第13話
 シリーズ 水中の不思議なミクロの世界 〜その2〜

     海とその生態系 −生命のふるさと−
 

 
 
「主な対象読者」
 中学生から高校低学年生までが主な対象者です。
「先生へのお願い」
 言葉に惑わされると先に進みませんから、判らない用語がありましたら「微生物の用語解説」で調べてみてください。児童や生徒でも読めるように難しい漢字には(おくりかな)をつけました。お父さんやお母さんが子供と一緒に謎解きに挑戦してみてはいかがでしょう。
 親子で興味と時間を共有できることを期待しています。
 
 
 
 
本 文 目 次
第一章 海水の特徴
1.海水の塩分
2.海水中の微量元素
3.海水中の有機物
4.海水の pH 、温度と水圧
第二章 多様な海の生態系
1.海の生態系の区分
2.海洋細菌の特徴
3.海洋細菌の働き
4.海洋プランクトン
5.海洋動物
6.海藻と藻場
7.海の発光生物
8.謎の深海生物
9.食物連鎖と微生物
第三章 物質の循環と微生物の働き
1.炭素の循環
2.窒素の循環
3.硫黄 ( イオウ ) の循環
第四章 海水環境の異常現象
1.赤潮
2.赤潮に似た異常現象
第五章 食中毒の原因になる海の微生物
1.食中毒
2.腸炎ビブリオ
3.ノロウイルス
4.貝毒
5.フグ毒
 
 
著作 野村 節三
 

 
第13話 シリーズ 水中の不思議なミクロの世界 〜その2〜

     海とその生態系 −生命のふるさと−

 

第一章 海水の特徴
 日本は海に囲まれ、古くからいろいろな点で海と深い関わりをもってきました。とくに豊富な魚や貝海藻などは日本人にとって、なくてはならない大切な食べ物です。また海から蒸発する大量の水蒸気が雲となり、それが雨や雪になって地上に降るから、すべての生物が生きていけるのです。
 
 
 ところが、台風や地震(じしん)、津波といった災害も海という大自然の恐ろしい一面です。このように海は良い面と悪い面をもっていますが、ここでは、まず海の生物を育(はぐく)んでいる海水について学ぶことにしましょう。
 
1.海水の塩分
 海水とはどんな水でしょうか ?  また、なぜ海水が塩辛(しおから)いのでしょうか ?
 その原因は海のでき方にあります。前(第9話、その1)に述べたように、およそ41億年前に海が出現しました。当時の大気中にあった塩素や二酸化炭素が、大量の雨に溶けて降り注いで広大な低地に海ができました。
 またその時、岩石の中にはナトリウムやカルシウムなどの水に溶けやすい成分があり、これが大量の雨に溶けて、川水となって当時の海へ流れ込んだのです。そこで、これらの物質が互いに反応して、現在、海に溶けている様々な成分になったと考えられています。
 
 
 海水の成分で最も多いのが塩(塩化ナトリウム)で、その濃度は約2.8%です。海水が塩辛いのはそのせいです。そのほかに、海水にはナトリウム、カリウム、マグネシウ ム、カルシウムなどが塩素、臭素(しゅうそ)、ヨウ素、炭酸、硫酸などと化合した物質が含まれています。塩化ナトリウムのほかのおもな成分は量の順に、硫酸マグネシウム、塩化マグネシウム、塩化カルシウム、塩化カリウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸カルシウムなどです。これらを塩類(えんるい)といいます。
 
表1.海水と血清のおもな無機イオンの種類と割合
イオンの種類 海水中の濃度(%) 血清中の濃度(%)
 陽イオン
  ナトリウム
  カリウム
  マグネシウム
  カルシウム

1.077
0.040
0.129
0.041

0.138
0.004
0.002
0.005
 陰イオン
  塩 素
  臭 素
  硫 酸
  炭酸水素

1.935
0.007
0.271
0.014

0.102


0.027
海水の成分:海洋科学 別冊「海洋科学研究」 海洋出版
海洋学講座「海洋微生物」 東海大学出版会
百科事典 平凡社
血清の成分:生物化学ハンドブツク 技報堂
 
