462. 口腔洗液「リステリン」の名前の由来. 4-6-2007.
キーワード:英国の外科医ジョセフ・リスター 仏国の大科学者ルイ・パストゥール 消毒剤 洗口液
口腔ケア リステリン物語
「薬用リステリン物語」という記事を潟tァイザーのホームページで偶然に見つけました。私が学生としてアメリカに滞在していた40年以上も前のテレビコマーシャルにも既に「リステリン」は良く流されていました。口臭を消す効果、息を爽やかにする効果、口腔内を清潔に保つ効果、虫歯の予防効果などをうたっていたと記憶しています。アメリカに滞在中に健康を害すると大変な出費になりますので、虫歯予防に一瓶買ったことがありました。一口くちに入れてみたら、本来薬なのですから当たり前なのですが、予想外に薬臭いのに驚いたことをいまも覚えています。
このリステリンの開発から命名にいたるまでに、医学史に登場するイギリス、フランスとアメリカの科学者たちが関係していることが判りました。リステリンという商品の宣伝ではなく、リステリンに係わる歴史の裏側を紹介したいと思います。
ルイ・パストゥール
フランスの大科学者ルイ・パストゥールの70回目の誕生祝いが1892年にソルボンヌ大学の円形劇場で催されました。この日は、パストゥールにとって人生で最も記念すべき日となりました。世界各国の有名な学者は、ことごとく招待され参列していました。イギリスの外科医であるリスターもその出席者の一人でありました。大統領に伴われてパストゥールが式場に入った時の光景は、まさに凱旋将軍を迎えるような壮観さであったと記録されています。フランス軍の近衛兵が、進軍の曲を演奏しました。パストゥールは立って、短い演説を試みましたが、70才の老翁パストゥールの音声は「このような盛大な誕生祝賀会を開いていただきお礼の言葉が見つかりません・・・・」とややもすれば絶えようとしたそうです。
最後に、学生の一団に向い後世にのこる有名な言葉が発せられました。70才のパストゥールは、声を張り上げて言いました、「わが青年よ、安逸であるなかれ。非難功撃に会って失望するなかれ。研究室と図書室の静粛(せいじゃく)な平和に生きよ。そうして、君らまず自分に問いたまえ。自分は今までに何をしてきたかと、祖国のために尽すことがあったかと。君は人類の進歩及び繁栄のために充分に尽し、無限の幸福を感じるまで励めよ」と。彼の愛国的人道的叫びは永遠にフランス国の学術と文化に生き続けることとなりました。
ジョセフ・リスター
パリで開催されたパストゥールの誕生祝賀会に、なぜイギリス人のリスターが同席していたのでしょう。またパストゥールの演説の前に、リスターは出席者を代表してパストゥールに対して「人類の名においてパストゥール閣下の業績を褒め称えます」と祝意を述べました。これを聞いたパストゥールは、言葉にきゅうしてしまったのでした。
パストウールは、伝染病は発酵または腐敗と関係があるかもしれないことを示すために熱中に研究に携わっていました。1864年、パストゥールの論文がスコットランドにいた外科医ジョセフ・リスターの目にとまりました。外科医であるリスターは、「化膿」と呼ばれる傷口に生じる膿みの出現を詳細に調べていました。パストゥールの考えの影響をうけてリスターは、微生物が発酵および腐敗を起こすように、創傷の化膿もまた微生物が起こすのではないかと考えるようになりました。外科医の手、医療器具および手術台のまわりの空気から、ぜひとも微生物を取り除かなければならないとリスターは考えました。その当時すでに石炭酸(フェノール)が下水や排泄物の処理に使われている事を利用して、手術の全体にわたって石炭酸の噴霧を行なったのでした。このリスターの石炭酸噴霧法は、組織の損傷と患者の死亡を減らす上に大変に有効でありました。これが有名なリスターが確立した無菌手術なのです。このようにして、現代外科学の世紀が始まりました。
リスターは、エディンパラからパストゥールにあてた手紙に見られるように、自分の知識がパストゥールに負っていることを丁重な口調で感謝しています。
謹啓
