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225.「なにかおかしいぞ、日本」私の主張−3. 12-12-2000.

 7.なんでも他人任せで良いのか、60才代の男性.

 殺人を犯した犯人の子供が母親に迷惑がおよぶことを心配して自分の母親を殺した、泣き止まない子供に腹をたててせっかん死させた年若い父親、人を殺してみたかったと玄関が開いていた家の主婦を刺し殺した中学生、内縁の妻の連れ子の兄弟を殴り殺し山に捨てた十代の男、身近な他人に高額な保険金を掛け保険金ほしさの殺人、愛人に貢ぐ金ほしさに生命保険を掛けた実子や実母を毒殺した看護婦の母親、友達に灯油を掛けて焼き殺した男友達、人間の壊れるのをみたい為の爆弾事件など、思い出せないくらい殺人事件が多いことに驚く。またその殺人の動機がなんとも理解しがたいことが、これらの事件に共通しているように思う。

 些細な原因にカットなっての殺人、幼い子供を自分の手で殴って殺す残酷さなどは、常識的な善悪の判断力を超えているのであるから、ある意味では精神こうじゃく状態なのであろう。善悪の判断ができなかったと精神科医が証明すると、いかに残虐で非人道的な殺人犯であっても法律的には罰せられない。また人を殺す欲望や殺す力があつた犯人が未成年者であれば、その殺人犯の人権が保護され更正補導が優先して法律で罰せられることはない。

 これらの殺人事件に限らず、なにかがおかしい。それではなにがおかしいのであろうか。なにがオカシイのかは、一寸難しいので後回しにする。それでは誰が悪いのであろうか。これには答えられそうである。他人がみな悪いのである。バブルが弾けた数年前、多額の債務を残して会社を潰した住専の社長を国会に喚問して尋問した際、その社長は「総量規制と称する融資制度を変えた大蔵省の失敗が原因である」、自分には責任がないと発言した。これが典型的な他人責任転嫁論である。

 「人を殺すような子供に育てた悪い環境の家庭があった」と仮する。人の命を奪うような残虐な行為をした子供の母親に「どうしてそのような非人道的な子供に育てたか」と問い詰めると、「会社人間で夜中にならなければ帰宅もしないし家庭のことは相談にものってくれない夫が悪い、ろくでなしの夫に責任がある」と言うでしょう。夫が悪いと責任を転嫁された殺人犯の子供の父親は、「とんでもない、人を殺すような教育はなにもしてない。現実に私はなにもしてないのだ、教育したのは学校だ、しつけを教えるのは学校の責任だ」と責任を学校にあると主張する。責任があると言われた学校の先生は、「とんでもない、私にはなにも決める権限もないのだ」と責任は学校内の権限者である校長だと名指しする。名指しされた校長は、「とんでもない、それは悪質な言いがかりだ、校長といえども教育委員会の指示がなければなにもできないのだ」と教育委員会に責任があると主張する。教育委員会または教育長は、「我々は文部省の教育指導要領に従って文部省の代理をしているので、全ての権限は文部省にある」とまたまた責任の所在を文部省に押し付ける。文部省は、「我々は教育基本法と言う法律に忠実であって、なんら疾しいところはない」と法律を作った国会が悪いのだと言う。人を簡単に殺すような子供を育てたのは、最後には「国会、即ち国が悪いからだ」とお上が全ての悪の根源であることになる。国民を代表して国を治めているのは国会議員で、全ての悪の責任は国会議員にある、国会議員が悪いから国が悪くなり子供もわるくなる。悪い国会議員を選んだ国民が悪いので国会議員が悪いのではない。最終的に悪いのは、「われわれ国民」となる。

例えば上に書いた悪ふざけは、ある意味では本質・的をえているのである。「父親が家庭内に存在しない」ことが悪の出発である。子供や社会を善くするには、ます父親が姿勢を正し父親の父権を取り戻すこと。それと全ての人が「身分相応」を自覚すべきである。年令、収入や身分に相応しい生活を築く努力をし、誰彼なく皆同じ思考で全て公平な横並びはいけない。月収が100万円のベテランと月収20万円の新人とが、同じ時計をもち、同額の背広を着て、同じアタッシュケースやシステム手帳を持ち歩くことが、本来不自然なのだ。収入や身分に合わない背伸びをする必要がない。なぜみな横並びに同じである必要があるのか。

◆結論、「悪いのは他人でない、悪いのは自分である。三つ子の魂百までも。」。

  • 父親よ!会社人間をやめよ、夕方は一刻も早く家族のいる家に帰れ、家族との団欒にせいをだせ、父親にしか出来ないことがあるだろう、父親として汗をながせ、妻を支える夫たれ!
  • 母親よ!パートタイムにせいをだすな、物より心の糧を創れ、子育ての責任を一人で背負い込むな、娘に女としての心得を伝えよ、夫は健康で留守がいいと言うな、夫をたてる母親たれ!

もう少しで21世紀になる、善い子供が育つ社会を築くため頑張ろう! 

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 8.失敗から学ぶこと、40才代の男性.