 種々の動物の血液など体液の無機イオン組成が、海水のそれと似ていることは、生命が海で誕生した時の海水の組成のなごりといわれています。また、生理学の実験で使われたり、病院で患者に注射されるリンゲル液やロック液は血液の代用液で、その塩類組成が海水のそれに似ているのです。また、生理食塩水 (0.85%) はその浸透圧(しんとうあつ)が細胞内のそれと等しい液で、生の細胞を壊さずに実験する時に使われます。ところで、一般では塩(しお)と塩分(えんぶん)を同じ意味に使われる場合がありますが、塩とそのほかの塩類をまとめて塩分といいますので、海水の塩分濃度は約3.5%です。ただし、海洋科学の分野では、海水1kg中の成分量をg数で表して、パーミル(千分率:‰)といいますので、塩分濃度は35‰(パーミル) です。
 
表2.海水のおもな塩類とリンゲル液、ロック液の組成
成  分 海水(%) リンゲル液(%) ロック液(%)
塩化ナトリウム
硫酸マグネシウム
塩化マグネシウム
塩化カルシウム
塩化カリウム
炭酸水素ナトリウム
2.80
0.69
0.55
0.14
0.065
0.050
0.65


0.012
0.014
0.020
0.9


0.024
0.042
0.020
リン酸一ナトリウム
0.001
グルコース
0.2 0.2
海水の成分:表1と同じ
リンゲル・ロツク液:百科事典 平凡社 
医学大辞典 南山堂
 
 この塩類の中で、塩化マグネシウムは古くから豆腐の製造に使われている苦汁(にがり) の主成分です。これはマグネシウム(イオン) が大豆のタンパク質を凝固(ぎょうこ)させる働きを食品に応用した例です。
 
 炭酸カルシウムは貝殻(かいがら)やサンゴの外殻(がいかく)の成分です。太古にこれらの死骸(しがい)が海底で大量の堆積物(たいせきぶつ)になり、海が隆起(りゅうき)して陸地になって、石灰岩や大理石になったと考えられています。そして、長い年代を経て徐々に水の侵食(しんしょく)作用で空洞(くうどう)になったのが各地にある鍾乳洞(しょうにゆうどう)です。岩手県の安家洞(あっかどう) は2006年の再調査で23.7キロメートルもあり、日本で最も長い洞窟(どうくつ)であることが判りました。
 
2.海水中の微量元素
 海水には、さらに多くの物質が溶けています。海水の精密な分析から海水中には、地球上の103元素のうち、短い寿命の放射性元素(ほうしゃせいげんそ)以外のすべての元素が存在していることが判っています。極微量(ごくびりょう)ですが金、白金、銀をはじめウランやラジウムなどの放射性元素も存在します。たとえば、海水100万トンの中には、ウランは3キログラム、金は30グラムも含まれています。
 このような微量元素を体内へ取り込んでいる海の生物も知られています。原索(げんさく)動物のホヤや軟体(なんたい)動物のウミウシがその例です。ある種のホヤの血液細胞には、ヴァナジウムを含む特殊なタンパク質があることが知られています。金属ヴァナジウムは褐鉛鉱などから製造されますが、融点が最高で鋼(はがね)に添加されて、高速度機械の製造に使われたり、ガリウムとの合金は超伝導磁石(じしゃく)として有用です。また、1991年にオーストラリアで、コストが低く出力が高い、新しいヴァナジウム蓄電池が開発されました。
 
 海水からこのような希少な元素を化合物や金属の形で、取り出そうという研究も始まっています。太平洋の深海底には、マンガン団塊(だんかい)とよばれる、おもにマンガンの酸化物からなる粒状物があることが知られています。このマンガン団塊ができた原因は深海の金属を吸収する特殊な細菌の作用であるという説が有力です。また、1993年に旧通産省の四国工業技術研究所で海水から、電池やクーラーの熱交換材などに使われているリチウムを大量に採取することに成功しました。
 
 このような水中の無機物質を取り出す方法の一つに、バクテリア・リーチングとよばれる方法があります。これは物質を微生物の体内に濃縮させ、それからその物質を溶かし出す方法です。この方法はすでに、鉄細菌を使って鉱山から出る廃水の中から有用な金属を取り出すことに利用されていますが、これを海水中の微量元素の濃縮に応用する研究は今後の課題です。
 鉄・マンガン細菌については、「その4 第二章3」で説明します。
 
