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171 微生物学で最も重要な大発見5011-5-99.

  1. 米国細菌学会の誕生.

 1999年は、米国微生物学会の創立100周年にあたります。18991227日から29日までの3日間、米国の細菌学者がコネチカット州エール市で最初の学会を開催した。細菌学の促進と国民への奉仕活動を目的に設立された最初の独立した学術団体で、のちに米国細菌学会から米国微生物学会へと名称変更がなされました。この時期は、北里柴三郎や志賀潔(赤痢菌の発見者)が細菌学者としてさっそうと世界の桧舞台に登場した時期であります。

 破傷風菌に関する大発見を手土産に北里柴三郎がドイツ・ベルリンから凱旋帰国したのは1892年(明治25年)で、国内最初の伝染病研究所が創設されたのも同じ1892年のことでした。北里がドイツより帰国する際、米国東部の名門大学であるペンシルベニア大学は北里に対して細菌学の教授として就任を要請した。またベルリン時代の同僚でガス壊疽菌の発見者であるウエルシをボルチモア市に訪ねています。その時ウエルシはジョンス・ホプキンス大学の医学部創設に奔走していました。

 米国微生物学会は、創立100年を記念して、いろいろな特別企画を展開しています。最近発行された米国微生物学会ニュースに「過去125年間で微生物学上最も意義のある大発見50」という印刷物が添付されています。これは、過去125年間になされた発見・発明を米国微生物学会が総力を挙げて調べ、そのなかから特に秀でた発明・発見を一まとめにしたものであります。「北里柴三郎博士の秘話」のなかに掲載してある「DNA発見小史」にも偉大な科学者の業績が列挙されていますが、この度の「米国微生物学会による纏め」は、現代社会に貢献している微生物についての発見史であります。

 地球上に微生物が誕生して35億年になるそうです。微生物学は、生物学の分野では一番ふるい歴史と伝統をもつ科学ですが、それでも元をたどると125年間の歴史でしかありません。21世紀の科学または微生物学を支える将来の科学者・研究者となる若者のために、米国微生物学会による記載「過去125年間で微生物学上最も意義のある大発見50」に若干私が手を加えたものを紹介したいと思います。これによって、刺激され奮発して、微生物学の旗士が誕生することを期待しています。

A.過去125年間で微生物学の分野で最も意義のある大発見50

 1). 1875年、フェルディナントJ.コーンFerdinand J. Cohnは、科学として細菌学を創立することに貢献した。1875年から数えて今年はちょうど125年になる。コーンは、リンネの植物分類の二命名法にならってBacillus(桿菌)という属名を初めて使用して、細菌の初期の分類法を発表した。次に現われるローベルト・コッホが後に炭疽についての論文を発表したジャーナルBeitrage zus Biologie der Pflanten植物生物学誌を創設した。

 2). 1876年、ローベルト・コッホRobert Kochは、炭疽の論文を発表した。伝染病の原因となる細菌を最初に証明した。炭疽の研究論文は、フェルディナント・コーンの指導のもとで発表し、その原因細菌にBacillus anthraxと命名した。

 3). 1878年、ジョーゼフ・リスターJoseph Listerは、酸敗したミルクの原因を示しながら、ミルクの乳酸発酵の研究を発表した。乳酸を作る菌にBacterium lactis乳酸桿菌という名前をつけ、細菌の純粋培養を分離する方法を最初に使って実施した。

 4). 1880年、ルイ・パストゥールLouis Pasteurは、病原性のある病原体(ニワトリコレラの原因菌)を弱毒する方法を開発した。この弱毒菌株は、免疫を与えるが病気の原因とはならなかった。パストゥールは病原性を弱めたを意味する「弱毒した」という言葉を使用した。この弱毒の概念は、パストゥール自身が認めているように、天然痘の予防接種でジェンナーの成功から導き出した。

 5). 1881年、ローベルト・コッホRobert Kochは、細菌の実験で液体培地を使う不利と苦闘していた。彼は別な解決策を捜し、最初固形培地としてジャガイモの無菌的なスライスを使った。彼はまたジャガイモの代わりにゼラチンを培地に加えて使用した。その混合物を平らなガラス製のプレートの上へ注ぎゲル化させた。平板培養法が、プレート表面に発育した細菌の集落から特定の細菌を純培養し分離するために使われた。

