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429. 微生物の音色−1. 11-7-2005.
 
細菌にも雌雄が存在し、また個性もあります。また微生物間でのコミュニケーションの手段も持っているようです。そのうえに微生物を研究している科学者にも大変に個性的な人が多々いるようです。これらの事柄を一括して微生物の音色として、知られざる側面を紹介させていただきます。パート1では研究についての紹介に限り、パート2で微生物が行っているコミュニケーションについて紹介させてもらいます。
 
北里研究所での新人教育
戦前の北里研究所では、特別に秀でた者しか所員として採用していませんでした。その新たに採用した優秀な新入所員に対して、研究所としていかような指導をしていたのか、私自身が新人であつた時代のあるとき部長先生に尋ねたことがありました。技術員として採用した者に対しては、徹底した基礎教育を仕事が終了した夜間に講習会という媒体を通して施していたことが判りました。ところが研究員に対しては、あなた方にはいまさら教えることは何もありません、自分で勉強しなさいと突き放していたというのです。
志賀潔は北里柴三郎所長に教えを乞うために東京帝国大学医学部を卒業してすぐに北里研究所に入所しました。ちょうどそのとき赤痢の大流行があったようです。新人志賀潔医師に対して、北里柴三郎先生は、ご自身の長年の研究テーマでありました赤痢について、志賀潔に赤痢の患者を与えて赤痢の研究をさせました。志賀潔は、先輩たちの言語行動を観察し、ドイツ語をはじめとする学術雑誌を読みあさり、寝食を忘れて赤痢の原因究明に励んだようです。あるとき「凝集反応」という全く新しい概念とその技術についての論文をドイツ学術雑誌で見つけ出しました。赤痢菌の発見以前のことです。
赤痢の原因となる細菌が赤痢という赤い血液の混じった下痢便をだす病気を起こす、赤痢の患者体内には赤痢の原因菌(赤痢菌)が必ず存在する、赤痢の患者体内には赤痢の原因菌に対する免疫抗体が作られている、その抗体は赤痢患者から分離した細菌とのみ凝集反応を起こす、赤痢患者から分離した細菌が正真正銘の赤痢菌であるならば、免疫抗体を含む赤痢患者の血清だけと凝集反応を起こすはずであるとの作業仮説を読んだばかりのドイツ学術雑誌の論文から直感的に作り上げたようです。これが世界で初めての赤痢菌の発見へと志賀潔を導きました。セリという細菌学者は、赤痢患者から分離した赤痢菌と大腸菌との鑑別ができないでいました。北里柴三郎博士の秘話のなかにある、志賀潔著「細菌学を創った人々」にイタリアの学者セリについての話が出てきます、興味ある方はお読みください。
 
研究の独立性
明治から昭和の初期における伝染病研究所(のちの北里研究所)での学術研究で、研究課題の選択がどのようになされて居たのか興味があるところです。大きなテーマは、北里所長が直接に指示していた可能性が伺えます。
例えば、志賀潔に対しては赤痢の研究を課題に与えました。しかし、技術的な詳細については本人の独自性に任せていたようです。赤痢の原因体はこれまでに発見されていない新しい細菌『志賀赤痢菌』であり、この細菌こそが赤い下痢便をだす赤痢を起こすとの赤痢菌についての世界初の大発見は、志賀潔個人名で発表されています。北里柴三郎先生は、志賀潔と赤痢の研究に信用を与えるための表書きを書き添えただけでした。これが北里流の学術研究の真髄を物語る典型と思われます。基本的で本質的な指導は責任をもってするが、余計な口出しはしないかったようです。
東京帝国大学を首席で卒業した北島太一については、血清療法を研究させるために伝染病研究所からの最初の派遣留学生としてドイツに送り出しました。高木友枝に対しては、破傷風を研究させるためにドイツに派遣しました。
 