3.海水中の有機物
 海水に溶けている有機物は無機物に比べて少なく、低栄養状態の水です。それでも、植物プランクトンや藻類にとっては、多量の無機物を利用して光合成で生きていけるので問題はありません。また、この低栄養の海にうまく適応した海洋細菌が生息しています。しかし、多くの海洋細菌は陸から流れ込む有機物や他の生物の死骸を分解して得られる有機物などを利用しています。
 
4.海水の pH 、温度と水圧
 海水のpH(酸性・アルカリ性の目安)はややアルカリ性です。世界の海水の表層のpHはほぼ一定で、平均して8.2くらいです。それは大気中の二酸化炭素の圧力と海水中の炭酸物質が炭素イオンや炭酸水素イオンになる釣り合いがあるからです。しかし、海水のpHはどこでも同じでなく、生態系によって違っています。たとえば、サンゴなどが炭酸カルシウムをつくったり、有機物が分解されて二酸化炭素になると酸性になり、炭酸カルシウムが海水に溶けたり、二酸化炭素が植物に使われるとアルカリ性になります。
 
 これに対して、海水の温度は海底の地形、海流、季節その他によってかなり違っています。赤道直下の海と極地の海では水温が極端に違います。また、海の深さでも水温が変化し、表面は比較的高く、深くなるほど低くなります。海の容積の90%以上が5℃以下であるといわれています。しかし、例外もあり海底火山地帯や熱水が湧(わ)き出る海底は非常に高温です。
 
 一般に水圧は10メートル深くなるごとに、1気圧上がりますから、深海は低温のうえに高い水圧がかかります。世界中の海の平均の深さは3,800メートルです。深さ3,000〜4,000メートルの深海は海全体の33%あるといわれています。最も深い海底は太平洋のマリアナ海溝(かいこう)で、中でも1957年にソ連船「ヴィチャージ号」によって発見されたヴィチャージ海淵(かいえん)は11,034メートルで、そこの水圧は1,000気圧以上になります。
 
 およそ200メートル以深の海水は海洋深層水(しんそうすい)とよばれています。海洋深層水は低温ですが、塩分が高濃度に溶けて、無機・有機物など栄養分に富むうえ、細菌が極端に少ないので、最近、魚介類の保存その他に利用されるようになりました。
 このように、海には条件が違う様々な環境があり、そこに棲む生物も多種多様です。それでは、海にはどのような生態系があり、互いにどのような関係にあるのでしょうか ?
 
 
第二章 多様な海の生態系
1.海の生態系の区分
 海に棲む多種類の生物は生態によって大きく、ネクトン、プランクトンとベントスの3つに分けられています。
 
表3.海の生態系の区分
 1.ネクトン(遊泳生物)
  海中を泳いでいる生物
    マグロ、サバ、イワシ、サンマなどの魚類
    イカなどの軟体動物
    グジラ、イルカ、シャチなどの哺(ほ)乳類
 2.プランクトン(浮遊生物)
  海中に浮いている生物
   1)巨大プランクトン: エチゼンクラゲなどの腔腸(こうちょう)動物
   2)大形プランクトン: オキアミなどの甲殻類、夜光虫、魚介類の幼生など
   3)小形プランクトン: 鞭毛虫類などの原生動物、大形珪藻類
   4)微小プランクトン: 珪藻類、鞭毛藻類、藍藻(シアノバクテリア)類など
   5)極微小プランクトン:細菌類 
 3.ベントス(底生生物)
  海底に付着したり、這い回ったり、潜っている生物
   ヒラメ、カレイ、アナゴなどの魚類
   ホヤなどの原索動物
   カニ、エビ、フジツボなどの甲殻類
   タコ、イカ、カイなどの軟体動物
   ウニ、ナマコ、ヒトデなどの棘皮(きょくひ)動物
   クラゲ、イソギンチャク、サンゴなどの腔腸動物
   カイメンなどの海綿動物
   コンブ、ワカメなどの海藻類
 4.ニューストン(表層生物)
  海の表層に棲む生物
   魚類、海鳥、海の哺乳類、爬虫類、動植物プランクトンや細菌などの微生物
 