 6). 1882年、イリア・イリッチ(エリー)・メチニコフIlya Ilich (Elie) Metchnikoffは、ある種の細胞が身体の障害を受けた病巣まで移動し、そこで細菌や生体に侵入した異分子を消化吸収することを示した。このプロセスを食菌作用と名づけたが、これは現在の細胞性免疫の理論を提案したのである。1908年にノーベル医学・生理学賞がエールリッヒとメチニコフに与えられた。

 7). 1884年、ローベルト・コッホRobert Kochは、3つの手順に従って結核の病原体の論文を発表した。1)結核に罹っている人間と動物から結核菌(染色によって証明)の存在を証明し、2)血清を加えた培地で結核菌の純粋な培養を分離し、そして、3)モルモットへ結核菌を接種して結核を起こすことを証明した。これをコッホの三原則とよぶ。コッホは、1905年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 8). 1885年、ルイ・パストゥールLouis Pasteurは、狂犬病ウイルスに感染したウサギの脊髄を狂犬病のオオカミに噛まれた子供ジョーゼフ・マイスターに最初の治療を開始した。パストゥールは、毒を意味する語「ウイルス」を使ったが、狂犬病の原因体の性質について全くわかっていなかった。

 9). 1889年、マルチィヌス・ベイジャーリンクMartinus Beijerinckは、豆科植物の根にできる根瘤から窒素分のない培地を用いて初めて根瘤細菌Rhizobiumの純粋な培養を得た。

 10). 1890年、北里柴三郎Sibasaburo Kitasatoエミール・ベーリングEmil von Behringは、ジフテリア抗毒素血清の発見を発表した。彼らは、免疫血清を注射する血清療法を確立した。ジフテリア菌の培養液を濾過して細菌を除いた毒をふくむ濾過液(致死量以下)を動物に注射して、細菌の毒素を無毒にすることができる免疫血清を作った。これで抗毒素血清を注射する血清療法を確かにした。ベーリングは、1901年に世界で最初のノーベル医学生理学賞の受賞者となった。《ここの記載は米国人の考えによるもので、「ジフテリアを破傷風」と書き換えた方が科学的には正確である。註釈:田口文章》。

 11). 1890年、セルゲイ・ウィノグラドスキーSergei Winogradskyは、土壌から硝化細菌を分離することに成功した。1890-91年の間にウィノグラドスキーは、硝化過程を担う微生物の重要な研究を行った。

 12). 1891年、パウロ・エールリッヒPaul Ehrlichは、免疫の本体は抗体であると提案した。彼は、植物の毒素であるリシンとアブリンに対してその抗体を示した。1908年にメチニコフとともにエールリッヒはノーベル医学生理学賞を与えられた。

 13). 1892年、ドゥミトリ・イワノスキーDmitri Ivanowskiは、タバコ葉の病原体であるタバコモザイク病ウイルスが細菌濾過器を濾過することの証拠を発表した。しかし、タバコモザイク病の病原体が細菌とは異なる生命体であるとの確証はなかった。

 14). 1893年、セオバルド・スミスTheobald SmithキルボーンF.L.Kilbouneは、シラミがbabesiaバベシア属microtiを媒介することを証明した。それは動物と人間においてbabesiosisを引き起こす。これは、人畜共通伝染病と動物と節足動物媒介伝染病の研究の基礎を築いた。

 15). 1899年、マルチィヌス・ベイジャーリンクMartinus Beijernckは、タバコモザイク病ウイルスに「溶ける生きている微生物」という概念を認めた。細菌を含まない濾過液は、希釈しても、植物に病気を起こす能力を保持する。彼は、これを「感染病原液」と呼んだ。

 16). 1899年、アメリカの細菌学者達が組織した米国細菌学会は、18991227日から29日の三日間コネチカット州エール市で初めて開かれた。細菌学会は、細菌学の発展を促進するための最初の独立した組織で、のちに米国細菌学会から米国微生物学会と名称を変更した。

 17). 1900年、ウォルター・リードWalter Reedの研究に基づいて、黄熱が蚊によって伝達される濾過性病毒(ウイルス)に起因することが証明された。これは、人間の病気を引き起こすウイルスに関する最初のレポートである。ウォルター・リードが委員長として指揮した黄熱研究委員会の所見に基づいて、黄熱媒介蚊の根絶作戦が開始された。

