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223,「なにかおかしいぞ、日本」私の主張−2 1-10-2000.

「なにかおかしいぞ、日本」について意見を頂いています。その後に寄せて頂いた方の意見を第二弾としてここに掲載します。よくお読みください。

4.零細企業の経営者は責任をとっている、40歳代の男性.

あまり何でもかんでも自由化すると、質の悪い人間によって、悪い方向へ向かって行ってしまうと言うのは、日本の現状と思います。

千代田生命の件でも、結局のところ、国民につけを回し外資に買い叩かれて、しかも誰も責任を取らない事になりそうです。明治の頃の経営者は、責任を取って会社に私財を寄付したと聞きます。それが昭和になってから、極端に質が低下して責任を取らなくなったとの事ですが、実状はちょっと違います。

大きな会社の経営者とか、官僚や政治家は責任をとりませんが、中小零細企業の経営者はみな責任を取っています。と言うのは、そもそも中小零細企業の経営者は、貯金も家もみんな担保に入っているので、破綻すれば、即一文無しになり、家族ともども路頭に迷う事になるからです。私が腹立たしく思うのは、この点です。こうやって責任を取っている人達がいるのに、全然責任をとらないで他につけを回す人達がいる事です。全く腹立たしいですね。皆さんどのように思われますか。

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5.「責任をとる」という意味、40才代の男性.

「何かおかしいぞ、日本」について書こうとすると、悪口の連発になって話しがまとまらなくなり、その上どうすればいいのかと言う事が全く抜けてしまいます。そこで、全部まとめるのはやめて、思いつくまま書いてみようと思います。どうぞご容赦下さい。

まず、日本がおかしくなっているのはあらゆる分野に及び、一度に何もかも考えるとごちゃまぜなになって収集がつかなくなってしまいます。最終的には、まとまるものかも知れませんが、ここでは、まとめず、取りあえず、科学・技術・産業と、社会的な事に分けて書くだけにします。

そもそも、日本で一番ひどいのは、「成功」しても評価せず、「失敗」すると袋叩きにする事ではないでしょうか。そのくせ、今まで無視していたものが「海外」で評価されると手のひらを返した様に持ち上げるています。要するに、身内のやっている事はどんなに優れた事でも評価せず、しかも、絶対に失敗を許さないという事です。これは、科学・技術・産業に共通した現象です。産業の場合は身内が必ずしも日本人全体ではなく、「自社」という単位になっている場合も結構あります。よくある例は、当初、ある分野で研究、あるいは製品化が進んでいても、「そんな事役に立つのか(他社はやってないじゃないかと言う意味)」で中止させられ、そのうちに他社から研究発表や製品が出てくると「何でやってないんだ」と怒られる事です。

また、社会的な面では、「誰も責任を取らない」と言う事がしゃくにさわります。そもそも、うまく責任を取らないように持って行っているとしか思えません。そもそも、「個人」で責任を取ると言う事はまれで、ほとんどの場合「組織」として責任を取るという方向へ持って行ってしまうようです。これは、組織として責任を取ると言う事は、個人の責任はあいまいなままで済ますと言う事になり、結局は誰も責任を取りません。極端な話し、組織が攻撃されても、改革しているふりだけして無視すればよい訳ですから。まれに個人名が出てマスコミが騒いでいますが、そんなのは氷山の一角でしょう。

例えば、環境問題やゴミ問題でも、「市として責任を取る」なんて言っている所がありますが、結局、誰も責任なんか取らず、相変わらず破壊工事ばっかり続いている所があります。企業のプロジェクトでもそうですが、「組織として責任を取る」という悪習を改め、最初に責任者をはっきり明示し、問題が起こったときには、責任者に責任を取らせる方向に社会を変えて行かなければならないでしょう。しかし、そのためにはどうすればいいのかは全く分かりません。

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6.みな平等は善いことか、40才代の男性.

少子化と不景気が重なり短期大学の大多数は存亡の危機を迎えている。国公私立を問わず大学も遅まきながら、数年先の組織のあり方に対して危機感をもち始めた。大学教員にも就業規則はあるが、勤務時間が必ずしも明確でない。そのため大学教員は自由業で、夜中まで仕事をしても超過勤務は存在しないし、それに対する手当てもない。学生に対する講義、演習や実習などの学生教育と教授会・助講会などの諸会議のない時間帯の使用は、研究室を主宰する教授または教員個人の考えに任されている。夜中まで入学試験の準備に携わろうが、自宅で論文原稿の準備をしてようが、画商を伴って創画活動に出かけようが、アルバイトをしていようが、給与をはじめとする諸条件は全て平等である。極端な表現をすると大学に来ていても来なくても、学生に満足・充実感を与えている教授も学生から強い不満・不評を浴びせられている教授もなにも変らない。平等という名の不平等がまかり通っている。「先生と乞食は三日やったらやめられない」ほど素晴らしいのだ。

教授は、人事権と学位授与権という強大な権力を学内で保持している。権力に対する執着心は強いが責任感のない教授が多すぎる。教授は相撲の横綱と同じく降格の危険性がないため緊迫感がないので、無責任となる傾向がある。

日本がおかしくなったのは教育が悪いからである。大学の内部を改革しないと日本の教育は退廃の一途を辿る。大学を蘇生する手段は、職位を問わず教員が教員を相互に適正に評価する環境整備と新規な評価法導入と考える。例えば、教授としての責任感をもっているか、学生に充実感をあたえるような教育を施しているか、本業以外のアルバイトをしていないか、卒業後も教えを請いたいと学生が思うか等を教員、学生及び卒業生に聞いてみたら画期的な結果がでるに違いない。

「なにかおかしいぞ、日本」に共鳴して意見を書いてみたかった。しかし、どうしても不満や非難の言葉の羅列になってしまう。メールを送るのを躊躇したが、送ることに決心した。過激ですがご容赦下さい。   []

寄せられた意見の骨子は、責任論のようです。日本国民がみな無責任な人となってしまったのでしょうか。他人に責任があると全ての人が唱えたとすると、回りまわって結局は自分に責任があることになります。それでは、責任を認識するにはどうしたらよいのでしょう。つれにはまだ続きがあります。期待していてください。

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