第10話
 バイキンの常識、人間の不常識
 

 

「主な対象読者」
 高校生から大学低学年生までを主な対象者として書いてあります。
「先生へのお願い」
 少しむずかしいと思われる漢字を意識していれてあります、読みにくい漢字に(おくりかな)をつけてありますが、意味は解らないことがあるかもしれません。意味が判らない用語があってもそのまま前に進みましょう。
 小学生や中学生には両親が一緒に読んでくださることをのぞんでいます。
 親子で興味と時間を共有できることを期待しています。
 
 
 
 
 
本 文 目 次
 
講義のまえに
第一章. 細菌が細菌を駆逐(くちく)する
第二章. 細菌の毒をもって病を制す
1)脳性まひ患者の症状緩和(かんわ)
2)慢性片頭痛の治療
3)多汗症への応用
4)腫瘍を破壊する
第三章.コレラ菌の下痢毒素の育毛作用
第四章. 腸内の細菌叢と人間の寿命
第五章. 母乳が腸内の細菌を育成する
第六章.陰部が好きなバイキン
第七章. バイキンの種類と数
講義のあとで
 
著作   田口 文章
イラスト 杉浦 才樹
 

 
第10話 バイキンの常識、人間の不常識
 
講義のまえに
 一般に怖いもの、汚いもの、臭いもの、気味悪いものと総じて恐怖心とマイナスのイメージが普通一般の人がもっているバイキンについての認識でしょう。しかし、私にとって小さなバイキンは魅力的(みりよくてき)な恋人か可愛い孫のような存在なのです。とてもチャーミングな観察の対象物ですから、何年間も見つめ合っていても不思議と飽きないし、お互いが傷つけあうこともないし、ののしり合うこともないのです。一般人の多くが怖さを感じるバイキンに対してどうしてバイキン屋は孫のような可愛さを感じるのでしょうか。よほどの変人奇人なのであろうと思われるかも知れないし、またバイキン屋のセンスはまともだとは信じられないと言われそうに感じます。いや実際にそのように思われたり信じられたりしているのでしょう。バイキンは、人間と違って「ウソ」を絶対につかない正直な性質なのです。考えて行なったように応えてくれます。
 
 ちょっと皆さん想像してみて下さい、犬のノミや花粉よりはるかに小さなバイキンは、フランス語で生命の水と呼ぶおいしいワインを人間に与えてくれるし、他のバイキンをヤッケてしまう抗生物質を作りだし、一方エイズ白血病などを起こして人間をも殺すこともいとも簡単にできることを。不思議ではありませんか。バイキンと呼ばれる微細な生き物は、なんのために不思議なパワーを持っているのでしょう。
 
 もう少し考えてみましょう、バイキンAはブドウ汁をワインというアルコールに変化させます、ところが別なバイキンBはアルコールから酢を作ると仮定します。それではバイキンAとバイキンBを一緒に働かせるとどうなるのでしょう。その応えは、実際に調べてみないと誰にもわかりません。実験に少しなれた人は、その答えを推測することができます。例えば、ブドウ汁にバイキンAとBの二種類のバイキンを一緒に同時に入ると、≪ 1」ワインができる、2」酢ができる、3」酢で酸っぱいワインができる、または4」ワインも酢もできない≫のどれかになるのでしょう。もしかしたら違うかもしれません。
 
 パストゥールは、ブドウ汁に酵母を入れてワインを作ろうとしても、アルコール濃度が毎回少しずつ違うことに気がつきました。いつも同じ濃度のアルコールを作るにはどうすれば良いのか、別な言い方をするとアルコールの濃度を決める条件はなんなのかを考えました。それが判ればいつも美味しいワインを作ることが可能になりましよう。
 
 
 そこでパストゥールは、顕微鏡を片手に実験を開始しました。「酵母の数を多くすれば、アルコールの濃度も高くなる」と推測しました。酵母の数を増やすには、培養液中の酸素の濃度に関係がありそうなことにすぐに気がつきました。しかし、酸素の濃度が高い方が良いのか逆に酸素の濃度が低い方がアルコール濃度を高くするのに良いのかが判らないのです。そこで酸素=空気を調べてみました。その結果、培養液に吹き込む酸素(実際は空気)が多いほうが酵母の数は多くなることが確認されました。次にアルコールの濃度が高くなることを期待して、引き続き多量の酸素を酵母液に吹きこんでみました。しかし、アルコールはできませんでした。結果として酵母の数は酸素を多く必要とするのですが、アルコール濃を作るためには酸素を少なくする必要を見つけ出しました。酵母の数を多くするには酸素(呼吸)が必要アルコールを作るには酸素は不要(嫌気性の発酵)であったのです。当時としてはパストゥールによる大発見でした。
 