 18). 1911年、フランシス・ペイトン・ラウスFrancis Peyton Rousは、腫瘍をすりつぶし細胞を除いた濾液を注射してニワトリに腫瘍を起こすウイルスを発見した。1909年のある日農夫がラウスのところに胸に腫瘍のあるニワトリを持ってきた。ラウスは、腫瘍細胞をニワトリに接種し、肉腫の誘発を検証した。これは腫瘍が伝染性であることの最初の実験的な証明である。ラウスは、1966年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 19). 1912年、パウロ・エールリッヒPaul Ehrlichは、梅毒に有効な治療剤サルバルサン、細菌性疾患に対する特異的な化学療法剤を発見した。エールリッヒは、ローベルト・コッホ研究室の研究者で、ヒ素化合物を調べ606番目の化合物が梅毒に有効であった。《エールリッヒがヒ素化合物の構造を考え、秦佐八郎が忍耐強く試験を繰り返し、試験した化合物の606番目がサルバルサンとして功を奏した。註釈:田口文章》

 20). 1915/1917年、フレデリック・ツボルトFrederick Twortによって、バクテリオファージが発見された。ツボルトの発見は、偶然の出来事であった。彼は数年間ウイルスの培養をおこなっていた時、細菌の集落が透明になることに気がついた。それは細菌が溶解したのであった。フェリックス・デレルFelixd'Herrelleは、ツボルトとは独立に細菌のウイルスを発見し、「バクテリオファージ」という名前をつけた。

 21). 1926年、アルバート・ジャン・キウイバーAlbert Jan Kiuyverヘンドリック・ジーン・ルイス・ドンカーHendrick Jean Louis Donkerは、水素原子の移転に基づいて細胞内での代謝のモデルを提案した。このモデルは、好気性と嫌気性の微生物にあてはめた。

 22). 1928年、フレデリック・グリフィスFrederick Griffithは、細菌の形質転換を発見し、分子遺伝学の基礎を確立した。肺炎レンサ球菌の生きている毒性がなくラフな集落を形成する一型と加熱して殺した毒性がありスムーズな集落を形成する二型を混合してマウスに注射すると、マウスは肺炎を起こして死亡した。その死んだマウウスからスムーズで毒性のある二型の肺炎レンサ球菌が分離された。1944年になって、アベリー, マックレオードとマッカァーシーは、グリフィスの細菌の形質転換を取り上げ、それはDNAによることを証明した。

 23).1929年、アレキサンダー・フレミングAlexander Flemingは、ペニシリンとそのグラム陽性菌に対する効果に関する最初の論文を発表した。ペニシリンがフローリーとチェンの協力で1940年代に大量に生産されるようになり、その有効性は抗生物質時代を導き出した。1945年にフレーミングは、フローリーとチェンとともにノーベル医学生理学賞を与えられた。  24).1931年、ナン・ニールC.B.Nan Nielは、光合成細菌は酸素を生産することなく電子提供者として還元物質を使用することを示した。硫黄細菌は二酸化炭素の固定のために電子の源として水素と硫黄を使い、植物は酸素を放出するために水を使うと断定した。

 25).1935年、ゲルハルトJ. ドマークGerhard J. Domagkは、化学的に合成された代謝拮抗物質であるプロントジルをマウスに感染させた連鎖球菌を殺すために使った。プロントジルは、生体内で活性のあるスルファニルアミドに加水分解されることを示した。プロントジルの治療を受けた最初の患者の1人はドマークの娘で、他の治療では効果がなかった連鎖球菌の感染症であった。ドマークは、1939年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 26).1935年、ウェンデル・スタンレーWendell Stanleyは、タバコモザイク病ウイルスを結晶化させて、それが伝染性であることを示した。しかし、スタンレーは、伝染性物質がタンパク質でなく核酸であることに気がつかなかった。ノースロップとサムナーと共に、スタナレーは1946年にノーベル化学賞を与えられた。

 27).1941年、ジョージ・ビードルGeorge Beadleエドワード・テータムEdward Tatumは、特定の遺伝子は対応する特定の酵素の作用により発言されることを真菌のNeurospora crassaを用いた実験結果を発表した。ナイアシンの生成の研究報告は、「1つの遺伝子は1つの酵素に基づく」概念を生み出した。テータムは、1958年にレーダーバーグとビードルとともにノーベル医学生理学賞を与えられた。