 「何かおかしいぞ。日本」に関して、マクロな立場とミクロな立場に分けて考えてみます。この分類はあまり良くないかも知れませんが、うまく整合性がとれていると考えています。まずは、マクロな立場から。

 そもそも、どんな事でもそうですが、成功の影に多数の失敗が存在します。我々が、最初にどんな微生物として地球上に誕生したかは知りませんが、何等の失敗も無く今日あるようにまで進化してきた筈はありません。なお、「我々」とは地球の全生物の意味で使いました。多分、かなりの試行錯誤を繰り返し、失敗した事も相当多かった筈です。人間も地球生物である事は間違いありませんから、例外ではない筈です。

 さて、日本についてですが、日本では失敗すれば袋叩きというのが現状です。逆に成功しても全く認められませんが。これでは膨大な失敗を伴う試行錯誤などというのは許される筈もありません。これが一体何を意味するのかですが、失敗しないためには「何もしない」というのが最善です。つまり、何もしない奴の方がマイナス要因がなく評価が高くなるのは当然です。その上で要領が良ければ言う事無しです。この様な人達が高い地位に就くのは当然の結果となってしまいます。そうなれば、益々悪い方向への「正のフィードバック」がかかってしまいます。

 地球生物の辿ってきた道と別の方向へ行ってるのですから、いびつな社会になっても当然の結果と言う事になります。この結果がどうなるは分かりません。あまり軽率に「自滅」とは言えないでしょう。「寄生虫」の様にして生き延びると言う事も考えられなくはありませんから。

 次にミクロな立場から考えてみます。失敗を許さないのであれば、失敗を伴う試行錯誤なんてやらないにこした事はありません。手っ取り早くやるには、他人の成功を真似てしまうのが一番です。技術導入とか、技術移入なんて、名前だけ見れば良さそうに思えますが、早い話し、他人の成功した部分にあやかっているにすぎません。それでうまく行くのであれば、それはそれでいいのですが、大きな落とし穴が待っています。それは、他人の成功には失敗した部分の情報が決定的に不足していると言う事です。つまり、何か不都合が起きても、それに対処するノウハウが無いと言うことです。試行錯誤を繰り返した者には、失敗に対処するために、色々なノウハウが蓄積しています。このため、他人のやった事を真似してやっているのに「何故かうまくいかない」と言う事が発生します。失敗に関するノウハウが無い以上、不都合な状況とそれを回避する知恵などありませんから当然でしょう。

 技術導入から離れて、個人レベル、または小さな組織レベルに話しを移します。失敗を許さないと言う状況であれば、失敗した場合に取るべき道は一つしかありません。「失敗を隠す」ことです。これで隠し通せればいいのですが(ちっともよくありません)、どんどん嘘の上塗りを続ける事になり、問題が表面化した時にはどうなっているかは、昨今の例を見るまでもなく明らかです。ちょっとした失敗を隠すと言うミクロな事の積み重ねがマクロな社会全体として引き起こす現象がいかに大きいかと言う事を考えてみて下さい。

 いずれにしても、失敗を許さぬ風土と言うのは問題です。失敗を積み重ねる事によって、それに対処するためのノウハウを積み重ね、これらが防御策となって、更に大きな失敗をしないために役立つものだと思います。しかし、逆に、失敗経験がなければ、自分の失敗体験と照らし合わせて考える事ができず、得体の知れない権威者が「安全」だと言ったから安全だと思い込んでしまう様な事になり危険でしょう。

 私が言いたい事は、失敗を許さぬ風土そのものが問題であり、絶対に失敗の許されぬ場面での失敗、例えば、臨界事故などを許すと言うのではありません。その様な事の無い様に失敗を許し、失敗体験を積み重ね、大きな失敗にならない様にフェイルセーフとして働く事が必要であり、そのために、少なくとも個人レベルから考えていくべきではないかと言う事です。

 ここまでに書き漏らした事がありますので、いくつか補足させて頂きます。 まず、例として妥当かどうかは分かりませんが、私達の交流が始まったのは、失礼ながら田口様のホームページに誤りがあった事だと記憶しております。恐らく、何の誤りも無ければそのまま通りすぎていただけでしょう。その様な意味で、失敗はよい経験になり、新たな展望が開ける可能性を秘めていると考えてよいのではないでしょうか。

 次に、例えとして「寄生虫」の事を出しましたが、寄生虫の基本戦略は何もしない事です。ホストに害を及ぼす様では、反撃を受けたりします。何もしないでただ栄養をかすめ取り、ホストに害を及ぼさず、目立たぬ様にして生存するのが賢い寄生の戦略でしょう。この辺の事は田口様の方が詳しくご存知でしょう。その様な意味で、日本は、どっかの国に寄生をしていましたね。それが、調子に乗って害を及ぼす程栄養をかすめ取った時期があったため、反撃を受けたと言うのも事実でしょう。その様な意味で、目立たず害を及ぼさない程度に栄養をかすめ取る寄生虫に進化する道が考えられると言う意味で出しました。