 第一はマグロ、サバ、イワシ、イカのように海を泳いで生きるグループで、これをネクトン(遊泳生物)といいます。これには魚類のほかにクジラやイルカなど多くの海洋動物が含まれます。魚類の中でも、カレイ、ヒラメ、アナゴ、ホウボウ、アンコウ、オコゼなどは底生魚で第三の底生生物に入ります。
 
 第二に自分では泳げなくて海水に漂って生きているグループがあり、これをプランクトン(浮遊生物)といいます。これにはクラゲのような大型動物も入りますが、ほとんどが単細胞の緑藻や珪藻、原生動物、藍藻、細菌などの微生物です。また、多少運動できる生物でも、その力が弱く波や海流に逆らってまでも動けないのでこのグループに入ります。
 
 プランクトンは一般に、無機物を摂取して光合成で生きている植物プランクトンと、有機物を栄養にして生きている動物プランクトンに分けられます。また、大きさから、巨大プランクトン(エチゼンクラゲなど)、大形プランクトン(オキアミや魚介類の幼生など〉、小形プランクトン(小型動物プランクトンなど)、微小プランクトン(珪藻、藍藻など)、それと極微小プランクトン(細菌)に分けられています。
 
 第三は海底に付着したり、這(は)い回って生きているグループで、これをベントス(底生・付着生物)といいます。このグループにはカイ、ウニ、ナマコ、ヒトデ、フジツボなどの無脊椎(むせきつい)動物やほとんどの海藻などの付着生物が入ります。また、底生性のカレイやヒラメなどの魚類やカニ、大形のエビ、タコなどはこのグループですが、それらの幼生や小形の甲殻類(こうかくるい)は第二グループのプランクトンです。
 
 そのほかに、付着性の変形菌(粘菌)や細菌の中にもこのグループがいます。
 なお、上に記した3グループとは別に、海の表層に生息する生物をニューストン(表層生物)とよぶことがあります。表層には有機物がとくに多く、動物プランクトンや細菌などの微生物、魚、海鳥、海の哺乳(ほにゅう)類や爬虫(はちゅう)類など、様々な生物が餌を求めて生息しています。
 
2.海洋細菌の特徴
 前の項で述べたように、海水には多くの種類と膨大(ぼうだい)な数の微生物が生きています。その微生物には原生動物や大形の珪藻や鞭毛藻(小形プランクトン)、ほとんどの珪藻、鞭毛藻、酵母、藍藻(微小プランクトン)、細菌(極微小プランクトン)のほかに、海藻または海草に付着している海水菌類(カビ)や魚介類の体内にいるウイルスが含まれます。
 
 これらの海洋微生物の中でも、数からみてとくに多いのが海洋細菌です。一般に海洋環境で生育・増殖しているすべての細菌を海洋細菌とよんでいます。その数は海水1ミリリットル中に数百から数万、環境によっては数十万にもなります。また、海水中の細菌数の100ないし1,000倍の数の細菌が海底土にいます。
 
 一般の陸上の細菌は生育するためには、塩(塩化ナトリウム)は必ずしも必要ではないのです。このような細菌を非好塩菌(ひこうえんきん)といいます。一方、海には塩の有無に関係なく生育できる細菌、つまり、淡水でも海水でも生きることができる細菌もいて、これを耐塩菌(たいえんきん)といいます。この耐塩菌は陸上から海へ流れ込んで、海水になじんだ細菌と考えられます。海洋細菌の多くはその生育・増殖に塩が必要でこのような細菌を好塩菌といいます。
 
表4.塩の濃度による細菌の区分
区 分 生育する塩濃度
非好塩菌
耐塩菌
好塩菌
弱好塩菌
中好塩菌
強好塩菌
0%でのみ
0%または0%以上

2〜5%
5〜10%
20〜30%
 
 ところが、塩の濃度が海水よりさらに濃い環境にも細菌はいます。そこで、好塩菌は生育できる塩の濃度によって3群に分けられています
 
 海洋細菌のように、塩が2〜5%で生きる細菌を弱好塩菌といいます。さらに、塩が5〜10%で生きる細菌を中好塩菌、塩が20〜30%で生きる細菌を強好塩菌といいます。ただし、塩が冷水に溶ける限度は35.7%です。この中で、中・強好塩菌は塩湖や岩塩地帯などの自然環境や塩が多量に使われる塩蔵品(えんぞうひん)などに生存していますので、「シリーズ その4 第五章3」で述べることにします。
 