 

 ある出来事が起こることのカラクリに不思議さを感じ、「どうしてXXになるのか、またはどうしてXXができるのか」と疑問を持つことが、実験や研究のはじまりです。まだ世界の誰もが到達していない未知の世界でなにか新しいカラクリを見つけだしたいと願う心、それが科学の原点なのです。しかし、ただ単に「どうしてXXがおこるのか」と疑問を持つだけであるならば、それは幼稚園児でもできることで、研究や実験にはつながりません。その疑問に対する解決策(または作業仮説)を作る、例えば、「酵母の増殖(数を殖やす)には酸素は必須だろうか」と自らに問いかけが実験者に必要なセンスと思います。
 
 
 
 

 私はこれまでの実験で、シロアリから有機性廃棄物(=生ゴミ)を水素に変換する優秀な細菌を見つけ出しました、またパンダから生ゴミを二酸化炭素と水にまで分解する細菌も見つけました
 シロアリやパンダを実験材料とした実験やその報告に対して、ある人から「研究が新鮮だとか、テーマの選択が面白い」と言われたことがあります。「褒められたのか、喜んでよいのか」自分では判らないし、また他人の研究が新鮮だと感じる人がいること自体に私は驚きました。「どうしてこのように面白いテーマを選択できるのか」など自分では考えたこともない事で、初めて聞いたし、その上研究の発端や経緯のようなことを本に纏めてもらえると、これからの子供たちもふくめて科学に親しみを感じる人が増えると、ある人から研究の醍醐味をまとめることを働きかけられたことがありました、これなどはまさに青天(せいてん)の霹靂(へきれき)でした。
 
 本というものは著者の思い込みの記ですから、しばしば間違っていることもあるのです、ときには考えや表現にかたよりがあるということなどをまず読者は忘れないで欲しいのです。つぎに例えば私の言うことおよび書くことが「正しい、間違いがない」などと思われたら大変だ。また自分で自分のことについて書くのは大変に気恥ずかしいが、ひとつの事例として客観的な立場で書いてみようと思う。自分のことは一応棚に上げさせてもらってからでないと「偉そうに」と誤解されるとたまらない。
 
 脳炎を起こすウイルスやずい膜炎を引き起こす細菌は、全身をかけ回って自分が最も好む細胞を探し出す、そこを住みかとします。においをかぐ鼻も、相手の色や形を見分ける目も、相手をつかまえる手も持っていないバイキンがどのようにして自分の好みの相手を見分けることができるのでしょう。
 
 バイキンにするといとも簡単になんの困難もなく日常的に行っている常識的なことがらであったとしても、人間からみると「なんで、どうして」との疑問符がつき、人間より下等と思っているバイキンの仕事であっても理解できないものが多々あります。「バイキンの常識、人間の不常識」があることを幾つかの例を通して学びましょう。
 

第一章. 細菌が細菌を駆逐する
 英国の細菌学者のアレキサンダー・フレミングは、ペニシリンと呼ぶ未知な物質の発見とその物質が細菌の増殖を強く抑制する効果に関する最初の論文を1929年に発表しました。ペニシリンは、その有効性の鋭さより、抗生物質の時代を開いた大発見です。
 
 効きかたなどが異なる抗生物質がその後数多く見つけ出された結果、人類は結核、赤痢、肺炎などの細菌による感染に対して強力な武器を手に入れることとなりました。一般に抗生物質とは、広い意味の細菌や真菌(俗にいうカビ)が作り出し、他の微生物の増殖を抑制する物質をいいます。抗生物質の人間の健康維持、寿命の延長や感染症に対する貢献は、簡単には計りえないほど絶大なものです。
 
