのうち一人は激烈な呼吸器症で他の一人は脳炎で死亡した。

この新型ウイルスについては殆ど何も解っていないし、このウイルスが脳炎を起こす病原性があるのかも解っていない。感染した馬の尿を含む体液と直接的に接触した人がこのウイルスに感染したように考えられている。マレーシア保健省は、過度な警告を発するような宣伝はしていないが、注意を呼びかけている。そりれによると、パラミキソウイルスは比較的大きなウイルスなので、なんのウイルスにも当てはまる通常の予防措置をとるよう、また日本脳炎ウイルスやヘンドラウイルスの感染が疑われる患者を扱う人達は顔にはマスク、目にはゴーグルと身体にはガウンの使用を薦めている。

マレーシアに滞在する日本人や旅行者は、現地でブタ肉を食べても感染の可能性はないようです。

 

B 現代のウイルスの狩人達。

これらの報告を総合すると、4月6日までに養豚業者を中心に患者数は234名に達し、少なくとも90名が死亡したことが判明した。これらの記載の中から、マレーシアのマラヤ大学マラヤ大学臨床微生物学研究所ではLamラム教授が長崎大学の熱帯病研究所ては五十嵐教授が脳炎をお越し人をも殺す未知なる恐怖のウイルスに勇猛果敢に立ち向かっている姿を思い浮かべました。ラム教授はWHO世界保健機構で感染症部に勤務していたことのある国際的なウイルス学者であり、五十嵐教授は日本脳炎ウイルスでは世界的な第一人者であります。お二人とも私とほぼ同年代で私は良く知っている学者であります。

百年ほど前のことですが、香港で死の病と恐れられていた黒死病・ペストが流行し、多くの中国人がペストで死亡し、日本にも入ってくるかも知れないと当時の内務省が恐れたとき、日本政府は世界的な細菌学者である北里柴三郎博士と東京大学の青山胤通教授等を香港に派遣しペストの原因調査に当たらした。不幸にも青山教授は現地でペストに感染し死線をさまよった。その時、長与専斎は「北里をペストで死なしてはならない」と北里の生命を慮って、北里に電報を打って「すぐに帰国せよ」と研究の中断を迫った。

北里柴三郎博士がペストの原因菌を探していた明治時代は、またゴムも無ければ手術用の手袋もなかった。それで当時としては、素手で恐怖の微生物に闘いを挑んだのであります。しかし、全くの無防備でガムシャラに立ち向かったのではありません。その当時としては最新鋭のコロジオンを手に塗り、そのコロジオンの膜を北里柴三郎博士は手袋代わりに使用し、最大の予防措置を講じていたのでした。

ラム教授と五十嵐教授は、現代のウイルスの狩人ですが、コロジオン膜の代わりにラテックス製の手袋、目にはゴーグル、鼻や口には特性のマスク、頭には帽子、身体全体にはガウンを重ねて装用し、露出している部分を完全に無くした状態で、未知なる病原体と付き合っているものと想像されます。これらのウイルスの狩人達は、場合によっては自らの死も考えに入れて行動しているのでしょうが、そのような危険な作業を展開していることを家族には話してないと思われます。何れかの時期にお二人に「死を覚悟していたか、家族にはどこまで話していたか」等をうかがってみたいと思っています。

 

科学は人のためになって始めて意味をなすものです。人の為になる以前には自分の生命をも掛けた壮絶な闘いを展開する必要が時としてあります。死をも恐れず病原体を求めた狩人達には、その姿を現した病原体にその狩人の名前を付けて、狩人の名前を永遠に残す習慣が以前にはありました。例えば、「志賀赤痢菌」が良い例です。しかし、現在は個人の栄誉は考えないことになっています。ラム・五十嵐教授の活躍を期待してこの文を終わりにします。

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