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204.雪印乳業事件の反応. 7‐15‐2000.

1.雪印乳業事件から学ぶこと.

低脂肪乳による集団食中毒事件の内容が明らかにされるに従い、日本を代表する優良企業と信じていた雪印乳業は、消費者の期待値とはことなりかなりな企業であることが判ってきました。

私のホームページの愛読者と称する方々から、私の細菌学的な立場での考えを聞きたいとか、自分の意見や感想を述べてそれに対する意見を求められ、川越保健所の事件と雪印乳業並びにそれに関係する一連の事件に対する交信が多くなりました。

雪印乳業の事件が報じられた時に、私は森永ヒ素事件を思い出しました。粉乳にヒ素が混入してしまった森永ヒ素事件は、若い年齢層のなかには記憶している人は居ないでしょうが、かなりショッキングな事件でした。森永ヒ素事件からも今回の雪印乳業の事件からも、一般の消費者は消費者として、企業でそれなりの責任ある立場の人はその立場で、いろいろなことを学んだと思います。

ここで、私が受け取ったメール内容を一部紹介したいと思います。送られてきた文面は、そのままでなく、多少短くしたり、または漢字を仮名に変えたりの変更を私の独断で加えてあります。

2.私はこう思う.

  1. 最初に紹介するのは、特定の人でなく、複数の方々の考えを私がま

とめた内容です。東海村の事件、保健所の失態、乳業各社の一連の事件、銀行・証券会社などの債務超過事件および若い人による殺人事件等を考えると、伊豆諸島で起こっている地震に本質的には似ていると考えられる。長い間に蓄積されたマグマが日本社会全体に鬱積し、これまではなんとか耐えてきたが、我慢の限界に達したようだ。

回収され賞味期限内の商品を単に捨てるのはもったいないから、再利用するのは良いと思うが、キチント指導もしないで回収業者に任せっぱなしにすることが可笑しい。取り扱いが悪いと今回のような事件に発展する可能性については、一部の者だけが理解していて、その情報を徹底して伝えない体質が悪い。更に雪印乳業の社長は、管理責任を問われる立場だから、それだけの報酬を受け取っているのにも拘わらず「裸の王様かピエロ」のように見えた。

内容や表現はいろいろですが、結果としてふんまんやるかたない、日本はどうしてしまったのだろうか、どこかがおかしいのではないでしょうかというものでした。

2)東京の人:

雪印事件の感想ですが、色々な立場で思った事を書きます。まず、消費者の1人として、雪印と言えば昔からの老舗で、乳製品の代表みたいに思っていました。それなりに雪印の製品は買っていたので、この様な事になって全く残念です。発症者が1400人で、返品を再利用していたとの事ですが、これを聞いて思い当たる話しがありました。森永ヒ素ミルク事件です。ちょうど手元に資料がありますので、この事を書いておきます。

森永ヒ素ミルク事件は、1955年6月頃から岡山・広島を中心とした西日本一帯で発生したヒ素による亜急性もしくは慢性中毒です。森永の粉ミルクに混入していたヒ素が原因で、岡山県と徳島県の衛生研究所は、森永の粉ミルクから21‐35ppmのヒ素を検出したとの事です。厚生省の被害者統計によれば、1956年1月31日現在、総患者数12,038名(実際はその倍以上といわれているとの記載あり)、死者128名にのぼる大惨事です。その後も後遺症に苦しむ人がたくさん居たとの事です。

 それで、どうして粉ミルクにヒ素が混入したかですが、酸度が上がった古い牛乳を中和するために、第二リン酸ソーダを用いていた。これが曲者で、粗悪なものを使ったために、亜ヒ酸ソーダが3.77‐9.21%混入していたとの事です。結局のところ、コスト削減のために、古い牛乳や粗悪な第二リン酸ソーダを使った事が原因とされています。調べてびっくりしましたが、規模、時期、場所、コスト削減のための手抜きといい、ここまで全てが一致しているとは思いませんでした。