 ところが抗生物質は、別な表現をすると、ある細菌が自分とは別な細菌をやっつけるために作り出す物といえます。細菌は、人間を細菌の感染から守るために抗生物質を作っているのでしょうか。多分細菌はそれほど人間に対して親切ではないと思います。それではなにを目的に細菌は抗生物質を作っているのでしょう。本当のところは細菌に聞いてみなければ、なんのために抗生物質を作っているのか人間には判りません。
 
 そこで少し推測をしてみましょう。抗生物質を作る微生物は、全てではありませんが、土壌などの環境中から見つけ出されています。ペニシリンを作るアオカビは、お餅や鰹節などの表面から取れるようです。結核に効くストレプトマイシンを作るストレプトマイセスと呼ばれる細菌は、土壌中にいるようです。環境中にいるアオカビやストレプトマイセスは、抗生物質を作るとしてもその量は微々たるもので、薬として使うほどの量ではありません。
 
 土壌には様々な微生物が生息していて、土壌中の栄養分はそれほど多く存在しないと思われますから、場合によっては栄養分の奪い合いを微生物はしているのかも知れません。そこで自分の棲みかの周囲に他の微生物が押し寄せてこないようにして栄養分や酸素のように大切な物を独占するために、縄張りをつくる手段として他の細菌の増殖を抑える抗生物質を作っているのかも知れません。細菌にしては常識的な事柄であっても人間には理解できない現象があるのです。

 
第二章. 細菌の毒をもって病を制す
 破傷風菌やボツリヌス菌は、タンパク質でできている強力な毒素を作り、細菌体の外に分泌します。これらの菌は、なにを目的に人をも簡単に殺せる毒素を作り、なにを目的に毒素を菌体外に放出するのでしょう。その毒素1グラムは、約1千万人もの人間を殺せる凄さです。破傷風菌の毒素は、神経に作用して筋肉を硬直させます。ボツリヌス菌の毒素は、同じように神経に作用しますが、筋肉を弛緩させます。
 
 
 破傷風菌やボツリヌス菌がどのよう目的で毒を作っているのか、その理由は判らなくても、細菌が作りだす毒が薬になることもあるのです。神経に作用するボツリヌス菌が作る毒素を治療に用いることを「ボツリヌス療法」と呼ぶことがあります。自然界にある最強の「神経毒」で、生物兵器としても使われたこともあります。この筋肉を弛緩させる作用を逆手にとるものです。いま現在日本国内で医療保険の適用が認められている「ボツリヌス療法」は、眼瞼けいれん(まぶたが痙攣する)、片側顔面けいれん(顔面の片側の筋肉がけいれんする)、と痙性斜頸 (首や背中の筋肉が異常に収縮して頭が傾いたり横を向いたりする)の3種類です。そのボツリヌス毒素の人体への効果について調べました。
 
 
1)脳性まひ患者の症状の緩和
 脳性まひは、子宮内の胎児期から子宮外への出生直後までの時間にかけて、酸素の不足などにより脳の運動中枢が傷害を受けて発生します。筋肉がツッパル型と意思とは無関係に筋肉が激しく動く「不随意(ふずい)運動」型が代表的です。首の不随意運動が頻繁(ひんぱん)に起こると、首の骨の変形やずれて神経を圧迫し、手足の痛みやしびれ、腕があがらない、歩けないといった二次的障害があらわれるので当該者にとっては大変なのです。
 
 
 ボツリヌス療法は、動きや緊張が激しい首や肩の筋肉にボツリヌス菌の毒素を注射することで筋肉を弛緩させ、首の「不随意運動」を軽くさせる目的で用いられます。ある脳性まひ患者の場合は、両肩から腕までのしびれと痛みに襲われ、鎮痛薬や抗けいれん薬では症状が取りきれず、歩くのも大変でした。勤めもままならず、勤務についても肩から腕までのしびれと痛みで充分に仕事ができない日々に悩まされていました。そこでボツリヌス療法を受けたら、症状が軽くなりました、そのため生活が楽になりました。家族のためにも働けるようにもなりました。
 
2)慢性片頭痛の治療
 A型ボツリヌス毒素は、欧米では各種の頭痛に対する効果が証明されており、おもに慢性片頭痛に対して使用されています。慢性片頭痛患者の頭部の筋肉および皮下にボツリヌス毒素を注射します。初回投与20例のうち、完全消失をふくめ程度が改善した者14例、頻度が改善した者6例、薬効が向上した者4例、服薬を減少した者17例で、いずれかが改善した者が17例(85%)でありました。反復投与によって有効性は更に高まることが指摘されています。
 
