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241. 「なにかおかしいぞ、日本」私の主張−6.4-22-2001.

16.気になること. 新婚の男性。

ぜひとも意見を書こと思っておりましたが、会社の忙しさに翻弄されている間についつい遅くなってしまいました。今も、期末処理のために忙しいのですが、不思議なもので、あまりにも忙しいとかえって別なこと、本来自分がやりたいことをしたくなってしまうもので、今日ここに私の意見を発表させていただきたいと思い、メールいたしました。「なにかおかしいぞ、日本」もまだまだ、続くようなので、このような機会が持つことが出来、うれしい限りです。

日本人は本当に最近になっておかしくなったのか? このようなことを私は最近良く考えます。今回、「なにかおかしいぞ、日本」の記事にもう一度目を通しました。ここに掲載されているかたがたの意見に対しては、共感することが多いのですが、一点だけ私が疑問に思ってしまうのは、さまざまな方々が指摘されている「日本や日本人のおかしな点が本当に最近だけの話か」と言う点です。

先日大久保駅で、酔っ払って駅に落ちた乗客を救おうとして、韓国人を含む2名が犠牲となりました。彼らの勇気ある行動に対する賛辞と哀悼の念は新聞等のマスコミで大々的に報道されています。しかし、私が期待した原因となった酔っ払いに対する非難は殆どありませんでした。これは、日本の昔からの伝統である酔っ払いに対する過度の寛容に原因があると思います。

考えてみれば、日本の社会は、酒を飲まないとビジネスが始まらない、酒を飲まないと深い付き合いが出来ない、酒を飲みに誘われたら断れない、などの様に酒飲みが全て正しいかのような社会がかなり以前から普通となっているように思います。人と人との付き合いを円滑にするのは結構ですが、飲めない人間に強要したり、無理やり飲み会に連れて行ったりという、人に対して迷惑になることを容認しているということは、いかに酒飲みに対して甘い社会かということの表れではないでしょうか。甘い社会では、欧米における公共の場所では酔っ払って下品な行動を起こすことは厳禁であるという社会に比べ、酒飲みのマナーの低下を招き、先の事件のような出来事を引き起こしてしまったのではないでしょうか。

喫煙に関しても寛容さは同様で、日本では鉄道などに対する分煙努力はまだまだのようです (http://www.mhlw.go.jp/houdou/0103/h0328-1.html)。結局のところ、こういった問題を解決するのは個人の意識を改革する以外に方法はなく、このようなページで訴えてゆくしかないのかもしれません。

最近の話題でもう一つ気になるのは、非加熱製剤によるエイズ感染に関する裁判結果です。裁判は非常に限定された点を問題にして、A 被告を無罪であるとしているようです。でも、私は本当に医者としてのモラルがある人であれば、どう転んでも責任は免れないと考えていました。

少し前に、オーム心理教がまだそれほど問題と騒がれていなかったころ、朝原は富士山の噴火を予言しました。そして、彼は噴火を抑えるために祈祷すると言っていました。これなどは、オームの巧妙なところで、どちらに転んでもオームにとり利益となります。つまり、富士山が噴火しなければ、オームの祈祷が効いたといえるし、噴火すれば予言が的中したといえます。

これと全く同様に、A 被告は非加熱製剤を使用したことについて、責任を免れないと思います。つまり、当時欧米では既に危険性が知られていた非加熱製剤を使用したことは、もしそれを知らなかったとすれば、医学研究者としての怠慢であり、また、知っていたとすれば、医者としての倫理観がないということです。

裁判では、倫理観や責任感というような曖昧な基準で人を裁くことは、公平さを欠く以上できないので罪を問うことは出来ないのでしょう。従って、やはり個人の倫理観、責任感に頼る以外にありません。

上記2つの例のような個人の倫理観や意識は、個人で勝手に形成される部分よりも、教育や社会情勢などの周りの環境に依存することが多いと思われます。こう考えると、現状のような日本になったのは、ごく最近だけに原因があるのではなく、かなり以前からその萌芽のようなものが育ってきたのではないかと考えてしまうわけです。

明治維新以降、日本がおかしくなってきているのではないかということを懸念していたからこそ、司馬遼太郎さんは歴史小説を書き、亡くなる直前は日本のことを憂慮されていたのではないでしょうかと、個人的には思っているのですが、いかかでしょうか。

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17.三宅島噴火について.成人の男性.

三宅島の噴火について、昨日(4月5日)衝撃的な事を聞きました。三宅島の様子や避難した島民の方々の事をニュースで度々やっていたのを見てはいたのですが、恥ずかしながら、これから述べる事は全く知りませんでした。言い訳するつもりはありませんが、ニュースで見た記憶が全くありませんでした。

それで、何が衝撃的かと言いますと、実は三宅島の噴煙から、一日当たり約5万トンもの二酸化硫黄が放出されているとの事です。これは、日本の15倍、中国全土から放出される量に相当する事です。そして、日本全土が汚染されているのは言うまでもありませんが、特に、東京、神奈川の汚染がひどいとの事です。既に環境基準を超える日が何日もあり、呼吸器疾患者や高齢者では問題になるレベルだそうです。普通の人でも、今後どうなるか解りません。遠くで起こっている事などと高をくくっていると、実は身近にも深刻な影響が出ていると言う事ですね。なお、硫化水素についてはどの位の量が放出されているのか解りません。それから、2001年2月28日に都庁の大会議場でシンポジウムが開かれ、400人以上も参加したそうです。

東京都や神奈川のホームページに、観測地点での濃度などのデータが公開されているとも聞きました。以下に、観測データが掲載されている東京都のホームページのURLを書いておきます。神奈川県のホームページはまだ見てません。

http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/kansi/taiki/miyake/press/miyake_press.htm

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18.結納金の由来.40才代の男性.