 最後に、私の個人的考え方を示しておきます。私自身もそうですが、ある分野で専門家であっても、分野が異なるととたんに素人になってしまいます。そして、何をどう考えていいものか全く分からなくなる事も度々です。恐らく、その分野固有の言葉を知らないのが原因であると思っています。ですが、基本的な考え方、特に、長年培ってきた科学的な考え方が全く通用しないのではないと思います。そうであれば、用語などはともかく、科学的な考え方を適用してみてその上で考えればいいのではないでしょうか。当初、「何かおかしいぞ、日本」について何をどう書こうかの見通しは全くありませんでした(今でも見通しがあるとは言えませんが)。ただ悪口の羅列になってしまうだけでした。しかし、こんな時でも科学的な考え方に立って考えてみるべきだと思い、あまりにも全体が複雑なら、ある程度のまとまりになる様に分類し、その上で仮説を立てて考え、実際の事例がうまく説明できるかどうか考えてみた訳です。この時に、個人的にいつも気をつけているのは局所的な考えと大局的な考えとです。これらの間を行ったり来たりしながら考えています。偉そうな事を書きましたが、実際は、かなりへまをやらかしています。

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 9.私が疑問に思うこと、16才の女子高校生.

 星野亜紀さんの「ノーベル賞授賞式についての手記」を読ませていただきました。大変細部にまでわたる詳しい描写で臨場感が溢れており、とても興味深く読ませていただきました。何より、筆者の大きな感動が伝わってきました。私自身、分野はまだきちんと決めておりませんが、将来は是非理系の研究職に携わることができたら嬉しいと思っております。

 ノーベル賞を受賞なさった白川先生が新聞などにお寄せになった手記なども読ませていただいて、大変興味を引かれました。私のクラスは理数科だからでしょうか、クラスメートの男子生徒もとても興味を持っていたようで、数学の先生などに質問したりしておりました。新聞を読まない若い世代が増えたといいますが、決してそんなことはないと思いました。

 文章を書くことも、興味を持ったことについてつきつめていくことも大好きなことなので、これからの一年間、自分の一番やりたいこと、好きなことが思いきりできる環境を探し、そこに属することができるよう頑張りたいと思っています。

 さて、先生のページに掲載されておりました「何かおかしいぞ日本」ですが、前々からおかしいと思っていることをあげさせていただきたいと思います。どこかの小学校であるいじめられている児童の机や教科書にひどい悪口雑言の落書きがあり、先生がクラスの子供全員の筆跡を調べた、それが人権侵害だ、と言って父母から非難されたそうで、その学校の校長先生が謝罪するという事件がありました。

 私が疑問に思うのは、「それではそのいじめられている児童の人権はどうなるの」ということでした。筆跡が調べられてもやっていない児童にとってはどうということもありません。困るのは加害者の児童です。(無論、素人の筆跡鑑定が正しいかどうか、それはわかりませんが、ひとまずそれは置きます。)他人の人権を侵害している者が自分の人権を守って欲しいというのは矛盾ではないでしょうか。

 一般に、日本社会は加害者の人権に過敏すぎ、被害者の人権には無頓着すぎると思います。その一例が少年犯罪でしょう。被害者の実名は報道され写真も載せられ、加害者の実名は隠される。被害者の家には夜昼を構わず大勢の報道陣が押しかけ、一方加害者はカメラのフラッシュを表から浴びることもない。一体どちらが庇護されるべき存在なのか分からなくなります。

 本日の新聞の朝刊一面に、世論調査で76%の人が「犯罪被害者の救済が不十分だ」と思っているという結果が出ていました。当然だと思います。 少年の更正、それも当然努力されるべき事項でしょうが、彼らの犯した罪の責任は誰がとるべきものでしょうか。被害者でしょうか。違うと思います。いくら幼くとも、いくら家庭環境に責を帰すべき事情があるにせよ、犯罪を犯した以上はいくら幼くても彼ら自身がしっかり償うべきことだと思います。私個人の勝手な持論ではありますが、私は少年であれ誰であれ、罪の償いはすべきだと思います。その上での更正だと思います。贖罪と更正、治療は決して両立し得ないものではないはずです。

 私自身、来年には今年一年何かと話題であった十七歳になります。真の意味で公正である社会を望みたいと思います。長々と私の拙論を書き連ねてしまいましたが、お許しください。私たちと同世代の少年たちのおこす犯罪にはどうしても目が行ってしまいます。  

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 今回も高校生からの意見が届きました。うれしい限りです。

 段々と具体的な問題提起がなされ、より判りやすくなってきたように感じます。他人の悪点を見いだし非難することによって、自分を俎上にのせて反省しているのだと思います。《責任を他人に押し付けない全てを他人任せにしない妻や夫との対話を通して家族を考える》、どうもこのへんからやり直すことが提案されているような印象をもちました。

 意見を寄せてくださった皆さん、貴重な意見を有り難うございました。このカラムは、まだ続くと思いますが、一先ずお礼を申し上げます。紹介させて頂いた意見に対する意見も歓迎します。この225の「なにかおかしいぞ、日本」私の主張−3が掲載される頃は、多分21世紀になっているでしょう。

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