3)多汗症への応用
 世の中には汗や唾液がでなくて困っている人がいる反面、汗がですぎて困っている人もいます。腋の下に汗がですぎる多汗症の場合は、塩化アルミニウム溶液で汗腺管を閉鎖するか、または汗腺が密集している部位を外科的に除去する方法しか有効な手段はありません。
 
 ある皮膚科の先生は、発汗が顕著で塩化アルミニウムが効かなかった12名の患者を選びだし、患者の腋の下にボツリヌス菌の毒素を注射してみました。汗の量は、腋の下に「ろ紙」を60秒間あてがい汗を吸収した「ろ紙」の重さを測って求めました。治療前は、1分間に200から800ミリグラムもの汗が計測されました。ところが治療後は、全例1週間以内にボツリヌス菌の毒素の効果が現れ、腋の下の発汗量は1分間に50ミリグラム以下にまで低下しました。ボツリヌス菌の毒素は、過剰にでる汗の量を少なくできました。
 
 またボツリヌス菌の筋肉を弛ませる毒素を人に注射すると、瞼や唇の小さく連続的に起こるケイレンの防止や顔面にできたシワをとりのぞく効果があるとの報告もあります。
 
4)腫瘍を破壊する
 腫瘍(俗に言うガン)ができるとその腫瘍の表面には血管が新たにたくさん作られ、酸素や栄養の補給が出来るようになり、腫瘍の固まりは大きく成長します。ところが、表面と違い腫瘍の中心部は、新たに血管が作られにくいので、血管が少ないのです。そのため酸素や栄養分が欠乏した状態になります。破傷風菌やボツリヌス菌などの嫌気性細菌は、増殖するのに酸素を嫌う性質とタンパク質分解酵素などを産生する性質などをもっています。このような酸素を嫌う嫌気性菌をマウスの背中に作らせた腫瘍の真ん中に注射すると、中心部には酸素が少ないので接種した嫌気性細菌はよく増殖し、強力なタンパク分解酵素を産生します。その酵素が腫瘍細胞を破壊して、腫瘍のかたまりを小さくすることができるのです。
 

第三章.コレラ菌の下痢毒素の育毛作用
 ある程度の年齢の男性に限られていた「薄毛」(ハゲは差別用語ですから使わないようにしましょう)は、いまでは老若男女を問わずその薄毛に悩んでいる人が意外に多いと聞きます。ホルモンの混乱によるのでしょうか。そのため育毛剤は良く売れるようです。薄毛の人に朗報をもたらしたく、激しい下痢を起こすコレラ菌の毒素に育毛作用があることを人工毛髪(カツラ)の会社と共同で調べたことがあります。
 ここに紹介する成績は、黒色の毛のネズミを使った実験から得られたものです。薄毛のネズミはまだ存在しませんので、健康な黒ネズミを使いました。黒ネズミを使った理由は、黒ネズミというのは毛が黒いのであって皮膚は黒くないのです。脱毛した直後の黒ネズミの皮膚は、赤味を帯びています。脱毛して数日すると毛の発育からか皮膚は少し黒っぽく見えだし、更に1週間も経過するとウブゲが見えるようになります。私達は毛髪の発育を次のような2種類の方法で測定しました。まず黒い毛が発育して来ると、皮膚の色が赤い色から黒っぽい色に変化します。その色の変化を計れば、黒い毛の発育を調べられるはずです。そこで皮膚の色を特殊な計測器で計ることにしました。さらに生えてきた毛の長さ、太さや形状は、顕微鏡で1本ずつ観察し計測しました。
 
 黒ネズミの背中の毛を脱毛剤で完全に取り除き、脱毛した皮膚に食塩液に溶かしたコレラ菌の毒溶液を筆でぬりました。コレラ菌の毒液を塗布した黒ネズミの皮膚は、最初の数日は少しはれ上がりました。コレラ菌の毒素液を塗布した群と塗布しない群との比較で、コレラ菌の毒液を塗布した黒ネズミの皮膚の色が黒っぽくなる変化が観察されるのが確実に数日は早く、毛の生えだすまでの時間が短く、さらに太く長い毛が多く生えてきました。この実験は、すばらしい成果をうみだしそうでしたが、色々な事情から残念ながら中止せざるを得ませんでした。学術雑誌などに成果を報告できなかったことが残念に思われます。
 
