393. 中国の若者よ、世界の中国人たれ!4-20-2005.
はじめに
曖昧模瑚では政治と宗教に触れる問題は取り上げない積りでこれまで編集・編纂してきた。中国という国家が世界の工業国の仲間入りをし、経済サミットにも出席する現在、それに反して中国の若者は中国が築き上げてきた中国の国際的な立場をぶち壊すかのような拙い破壊行為を繰り返しているように見える。
個人的な事柄で恐縮であるが、私は吉林省吉林市で生まれた日本人である。生まれてから日本に引き上げてくるまでの約10年間に、当時まで小学生であった私は、子供なりにも色々な日本人と中国人の大人たちを見てきた。私個人は親中国的な日本人と思っている。親中国的な日本人である私の目から見ても、今日の中国人若者たちの破壊的な行為は理解しがたい。
全世界でも珍しい五千年の歴史と伝統をもち、礼節と道義を重んじる中国人が、血のにじむような努力で築いた国家を自らが破壊したいのであれば、それは中国人民の決めることで他国民が触れる問題ではない。しかし、いま中国全土で繰り広げられている破壊活動は、中国人民による行為とは考えられず、一部の若者たちによる行為であると思う。
これらの「反日デモ」と称する一連の行為で中国人若者が世界に示している言語行動を見て、「さすがに中国人は素晴らしい」、「中国人若者が示している言語行動は歴史に残す価値がある」と思って注目している人は世界的に少数派と思う。良識ある大多数の世界人は、褒められる賢い行為ではないと思っているのとちがうであろうか。
ここで親中国的な日本人の一人の個人的な意見を書かせてもらいたい。それは中国人を批判することが目的ではなく、大多数を構成し中庸な中国人の考えを示す行為を見せてもらいたいからである。
中国で行なわれたサッカーのアジア杯
アテネでのオリンピックが半分終わった時点でギリシャ人のギリシャ人としての特徴的な言語行動を見るにつけ、オリンピックに先だって行われた中国でのサッカーのアジア杯で見せつけられた中国人若者の異様な言語行動を思い起こした。それはもうスポーツの応援とか声援という常識的な枠を越えたむき出しの増悪の狂乱であり、特に彼らが口にした品位と教養のない言葉使いに多くの日本人は驚かされた。それ以上に中国人がいかに日本人を憎んでいるかをも見せ付けられた。礼節を重んじる中国の伝統や良心はかけらも見られなかったからである。終戦を迎えるまでの8年間中国で生まれ育った私は、あの非礼な不満の表現をした中国人若者たちが、私の知る中国人の子孫とは信じ難い残念な思いがあった。
それに反し日本国および日本人は、国家、国歌、国旗や愛国心の存在を捨ててしまい、良し悪しとは無関係にこれらの精神的なよりどころと近隣諸国との歴史的な軋轢などを忘れたに等しい。
ケ小平が市場経済に踏み切ってから、中国は階級闘争を唱える運動では国民の心を統合できなくなった。1994年に共産党は「愛国主義教育実施綱領」を公布し、江沢民時代の到来となった。「抗日戦争勝利50周年」にあたった1995年から愛国主義の鼓吹が始まった。愛国心を育てることは、極めて重要なことであるため大いに結構なことである。
中国に関東軍が侵入する以前の中国における大英帝国は、中国人社会に阿片を浸透させ「阿片戦争(中英戦争?)」を起こして、眠れる巨人・中国の弱体化に成功し、領土の一部を租借することに成功した。どうしたことか中国も英国もあまり教育のなかでこの阿片戦争を取り扱わないようである。大英帝国が清王朝の破壊の先導を務めたのである。しかし、中国の愛国教育は、もっぱら近代・現代を中心とした歴史を教え、自尊心を養うようにしているため、中国の若者は、日本との戦争を体験していないまま、日本に祖国がいかに辱められ、無残・無慈悲に中国人が扱われ、自由や自尊心を踏みにじられてきたかということを叩き込まれ、排日・抗日思想に固まっているという中国人識者による文を読んだことがある。
これを読んだとき、私は自分が体験した中国人の親切さと、礼節と優しさと同時に、私がこの目で見てきた中国人が、いかに征服者としての日本人の横暴・圧迫の被害に耐えていたかということを思い出した。1日3回の食事を摂れないような経済的には大変に苦しい生活のなかにあって、政治・軍事的には憎き敵の子供たち「俗にいう中国残留孤児」を扶養してくれた、いまとなっては年老いた養父母たちのことを同時に思い出した。貧しい人間が他人の子を養育するのはなかなか難しい厚意で、これを養父母達は代償を求めることなく実行した、これを子供時代に私はこの目で見てきた。小説「大地の子」の「陸先生」がまさにこれまでの代表的な中国人であったと思う。更に遡って「日本人の在日中国人、朝鮮人に対する差別」の激しさをも思い浮かべていた。それは現代中国の若者の非礼なとどは比較にならないものであった。
しかし、蒔いた種は育つばかりでなく、時には復讐をすることも学んだ。スポーツとは全く無縁のものであったのに。これまでの中国にも、共産党の統治を続けるために「敵を作る」のをやめようとした政治家胡耀邦がいた。彼のような政治家が登場してくることを期待している。中国の若者よ、世界の中国人たれ!
