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161.放射能漏れ事故で思うこと.10-1-99.

@.東海村での放射能事故.

1999年9月も今日で終わり明日からは10月となり、今年もあと3ヶ月でお終いだと学生と話をして帰宅するときに「東海村での放射能漏れ」を車のラジオからのニュースで聞きました。車のなかでこのニュースを聞いたときに私は、「これは大変な事故が起こったものだ」と思いました。旧動燃の事故のことと、一部ダブらせて聞いていました。

 原子炉など核燃料関係施設は、二重三重に安全装置が付いているから万が一以下の確率で安全だとの説明を耳にします。原子炉や放射性物質については理解する知識を私は持っていませんので、今回の核燃料関係施設でのウランの精製などの内容の詳細は、なんのことか全く判りません。通常は2.4キロ程度のウランを入れて処理することになっているのに、その日に限って技術者は16キロのウランを入れてしまったので核反応が起こる臨界点に達し、中性子が飛び出したのだそうです。不思議で理解しにくい話と思われませんか。

 大変と思ったのは、化学反応、臨界点や放射線量などとは全くべつなことで、そこに携わっていた人間(技術者?)のことでした。ウガッタ考えで間違っているのでしょうが、ジェー・シー・オーという会社の人達は、以前から同じような操作を毎日のように行っていたのではないかとの疑いです。最初のうちは5キロ、6キロとかを一度に入れてみたら、何の変化もなく通常と同じようであった。それからは段々と量を増やし10数キロも入れてみた、それでも安全であった。もしかすると、昨日までは15キロ程度入れてもなんの問題も無く仕事は終了していたのかも知れません。

 「一回に2.4キロ以上のウランの投入は危険だから入れてはならない」との規則は、全員が承知していたこととは間違い無いと思います。しかし、それと同時に、安全性は高い基準に設定されていることも充分に承知していたのだと素人の私は疑うのです。2.4キロのウラン精製に何時間かかるのかは知りませんが、2.4キロの単位で16キロを処理するのには、もしかすると深夜や徹夜の仕事になるのかも知れません。16キロを一度に処理すると、定時に帰れると思い、さらにそれまでの経験から自信をもって問題は起こらないと考えたのではないかとの危惧の念です。

A.職業人としてプロとは.

 ちょうど今週の火曜日(9月28日)から2年生の微生物学実習がはじまりました。将来職業的に微生物を扱うようになるとは限りませんが、教育として受けなければならない必修の実習です。生まれて始めて本格的に生きた微生物を取り扱う新人ですから、彼等に「恐怖心や緊張感」があって当然なのです。

 微生物学実習を始める前に、最初に「一般的な注意点」を説明します。微生物学実習は、殖える微細な生き物を取り扱うことが他教科の実習と違う第一点であること、目で見えない怖い物に「微生物と放射性物質」があること、これらは取り扱いを間違えると「恐ろしい物」へ変身すること、他人に危害を与えないための基本的操作法の大切さなどを最初に説明します。

 結核菌やエイズを起こすウイルスHIVを渡され、ピペットではかり取りなさいと言われたら、君達は少し躊躇するでしょう。しかし、いかに怖い病気を起こす微生物であっても少しも躊躇することなく我々は取り扱えます。それは、どのような操作が危険でどのように扱えば安全かを知っている微生物取り扱いのプロだからです。自分の生命を微生物の感染から守る知識と技術を心得ていれば、自分のみならず他人にも危害を及ぼすことはないのです。「自分が感染してしまうような人は、微生物を取り扱う者としては恥ずかしく、プロとは言わない」と説明したばかりでした。

B.核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」の技術者はアマチュアか.

 ペスト菌やエボラウイルスなどを取り扱うと我々も感染し、最悪の場合は命を落とすかも知れません。それは、微生物を扱うことが職業であるから、ある意味では避けられないこととと覚悟をしています。しかし、災いを他人にまで及ぼすことはプロには絶対に許されないのです。

 ジェー・シー・オーがこのたび引き起こした事故で技術者が被爆したことは、ある意味では自業自得で仕方のないことです。被爆した作業員は、核物質を取り扱う本当のプロとしての知識や技術と責任感などをどのていど持っていたのでしょうか。プロはプロでも手抜きの術を心得ていたプロで、人目につかないところではなにをしていたのか信用できない輩であったのかも知れません。また毎日行っていることから来る「ナレの現象」に油断したのかも知れません。逆に充分には教育・訓練されていない臨時職員であったのかも知れません。

 ジェー・シー・オーの技術者は、私が考えるプロではなく、危険性も知らない無鉄砲なアマチュアの類であったことを期待したいのです。そうでなければ、手抜きのプロで存在してはならない人間となってしまいます。いずれにしても、このような技術者に危険な仕事を任せていた経営者・監督者は、倫理的にも刑事的にも責任を問われ、場合によっては手抜きのプロと同罪でもありましょう。旧動燃やジェー・シー・オーのような危険な核燃料を扱う組織に、どうしてこのような悪人または非常識な人達が多いのでしょうか。個人の問題と片づけて良いのでしょうか。

C.「ジェー・シー・オー」の最悪の遺物.

 ジェー・シー・オーの人間が招いた悲惨な事故は、国際的な危険度分類でレベル4なのだそうです。レベルが4でなくても、最低限度として守るべきルールを無視した技術者による愚かな行為は、多くの一般人に核施設の「紙に書かれた安全性」に対する拭いがたき不信感および核燃料関係者は全て信用できないにとする疑いの気持ちを植え付ける結果を生んでしまったと私は思います。

 研究室で使用する微量なアイソトープでも、その取り扱い規則および安全基準はかなり厳しいものです。米国の研究機関では、日本では誰一人としてやらない乱雑に思えるような取り扱いをしています。アイソトープを使用する者には「あまり厳しい規則はない方が楽に仕事ができる」ことは確かです。守れないほどに厳しい規則であれば、ない方が良いでしょう。ジェー・シー・オーの人間には、守れないほどに規則が厳しいのでバケツで規則を無視したのでしょうか。

 ただでさえ「核に対して過敏症」である日本人にとって、原子力発電所などの必要性は理解したとしても、今後ますます「総論賛成・各論反対」となることは火を見るよりも明らかとなったような気がします。

「ジェー・シー・オー」の最悪の遺物は、核燃料関連の施設および人集団に対する強い不信感を植え付け、政府の核政策にも回復不能な位の信用失墜を生んだことでありましょう。責任は極めて重いと思います。

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