 この実験を思い立ったのは、私が若かったとき、アメリカで見た奇妙な現象が記憶に残っていたからです。ずいぶんと前のことですが、皮膚を初めとする組織の移植が実験動物で実施が可能となり、臓器移植の実験が開始されたころの話です。ネズミは生まれつきどうしてか判りませんが、コレラ菌に抵抗性でコレラという病気にはなりません。しかし、ネズミはコレラ毒素に対する感受性はあります。
 
 免疫力を薬で抑えた黒ネズミと白ネズミと色の違うネズミの皮膚を相互に移植し、コレラの毒素に対する抵抗性を調べていました。黒ネズミに白ネズミの皮膚片を移植したネズミとその逆のネズミが出来上がりました。体毛を脱毛剤で取り除き、そこにコレラの毒素を塗布しました。試行錯誤の結果、コレラ菌の毒素を塗布したネズミの移植片からフサフサとした体毛が生え出したのです。例えば、白ネズミに黒ネズミの皮膚を移植して、そこにコレラ菌の毒素を塗ったのです。すると白ネズミにフサフサした黒い毛が生えるのです。最初に知りたいと思った事柄については、なにも判らずに実験は終了しました。しかし、コレラの毒素に育毛効果があることだけは確認できたのでした。
 
 
第四章. 腸内の細菌叢と人間の寿命
 百年ほど前にメチニコフというノーベル賞を受賞した風変わりなロシア人の天才科学者がいました。ある日「加齢とともに身体がおとろえるのを防ぐにはどうすれば良いのか、その原因はなにか」という疑問が天才の頭に浮かびました。「年をとって体がおとろえる原因は、動脈が硬化するからである」との考えに到達しました。それでは動脈を硬化させる原因はなんであろうかと考えました。
 
 メチニコフが思いついた仮説「腸内に生息している細菌は自家中毒の原因となる毒を作る、人は大腸を切り取っても生活することができる、大腸は毒を作る細菌の住みかである」と説明したら、たちまち反対論がだされました。「象のように巨大な大腸をもっている動物でも長寿である、人間は大腸があっても地球上で最も長命を保った生物の一つである」というのです。さすがのメチニコフもこの反論には困ったようです。しかし、そこは天才のメチニコフです、ブルガリアの住民には百歳以上の長寿者の多いことを耳にして、小躍りして喜んだようです。また新しい発想が生まれました。
 
 「動脈が硬化するのは自家中毒による」との考えです。ブルガリアの人々が長寿なのは、牛乳で作るヨーグルトに秘密があるとメチニコフは考え、ヨーグルトこそ大腸内の細菌の繁殖を抑え、自家中毒を防ぐ原因であると信じ込みました。自分でも毎日大量にヨーグルトを飲料し、同時にヨーグルトの普及にもつとめました。ヨーグルトの効果を実証したメチニコフは、当時としては珍しく71才まで長生きをしました。
 
 ヨーグルトを作るブルガリアのヨーグルト菌は、腸管内で乳酸を作る細菌の一種であり、乳酸は腸管内の細菌群を調整しているのです。赤ちゃんは、生まれる直前に産道内に常在しているビヒィダス菌の洗礼を受けます。このビヒィダス菌は、乳酸を作る細菌の一種で産道内を酸で清潔に保つ働きをしています。赤ちゃんに母乳を与えると大腸内でこのビヒィダス菌は良く増殖します。産道内を清潔に保つ自浄作用のある乳酸菌が赤ちゃんの体内で腸整作用を発揮するのです。
 
 しかし、日本人が普通の日本式の食事をとっていたのでは、乳酸を作る細菌は大腸内であまり殖えません。ブドウ糖などの普通の炭水化物は、ビヒィダス菌も殖やしますが、糞便を臭くするバクテロイデスや大腸菌などの小腸内に圧倒的に多い菌の増殖にも大切な栄養素として働きます。大腸内で乳酸を作る細菌を殖やすには、小腸内のバクテロイデスや大腸菌などは利用できない糖が数個結合したオリゴ糖を食べると良いことが解って来ました。
 