北京市の国際空港や地下鉄の建設がどのように行われ、中国の復興支援に貧しい日本人の税金がどれだけ使われたのか等は論ずるに値しない。相互に不信感があると仮定しても、日中貿易はいまや1300億ドルにも達し、重慶や武漢の若者にとって日本国は感情的には許しがたい存在であったとしても、経済的なつながりは紛争を防止するのに十分なほど強くなってしまった。後戻りはできないのである。未来永劫に憎しみあうことができるのであろうか。
反日デモと称する破壊活動
日本国民の歴史認識などに問題があり、中国人の多くが不快に感じているとする。それでも「サッカー大会の開始に際して他国の国旗と国家に対する非礼や日本食料理店(一部は中国人経営の店)や日本国の大使館および領事館などへの破壊活動」などは、中国および中国人への信頼感や尊敬の念を高める効果は決して果たさないと思う。中国は怖い人の怖い国に映るに違いない。
目的を説明し、それを達成するためには、もっと賢明で上品な方法があります。暴力は高尚な手段ではない。国家のイメージを失墜させ、中国人の信頼性を損なう暴挙は、結果として中国にマイナスを与えるだけと思う。
李外務大臣は、「反日デモは日本国民に対する中国国民の心の現われである」となにかの席で述べたそうである。私個人は、この度の反日デモという破壊活動は全中国人の心の発揚ではなく、ごく一部の学生や労働者などの不満分子によるものと信じている。なぜならば、それほどまでに中国人が愚かであるはずが無いからである。
「国連の常任理事国になる前にアジアの人達に信頼される日本人たれ」と温国家主席が演説したと新聞記事として読んだ記憶がある。他人から信頼されない人間はあまり存在する価値のない人間である。国家にあっても人と同じである。国家警察がデモと称する若者の破壊活動を取り締まれないとすると、全世界から色々な人が集まってくるオリンピックも安全に開催できないのではとの危惧の念を持つ人がでてくるかもしれない。
喧嘩は一人ではできない
中国政府を代表する首脳陣は、今回の騒動の原因は日本にあるので、若者の一部行き過ぎた行動に対して(日本人はそのように見ている)中国政府としては謝罪も補償もしない考えのようです。「愛国無罪」というスローガンも国際的には通用しないと思うし、原因がなんであれ暴力や破壊活動を正当化できる道理があるはずがない。中国政府がこのような態度をとり続けることは、若者たちの暴徒化した破壊行為を容認することにより、なにか中国政府が利益を得る目論見があるだろうか。
暴徒化した若者、それを傍観している警察官、現実を報道しないマスコミ、無知蒙昧な者を扇動する一部の過激家、これらが相まって今日の「愚行」がまかり通っている。この愚行によって日本社会は経済的な損害を受けるであろうが、それと同等な被害を中国人社会にもモタラスことは明らかである。日本製品の不買活動から中国人社会が豊かになるのであろうか。中国の若者よ、世界の中国人たれ! 喧嘩は一人ではできない!