 私は、新聞やテレビのニュースで見ただけなので、詳しい事は解りませんが、今回の事も東海村での臨界事故と同じではないかと思っています。雪印の経営状態がどうなっているのかは解りませんが、恐らく現場には微生物の毒素が最も強く、しかも見えないので取り扱いには細心の注意を要する事や、微生物の死ぬ温度と毒素が分解される温度が違っている事を知っている人はいたのではないかと思います。臨界事故の時には、副長は臨界事故の可能性を知っていたのに、現場としてコスト削減の最善を尽くした結果、バケツを使用し、その結果大惨事になってしまいました。これと同じ様に汚染の可能性を知っていても、コスト削減という至上命題のためと言うのが原因ではないでしょうか。しかし、こうなってくると、最初に牛乳を搬入した時から、全ての工程が汚染の対象になっていると疑いたくなります。

3)九州の人:

「川越保健所の事件、雪印の事件、東海村の事件」の他、警察不祥事、医療過誤等で最近一番面白いテレビ番組は、ニュースだという声も聞きます。毎日々地位のある方々が、直立不動の姿勢から頭を下げる映像を見せられていると、慣れてしまうのが怖いです。昔は大人達の「最近の(近頃の)若い者は・・・」というのが常套句でしたが、今の子供達の間では「近頃の大人は・・・」というのが流行っているとか・・・。すなおに笑えません。  

親の背中を見て子は育つといいますが、不祥事続きの世の中や大人達の姿を見て、無気力・無関心・無責任、また切れて暴力から殺人へとエスカレートする子供達はあとを絶ちません。学校に行けば学級崩壊で授業は成り立たず、家に帰ればリストラに遭った親がゴロゴロしているといった世相でしょうか。

最近の17歳前後の青少年による犯罪の増加は、戦後教育の影響が多分にあると思います。米軍指導のもと教育改革が計られましたが、今問題行動を起こしている子供達の親はすべて戦後教育を受けた世代だといえます。日本古来の美風である謙虚さとか奥ゆかしさとか仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌といった2000年以上も培われてきたこころが当時建国200年にも満たない国に否定されてしまったのです。天皇中心主義はナンセンスですが、教育勅語にある人の道として守るべきものは時代が変わっても普遍のものがあると思います。全否定は疑問です。

もともと勤勉な日本人は、外国からの圧力で労働時間短縮を余儀なくされ、労働・職業に対する価値観も変わり職人も師弟関係も育たなくなりました。鍵っ子で学校から家に帰っても、「おかえりなさい!」を聞けない子供達が増えたのは、今日の問題の根源にあると思います。家族間の挨拶どころか、隣近所の付き合いもないギスギスした世の中になりました。

どんなに大きな組織や企業に所属しようと、最終的には個人個々の能力・判断・責任にかかってきます。製造現場でも検査室でも医療現場でも、個人の能力・判断・責任の上に成り立っています。いくら科学技術が発達しても、最終的に扱うのはそのときの担当者です。その人の資質が問題です。

今回の雪印乳業がとった全工場操業停止・総点検という行為も疑問です。社長や総括責任者は、何が起こったのかも知らされていないし、把握もしていなかったようです。仙台工場の人達にすると大阪工場が悪いと言っている。結果として、経営陣も自社の社員を信用しないわけですから、そういう会社を世間が信用するはずもありません。残念な事故になりました。これが大企業の現状なのでしょうか。

大分前になりますが、「私の仕事は賞味期限が切れ返品されて来た商品のラベル張替えです」とハム・ソーセージ工場のパートタイムの人から聞いたことがあります。乳製品や肉製品にしても、賞味期限とはなにを意味するのでしょうか。有機・無農薬野菜も表示の意味が良く判りません。世の中わからないことが多すぎると思われませんでしょうか。

ここに記載した文章は、私の創作でありません。一部の人たちはこのように感じているということを紹介したまでです。異論や反論がありましたら、どうぞお寄せください。

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