 
 このメチニコフの考えを少し拡大解釈すると、便秘は命を縮めることを意味しています。便秘の原因は色々とありますが、排泄できないのが便秘ですから、大腸に未消化の食物や腸内の細菌が長時間溜まっていることになります。それが原因で健康に好ましからざる物が作られ、自家中毒を招くこともあるのかもしれません。
 

第五章. 母乳が腸内の細菌を育成する
 ちょっと臭い話で恐縮ですが、もう少しお付き合いを願います。赤ちゃんのウンコを思い浮かべてください。赤ちゃんのウンコの外観は、黄色っぽい色で少し軟らかくスッパイにおいがします。お母さんの乳房からでるオッパイを飲んで育てられると、ヨーグルトや乳酸飲料(にゅうさんいんりょう)の中に入っている酢酸(さくさん)や乳酸(にゅうさん)を作るバイキンが赤ちゃんのお腹のなかに定着してきます。腸管内で生育している細菌の構成は、非常に単純で乳酸菌だけと言っても間違いでないのです。母乳で育てられている赤ちゃんのウンコは、例外なしに黄色い色で少し軟らかくその上スッパイにおいがします。
 
 ところが、なんらかの理由で母乳がでなくて人工乳で育てられている赤ちゃんの腸管内の細菌は、大腸菌を初めとして乳酸菌でない細菌が殖えてきます。人工栄養で育てられている赤ちゃんのウンコは、乳酸菌が少ないため少し黒っぽい色で少し硬く臭い匂いがします。不思議な話ですが人工乳を飲まされている赤ちゃんのウンコは臭いのです。そのうえそのような赤ちゃんは、簡単に細菌の感染を受けやすく、すぐに下痢を起こすようです。
 
 一昔前まで一般に使われていたタテ穴に排泄物を溜めておく方式のくみ取り便所は、便所の特有な臭いがしたものです。この臭さは、大腸菌などが作るアンモニア、インドールやスカトールと呼ばれる悪臭のある物質によるのです。バイキンは身体の表面に存在するだけでなく、ウンコの色から臭いまでバイキンによって変わってくるのです。
 
 
 少し前までは人糞を肥溜(こいため)で発酵させたものを肥料として畑にまいていました。今から考えると「黄害(おうがい)」です。大腸菌は、トリプトファンからインドールという物質を作ります。インドールに酢酸が結合したものが植物の成長ホルモンであるオーキシン(インドール酢酸)と呼ばれるものです。人糞を発酵させると肥料として使える発想は、昔の人達はインドールからインドール酢酸が作られることを長年の経験から学んで知っていたのでしょう。オーキシンの作用で生育した農作物に含まれるリプトファンは、大腸菌のみならず人間も生育するのに必要なアミノ酸です。このリプトファンから大腸菌が作り出すインドールは、妊娠初期の胎盤(たいばん)内でインターフェロンなどの産生を促進します。出来たインターフェロンはウイルスが胎盤を通過するのを防ぐために必要なのです。胎盤組織が未発達・未成熟である妊娠三ヶ月頃までは、未成熟な胎盤はインターフェロンを作れません。この期間に妊婦が風疹に罹ると風疹ウイルスは胎盤を容易に通過して子宮内の胎児にまで到達してしまいます。これが子宮内感染と呼ばれる先天性風疹症候群(感染症)です。
 

第六章.陰部が好きなバイキン
 イギリスのジェンナーが作り出した天然痘のワクチンは、生きている天然痘ウイルスをワクチンとして使います。この天然痘生弱毒ワクチンは世界で最初に作られたものです。現代社会では、生命をまもる免疫能に多少異常があって抵抗性が弱い人でも、昔と違って生きられるようになりました。天然痘のワクチンを皮膚にすり込むとウイルスは接種された部位である程度増殖しますが、増殖した痕跡を残して消え失せてしまいます。ところが、100万人に1人程度の割合でしょうが、免疫能に問題がある人に天然痘ワクチンを接種すると、そのワクチンの弱毒ウイルスが増殖しだして天然痘に似た病気になる人がいます。天然痘ワクチンのウイルスは、免疫力の弱い人では皮膚と粘膜の継ぎ目の所を好んで増殖をする、例えば肛門(こうもん)や生殖器(せいしょくき)などの陰部(いんぶ)および口・目・鼻などで増殖することがあります。
 