貴殿が「乳酸発酵の研究」において初めて記述なされました微生物について、私が書きましたことを多少なりとも興味をもってお読み下さるようにお願い致します。英国外科学会の記録が貴殿の目に触れたかどうか、私は存じません。もしお触れになられたとしたら、私がこの9年間にわたって完成しようと努力した外科処置の無菌的体系についての記載が少々あることをご覧頂けると思います。
貴殿の輝かしい研究によって腐敗の微生物説の真理を私へ示されたおかげで、無菌的手術が遂行できる原理をさずかりましたことに対し、心より私の感謝をこの機会に申し上げることをお許し下さい。いつの日か貴殿がエディンバラを訪問なされ、私どもの病院において如何に多くの人々が貴殿の御努力によって恩恵を蒙っているかをご覧下されば、真にご満足いただけるものと信じます。
外科学がどれほど多くを貴殿に負っているかをお示しすることは、私の最大の喜びであることを付言するまでもありません。勝手なふるまいを寛大にみて下さい、貴殿の科学をあまねく愛する心が私を鼓舞するのです。
深甚の尊敬をもって 敬具
ジョセフ・リスター
リスターは、また「外科手術における無菌原理について」と題する論文の緒言において、パストゥールに対して丁重な謝辞を記しています。
『大気の腐敗性状は酸素やガスの成分によるのではなく、大気中に浮遊する微生物によるものであり、微生物のエネルギーは自らの生命力に負っているということがパストゥールの研究によって示されたとき、この浮遊微生物の生命を破壊できる何かの物質を用いれば負傷部位における腐敗は、避けることができはしまいか、という考えが浮かんだのであると。』
薬用リステリン物語 −誕生と名前の由来−
潟tァイザー・ホームページの抜粋
19世紀半ば、産業革命によって大躍進を遂げていたイギリスでは、その繁栄の一方で、作業中の事故で大ケガを負う人が後を絶たず、多くの方が、治療の甲斐なく犠牲になっておりました。なぜなら、当時はまだ消毒技術が確立されておらず、手術が成功しても、傷口から細菌に感染して亡くなるリスクが高かったからです。
外科医のジョゼフ・リスター博士は、この凄惨な光景を目の当たりにし、犠牲者を救うため、消毒薬の研究に取り組みはじめました。「一人でも多くの人を助けたい」博士の情熱は、画期的な消毒薬を生み出すことに成功しました。そして、1865年に世界で初めて消毒薬を使った外科手術を行い、重症の患者を救うことに成功するのです。その後、手術による死亡率は劇的に減少し、この功績により、ジョセフ・リスターの名は世界の医学界で知られるようになりました。 その後、アメリカのローレンス博士と薬剤専門家のランバード氏が、リスター博士の手法に基づいて新たな消毒薬の研究を行い、1879年に安全性と保存性の高い製品の開発に成功しました。二人はリスター博士のもとを訪れ、博士に敬意を表し、リスター博士の名前にあやかりこの琥珀色の消毒薬を「リステリン」と名づけることを申し出ました。二人の熱意におされ、リスター博士は承諾し、ついに「リステリン」が誕生しました。
当初、リステリンは外科手術用の消毒薬として使用されていましたが、その後、口内を殺菌する効果もあることが分かり、1885年、世界初の口内洗浄液として歯科医向けに販売を開始しました。1914年には一般消費者向けにも販売されるようになりました。 リスター博士が世界初の消毒薬による外科手術の試みに成功した1865年、当時の日本は幕末(慶応元年)の騒乱期にあり、新撰組や長州藩士、薩摩藩士、会津藩士たちが熾烈な争いを繰り広げている時代でした。様々な立場の志士たちの間で、未来への熱き想いが荒波のようにぶつかりあい、時代は江戸から明治へと劇的に大転換していくのでした。
ルイ・パストゥールやジョセフ・リスターの名前は、微生物学の歴史の部分で必ず出てきますので、私も充分に承知しています。しかし、100年以上も前に世界最初の洗口液「リステリン」が開発され、その商品名は「世界で最初に無菌外科手術」を行なったイギリスの外科医リスターに由来しているとは全く知りませんでした。
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