田口様は教え子の結婚式に呼ばれる事が多々あると推察いたします。そこで、タイトルにある結納金の由来ですが、以前、聞いた話しをお伝えします。これは、自分で調べて確認取った訳ではありませんので、信憑性はあまり無いと思って下さい(以下、文化人類学をやった事があると嘯いていた奴から聞いた話しです)。

世界中には、色々な文化水準の民族がおります。文化人類学では、これらを比較して、どの様に文化が発達してきたかを研究しているとの事です。それで、結婚すると言う事は相手の家から、女を貰うと言う事ですが、当然の如く女を引き抜かれた家では労働力が低下します。そこで、結婚によって女を引き抜く代わりに、自分の家からも女を引き渡すと言う習慣があったそうです。これが出発点です。しかし、そういつも代わりに出せる女がいる訳ではありませんので、その場合は、相手の家である程度の期間労働奉仕をする事になったようです。そして、次第に、結婚する時は女の方の家に労働奉仕をする事によって成立する様になって行き、やがて、労働の代わりに金で片をつける様になって行ったようです。これが現状の日本の状況です。この次の発展は、「当人同士の問題だから」と言う事で、無償になる事だそうです。細かい段階は色々ある様ですが、大筋はこの様な話しでした。

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19.ユーザー論理とメーカー論理.男性会社員.

4月1日からリサイクル法が施行されましたが、毎度問題になるのは、「ユーザー論理」と「メーカー論理」の剥離です。ユーザー論理は「リサイクル費用の後払いでは不法投棄が増えるから前払いにしろ」と主張していたのに対し、メーカー論理では「製品が売れなくなる」と言う理由で「後払い」にしてしまいました。政治化や官僚あたりでも、「ユーザー論理」と「メーカー論理」との支持者がいた様ですが、結局は、メーカー側の思惑通りになってしまいました。

同様な事が缶やペットボトルに対してもありました。デポジット制を適用して、回収すべき所が、結局は、自治体の費用と消費者のマナーの問題に摩り替えられて、「デポジットをかけると売れなくなる」と言う「メーカー論理」がまかり通っています。無論、「ユーザー論理」は「デポジットをかけて回収しろ」と言うものです。1缶50円位デポジットをかければ、さすがにもったいないからちゃんと缶を返す筈です。デポジットのメリットは「ちゃんと返すと損得無し」、「捨てると損する」、「拾うと得する」と言う事で、損得が働くため回収効果が高いと期待されます。

まだまだ、いくらでも、「ユーザー論理」と「メーカー論理」の剥離と、一方的に「メーカー論理」が押し付けられている例は挙げられますが、ここで、少し視点を技術的な事に移してみます。何等かのハード・ソフトを想像してみて下さい。例えば、パソコンがいいでしょう。「メーカー論理」としては、「あるものを使え。中を見るな」と言うものでしょう。一方、「ユーザー論理」としては、「中をいじりたい。思う存分使ってみたい」と言うものです。しかし、技術資料は公開されませんし、著作権保護などがあって、結局、「メーカー論理」が一方的にまかり通っています。その結果、どうなったかと言えば、ユーザーはメーカーから与えられたものを使うだけとなり、草の根的に日本の技術を支えてきた人達が減ってきています。実際、部品屋(PCのパーツ屋ではありません。電子素子などの部品屋の意味です)が次々と店を閉めています。現象だけ見ればいい店が少なくなっただけに映るかも知れませんが、本質は草の根的な技術の喪失が起こっており、やがて、もしかするともう既に日本の技術そのものが危機的状況に直面しているのかも知れません。

結局、日本では「ユーザー論理」が無視され「メーカー論理」ばかりがまかり通ったため、環境や技術を含め、恐らくはモラルまでも喪失しつつあるのではないかと思います。

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噴煙に二酸化硫黄や硫化水素が含まれ危険水準にあるため、三宅島への帰島が許されないとは聞いて知っていました。しかし、三宅島一日の排出量が日本全国の15倍に相当し、東京や神奈川の環境汚染がひどいらしい事は私も知りませんでした。エイズの薬害裁判の結果では、裁判官という専門家の考えと被害者や一般人の期待とがかなりかけ離れていることが判りました。刑事事件としての責任とは別に倫理的人道的な責任もあるのではないかと私は思っていす。しかし、日本の裁判は、結果もさる事ながら、どうして何年間もの時間を掛けないと判断が示されないのでしょうか。これは制度的な問題もあるのでしょう。なんとか改善されないものなのでしょうか。時間を掛けて詳細に調べるのは良い事ですが、拙速でも困りますけれども、時間が掛かり過ぎると人によっては記憶が不正確になる弊害もあると思います。

「なにかおかしいぞ、日本」は、メールが届くかぎり続ける積もりです。どうぞよろしくお願いします。

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