 28).1943年、マックス・デルブリュックMax Delbruckサルバドール・ルリアSalvador Luriaは、細菌の変異がダーウインの原則に従うことを統計学的に証明した。ウイルスの存在がなくてもウイルスに抵抗性を示す突然変異体はランダムに出現する。デルブリュック、ハーシーとルリアは1969年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 29).1944年、オズワルド・エイブリーOswald Averyコリン・マクラウドColin MacLeodマックリ・マッカーテー Maclyn McCartyは、肺炎レンサ球菌の非病原性から病原性への形質変換は、殺したスムーズ細菌のDNAが生きているラフ細菌へ挿入された結果であることを示した。形質転換を誘導する本体は、RNA分解酵素やタンパク分解酵素では影響を受けないが、DNAを加水分解する酵素で破壊されることを示した。

 30).1944年、アルバート・シャーツAlbert Schatz,ブビーE. Bubieセルマン・ワックスマンSelman Waksmanは、結核の治療に有効なストレプトマイシンを発見した。ペニシリンがグラム陽性菌に有効なように、ストレプトマイシンはグラム陰性菌に抗菌効果を発揮する。ワックスモンは、1952年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 31).1946年、ヨシュア・レーダーバーグJoshua Lederbergエドワード・テータムEdward L. Tatumは、細菌の接合に関する最初の論文を発表した。親の細菌のどちらもが殖えられない培地に子孫にあたる娘細菌は増殖する実験から、この種の遺伝子交換は細菌の直接の接触を必要とすることを示した。

 32).1949年、微生物学者ジョン・フランクリン・エンダースJohn Franklin Enders、ウィルス学者トーマス・H・ウェラーThomas H. Wellerと医者フレデリック・チャップマン・ロビンスFrederick Chapman Robbinsは、試験管内で培養したヒトの細胞でポリオウイルスを増殖させる培養技術を開発した。この細胞培養法は、ウィルス学者にウイルスの分離とウイルスの研究の重要な道具を提供した。 エンダース、ウェラーとロビンスは、1954年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 33).1952年、ヨシュア・レーダーバーグJoshua Lederbergノートン・ジンダーNorton Zinderは、バクテリオファージによって細菌の遺伝子が別な細菌に移せることを報告した。彼らは、ネズミ・チフス菌のファージが1つの細菌細胞からのDNAを他の細菌へ運ぶことができることを示した。

 34).1952年、アルフレット・ハーシーAlfred Hersheyマーサ・チェースMartha Chaseは、ウイルスが複製するためにはDNAのみが必要であることを証明した。タンパク質を放射性同位元素硫黄35DNAをリン32で標識したT2バクテリオファージを用いた実験で、ファージのタンパク質は細菌の外側に何時までもとどまり細菌体内に侵入しないことを示した。

 35).1953年、ジェームス・ワットソンJames Watsonフランシス・クリックFrancis Crickモーリス・ウィルキンズMorris Wilkinsは、DNAが二重ラセン構造をしていることを発表した。二重ラセンの化学構造は、ロザリンド・フランクリンによってなされたDNAについてのX線結晶写真像に基づいている。クリック、ウィルキンズ、ワトソンは、1962年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 36).1959年、ピーター・ミッチェルPeter Mitchellは、細胞の膜を越えてプロトンが通過する(輸送される)時の分子の結合の課程を化学浸透理論として提唱した。この仮説により、ATPの合成、溶質の蓄積や排除および細胞の運動(鞭毛の回転)を説明できることを主張した。 ミッチェルは、1978年にノーベル化学賞を与えられた。

 37).1960年、フランソワ・ジェイコブFrancois Jacob,デイビット・ペランDavid Perrin, カルメン・サンチェスCarmen Sanchezジャック・モノーJacques Monodは、細菌の遺伝子の働きを制御するオペロン説を提案した。ジェイコブとモノーは、ラクトースがタンパク質のリプレッサーに結合しない限り、リプレッサーはRNA合成を抑制すると考えた(ラクトーオペロン説)。ルボフ、ジェイコブとモノーは、1965年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 38).1961年、マーシャル・ニーレンバーグMarshall Nirenberg マタイJ. H. Matthaeiは、合成ポリヌクレオチド(ボリU)がフェニルアラニンだけから成るポリペプチドの合成を制御することを観察した。UUUがフェニルアラニンを指定すると結論した。ロバート・ホリーとハー・ゴビンド・コラーナーと共にニーレンバーグは1968年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 39).1961年、シドニー・ブレナーSydney Brenner,フランソワー・ジェイコブFrancois Jacobマシュー・メレルソンMatthew Meselsonは、リボソームがタンパク質合成の場であることを示し、またメッセンジャーRNAの存在を確認するためにファージを感染させた細菌を用い、大腸菌がバクテリオファージT4の感染を受けると、大腸菌のRNA合成はとまり、T4ファージに特異的な合成が開始することを証明した。