 ところが、単純ヘルペスウイルスは、口や目を好んで宿主とする1型と呼ばれるウイルスと、オチンチンなどの陰部を好んで増殖するスケベエな2型ウイルスの二種類がいます。何で目玉を好きなのか、またどうしてオチンチンが好きなのかは、その理由はウイルスに聞いてみないと判りません。何も男の子のオチンチンだけじゃなくて女の子の微妙なところも同じように好むのです。
 またトリコモナスという虫は、女性の陰部や生殖器を好み、そこで増殖します。さらに淋病(りんびょう)は、淋菌(りんきん)と呼ばれる細菌による性感染症の一つです。このリン菌は、男女の区別なく生殖器で増殖します。このように微生物にも陰部を好むスケベエなバイキンがいるのです。
 

第七章. バイキンの種類と数
 日本国内にはヤオヨロズ(八百万)の神がいるといわれています。ヤオヨロズとは、沢山で正確な数は判らないという意味でしょう。私達の皮膚には1兆個またお腹には100兆個のバイキンが生息していると前に書きました。それでは地球上の土1グラムには何個のバイキンがいるのでしょう。答えは「誰にも判りません」となります。なにが判らないのでしょう、バイキンの種類または数が判らないのでしょうか。
 
 顕微鏡を用いて土を眺めてみましょう。どこから手に入たかによっても違いますが、土には大小さまざまな形のものが観察されます。石、砂、木片、草の根をはじめとする繊維など明らかに生き物でなさそうに見えるものを除いて、外観から生き物らしい構造物の数を顕微鏡下で算定します。実際は大変な仕事であり算定誤差も多きいのですが、土1グラムに数億個の生き物らしいものが存在するようです。
 
 微生物も生き物ですから、生きている証拠を見せてもらわないと、形だけでは生き物なのか無生物なのかの区別はできません。そこで食塩液10ミリに土1グラムをいれた液の0.1ミリをコンソメスープに寒天を加えた培地に塗りつけ、37℃のフラン器を用いて培養します。数日後に寒天表面を観察すると細菌やカビの集まった大きさ、形状や色の異なる集落がたくさん認められます。その集落の数を数えると、数10個のオーダーでした。ということは、土1グラムから数千個程度の集落をつくる細菌らしい生き物が検出されたことになります。少なくても数億個の微生物らしい構造物から数千個くらい(全体の十万分の一、0.001%程度)が微生物であるらしいとの結論が得られます。
 
 栄養分、培養温度、酸素含有率、培養日数を変更させて培養を繰り返しても、結果としては顕微鏡で見える生き物らしき数の十万分の一以下しか集落を作らせることができないのです。これは1パーセント以下しか微生物が存在しないことを意味するのではなく、「生きているが殖やせない微生物がいる」ことを示すと解釈されます。地球上の土1グラムに何個のバイキンがいるのかとの問いに、答えは「誰にも判りません」となる理由が判ってもらえましたでしょうか。
 

講義のあとで
 「生きているが殖やせない微生物」は、細菌に限らず、ウイルスにも存在します。例えば、ライ菌(ライ病の原因菌)は殖やせない細菌の一つです。C型肝炎ウイルスは殖やせないウイルスの一つです。ヒトからヒトに簡単にうつり、そのヒトの体内ではドンドン増殖しているのに、生体外ではどうしても殖やすことができないのです。生体内と生体外はどこのなにが違うのでしょう。宇宙に人間が飛んでいける現代になっても、理解できないバイキン、飼いならせない微生物が存在するのです。微生物はまだまだ理解できないフシギな存在なのです。
 
 ここにあげた例のほかにも、バイキンにすると当たり前でなんの不思議もなく極めて常識的であるのかも知れませんが、人間から見るとバイキンがどうしてそのような振る舞いをするのか、どうしてそのように器用なことが出来るのか私たちの常識でははかりきれません。これらの一部を「バイキンの常識、人間の不常識」な例としてあげてみました。さあー、君もバイキンに挑戦してみませんか!
 
『完』
 
平成18年12月26日
田口 文章
 
 
 

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