200. 明治細菌学の写真. 7-3-2003.
日本国内で最初に創設された伝染病研究所は、慶応義塾創立者の福沢諭吉翁の個人的な経済援助によって大日本私立衛生会付属として、明治25(1892)年11月に東京・芝区芝公園に建設され、北里柴三郎が所長に就任しました。北里は、明治27(1894)年6月に香港で流行した黒死病と恐れられたペストの病原菌を世界に先駆けて発見しました。この事実からも判るように、北里所長の率いる伝染病研究所は、優秀な人材が日本全国から集まり、活発に細菌学と伝染病の研究を開始しました。また、弟子達との研究と診療に従事する傍ら北里は、開業医に対して細菌学と伝染病の基礎と研究のための講習会を定期的に開催し始めます。10坪ほどの伝染病研究所ではなにかと手狭になり、明治27(1894)年2月に芝区愛宕町に洋式レンガ作りの新研究所に移転しました。
明治28(1895)年12月には、日本で最初の細菌学の学術雑誌「細菌学雑誌」が月刊誌として創刊されました。この細菌学雑誌は、伝染病研究所の学術活動を広く紹介するために、細菌学雑誌社が発行し、ドイツ製の顕微鏡や国内で発行された書籍の広告なども掲載されています。この雑誌は、大正19(1944)年に「日本細菌学雑誌」と改名され、日本細菌学会から発行され現在に至っています。
明治28(1895)年12月5日に発行された細菌学雑誌の創刊号には、新装なったレンガ作りの立派な「伝染病研究所の全景」が北里所長の顔写真とともに写真で紹介されています。第二号には「仏国細菌学者故パストール氏肖像」と第三号には「独逸国細菌学者古弗氏肖像」と続き、世界的に著名な学者の肖像、世界的に有名な研究機関の全景などに混じって、日本で最初に免疫血清を作った馬の写真などが毎号に掲載されています。創刊63号には「故福沢諭吉先生肖像」が掲載されていますが、細菌学雑誌に載せてある写真はこれが最後となっています。
ここに紹介しました「明治時代の細菌学雑誌」に掲載されている写真は、「明治細菌学の写真集」として「北里柴三郎博士の秘話」に公開します。お楽しみください。
|