 40).1964年、チャールズ・ヤノフキーCharles Yanofkyと共同研究者は、大腸菌のトリプトファン合成酵素遺伝子の変異部位と酵素のアミノ酸を置き換えとの関係を定義した。トリプトファン合成酵素は2つのサブユニットを持ち、その一つは変異させられることができた。この機能しない突然変異体は、遺伝子の遺伝子図の微細構造を明らかにした。

 41).1970年、ハワード・テミンHoward Teminデイビッド・ボルチモアDavid Baltimoreは、RNAウイルスの逆転写酵素を独立的に発見した。このプロセスは、RNAからDNAへの遺伝子情報の合成経路を確立した。 ダルベッコ、ボルチモアとテミンは、1975年ノーベル医学生理学賞が与えられた。

 42).1973年、スタンリー・コーエンStanley Cohenアニー・チャンAnnie Changロバート・ヘリングRobert Hellingハーバート・ボアイェHerbert Boyerは、DNAを断片しプラスミドDNAと結合させ、そのリコンビナントDNA分子を細菌細胞に挿入すると複製することを示した。プラスミドがクローン化した遺伝子を維持するための運び屋としての役をすることを示した。この発見は遺伝子工学のための大きな前進となった。

 43).1975年、ゲオルグ・コーラーGeorg Kohlerセザール・ミルシタインCesar Milsteinは、特定の抗体を生産させるために、細胞培養で増殖できる雑種細胞を作るためにマウス腫瘍性形質細胞とマウスのリンパ球を融合させた。モノクローナル抗体は、非常に特異的であるため診断キットや細胞の機能を研究するフローブを生んだ。1984年にイェルネ、ケーラーとミルシタインにノーベル医学生理学賞が与えられた。

 44).1977年、カール・ウーズCarl Woeseは、古細菌の遺伝子が細菌や真正細胞のどちらとも異なることを、リボゾームRNAの解析から証明し、第三の生命として古細菌を同定した。

 45).1977年、ウォルター・ギルバートWalter Gilbertフレッド・サンガーFred Sangerは、独立的に正確なDNAの塩基配列を決定する方法を開発した。ギルバートは、細菌の遺伝子の塩基配列を決めるためのその方法を用い、サンガーは共同研究者達とともにバクテリオファージФХ1745,375個の全ヌクレオチドの配列を決めるためにその技術を用いた。1980年バーグと共にギルバートとサンガーは、ノーベル化学賞を与えられた。

 46).1979年、痘瘡(天然痘)が1977年に最後の症例が認められて、地球上から消滅したと公式に宣言された。天然痘ウイルスの少量が、米国と旧ソ連に保持されている。天然痘は、初めて人の力で消滅できた微生物病である。

 47).1982年、スタンリー・フルジナーStanley Prusinerは、羊の致命的な神経脳症であるスクレピーを引き起こすプリオンによる疾病の証拠を見つけた。フルジナーは、1997年にノーベル医学生理学賞を与えられた。

 48).1983年、リュック・モンタニエLuc Montaignerロバート・ギャロRobert Galloは、エイズを引き起こすと思われるヒト免疫不全ウイルス(HIV)の発見を発表した。

 49).1986年、カリー・ミューリスKary Mullisは、熱安定な酵素を使ってPCR法(ポリメラーゼ連鎖反応テクノロジー)を確立した。ミューリスは、1993年にノーベル化学賞を与えられた。

 50).1995年、クレイグ・ベンターCraig Venterハミルトン・スミスHamilton Smithクレア・フレーザーClaire Fraserと共同研究者は、Haemophilus influenzaeインフルエンザ菌の完全な遺伝子の塩基配列を微生物としてはじめて解明した。《インフルエンザ菌は、コッホ研究所のファイフェルと北里柴三郎が1892年に同時に発見した。註釈:田口文章》

「北里柴三郎博士の秘話」のなかにあります「DNA発見小史」とあわせて読んでいただくと、微生物の研究からいかに多くのノーベル賞受賞者が誕生しているかか判ると思います。

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