北里研究所外史
『遠藤滋』
伝染病研究所時代の志賀潔の先輩で腸チフス菌と大腸菌との鑑別法を研究していた遠藤滋という内科医が居ました。彼は、写真が得意であったようで、研究所での写真の現像などを引き受けていました。写真のネガを現像するとき案室内では赤色電球の明りの下で行うがことを不思議に感じました。もしかしたら赤色の液体を使えば,明るい暗室外でも写真の現像ができるであろうと確信しました。ためしに写真の現像液に赤い染色液のフクシン液を加えてみました、するとたちまちフクシンの赤い色は脱色されてしまい,目的は達成できず試みは失敗に終わりました。
現像液中の亜硫酸ソーダがフクシンを還元して,無色にさせることをとっさに理解しました。そこで彼は亜硫酸ソーダ液を作って同僚たちに示し,細菌の染色をするときに手指がフクシン液で汚れたら,この亜硫酸ソーダ液を脱脂綿に浸して色のついた手指をふけば,たちまちにキレイに脱色するので脱色液としてその使用を推賞していた。
ある日,彼の「ワイシャツのそで口」がフクシン液で真っ赤に染まったので、例の亜硫酸ソーダ液で拭って脱色して,これでよしと外出しました。すると途中で、脱色したところが日光にさらされると、たちまちにして赤くなったのに驚き,急いで研究室に戻り,静かに数時間考えていました。とつぜんにひらめいたことは,「酸類が日光と同様フクシンを酸化して,−旦還元したフクシン液の赤色を再び出現させること」に考えついたのでした。彼は夜中まで研究室にいていろいろ研究し,還元したフクシンを添加した細菌用の培地を作り上げました。この培地は「遠藤培地または遠藤のフクシン培地」として、赤痢菌、腸チフス菌や大腸菌の鑑別に大変に便利なため、世界で使われるようになりました。
『マーク・シュートンサック(日本名、松本秀夫)』
一昔前には嫌気性菌の培養にシュートンサック法という簡便な方法が良く使われていました。極めて独創的な培養法でした。試験管に細菌を増やすための寒天の入った培地を注ぎ斜めに固めます(専門的には斜面培地と呼びます)。その斜面の寒天部に例えば破傷風菌を接種します。試験管口の綿栓の出っ張りをハサミで短く切り、残りを試験管内に少し押し込みます。そこに無水炭酸ナトリウムとピロガロール(焦性没食子酸)をすばやく入れて、その上をパラフィンなどで封印します。これを普通のフラン器におさめて保温するので。特別な装置がなくても嫌気性菌の培養ができるのです。焦性没食子酸と呼ばれるピロガロールは、水に溶けやすく、還元性が強く、アルカリ液では酸素を吸収する性質があります。酸素を盛んに吸収するピロガロールの性質を活用して、酸素の少ない環境を試験管一本の単位で作り上げる原理を発見したのは、マーク・シュートンサック(日本式名は松本秀夫)という名前の細菌学者でした。
この人は、自宅の庭先に自分専用の研究所をつくり、一人で微生物の研究をしていたそうです。独学での研究でしたが、それが北里柴三郎所長の目にとまり、北里研究所で勉学に励めるようになりました。マーク・シュートンサック青年の非凡さに気がついた北里所長は、彼に獣医学についての正規の専門教育(現在の麻布大学で)を受けさせました。彼の北里研究所での学術研究の業績として、シュートンサック法という嫌気性菌の培養法が有名で、その他の業績については不詳です。
これからの話は、私が若かった頃に大先輩の部長先生から聞いたものです。部長先生が入所した戦前の北里研究所には、一風変った研究をしている科学者が居たそうです。そのお一人が上に紹介したマーク・シュートンサック先生であったのです。
細菌はどのような味がするのか細菌の味や臭いの研究、腸内細菌は腸管内の真っ暗な場所で生息しているので光の有無による代謝の違いの研究、細菌が増殖する環境に微弱な電流を流して細菌の電気(陽極と陰極)に対する態度の研究、避雷針に直結させた銅線を細菌を増殖させる寒天培地にさし込んで銅電極の影響などの研究を平気な顔で行っていたそうです。ご当人に「そのような研究は危険でないのですか」と聞いても平然としておられたようです。どのような細菌の味や臭い(香り?)の研究をされていたのか聞き忘れましたが、私などには手の出せない独創的な研究かと思われます。
 
先日JR東京駅の前にある野村ビルの地下2階にある「パソナオーツー、植物工場」を見学させてもらう機会がありました。太陽光と土地など天然の素材がない全くの人工環境である地下室で「稲、サラダ菜、ハーブなど」を育てる新しい農業の現場を目の当たりにして大変な興味と感激を覚えました。いつの世にも凡人では考えもできない独創的な発想を展開できる人がいて、この世が発展していくのだと実感させられました。新しい農業に興味ある方に見学をおすすめします。小泉首相も既に見学したようです。

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