 話は海洋細菌にもどりますが、一般に細菌はその最外部にある細胞壁の違いによって、染色すると紫色に染まる細菌と赤色に染まる細菌に分けられます。前者をグラム陽性菌といい、後者をグラム陰性菌といって、細菌を分類する最初の手段になっています。海洋細菌をこの方法で分けると、なぜか海洋細菌の大部分がグラム陰性菌で、海水中に比較的多く見られます。グラム陽性菌は海水より海底土に多く見られます。グラム陰性菌にはシュードモナス、ビブリオ、エロモナスなど、グラム陽性菌にはコリネ型菌やミクロコッカスなどが含まれます。
 
 また、比較的有機物が多い海の表層にはニューストンとして種々の細菌がいます。その中には、赤、桃、橙、黄色などの有色細菌も非常に多く見られます。これらの有色細菌は海藻や植物プランクトンの表面にも多く、強い紫外線から身を守るためと考えられてきましたが、この色素が動物プランクトンに毒性があったという実験や観察がありますので、別の役割があるともいえそうです。
 
 しかし、外洋や深海は有機物が極端に少ない環境です。このような環境に適応し、普通の培地濃度の1,000分の1の低濃度で増殖する細菌を低栄養細菌といいます。そのほか、極地や深海から常温では増殖できず、5ないし0℃で増殖する細菌が見つかっています。この細菌を低温細菌といいます。また、深海は非常に高い水圧で、そのような高圧下で増殖し、大気圧下では増殖できない細菌を好圧細菌といいます。これらの特殊な細菌は研究者に注目されていますが、高圧の下での実験がむずかしく、その謎の解明は今後の研究にかかっています。
 
3.海洋細菌の働き
 「海は生命のゆりかご」といわれるように、非常に多数の生物が生息していますが、その生物もやがては死ぬ運命にあります。海の生物が死んで、もしそのままだと海底はこれらの死骸(しがい)で埋まり、悪臭(あくしゅう)がする海水になって海の生物は生存できなくなり、文字どおり死の海になってしまうでしょう。
 
 では、なぜ広い湾内や外洋はいつもきれいに澄(す)んでいるのでしょうか? その答えは微生物の働きにあります。自然の仕組みはうまくできていて、微生物とくに無数の細菌がたえまなく、これらの死骸や陸からの有機物を分解しているからです。つまり、細菌の一面は海の掃除屋といえるのです。これを海の「自浄(じじょう)作用」とよんでいます。
 
 すでに述べたように、海水に溶けている有機物は非常に少ないので、多くの海洋細菌はこの生物の死骸や浮遊している有機物(これをデトリタスといいます)を栄養源にしています。そのために、細菌はタンパク質や糖類など複雑な有機物を分解する酵素をもっているのです。糖類の中でも海藻に含まれる寒天やカニ、エビなどの甲殻類の甲羅(こうら)に含まれる強固なキチンさえも分解する細菌もいます。
 
 また、沿岸で石油に汚染されている海水には、石油を分解する細菌がいます。そして、分解されてできたアミノ酸や単純な糖を体内へ取り込んで、酸素を利用した呼吸作用で得られるエネルギーを使って、自らの細胞をつくって増殖します 。そして、その作用の最終は水と二酸化炭素になるのです。
 
4.海洋プランクトン
 海の中では、海草や海藻のほかに、単細胞の藻類である微小な植物プランクトンが水と二酸化炭素を材料にして、太陽の光エネルギーを使った光合成を盛んに行なって生きています。幸いにも、これらの海藻や植物プランクトンは多量の酸素を出しています。その酸素を魚類ほか、多くの動物や微生物など好気性生物が利用しているのです。
 
 そこへ、原生動物や小形甲殻類などの動物プランクトンが登場します。これら動物プランクトンの栄養源は有機物ですから、植物プランクトンや細菌を捕食して成長します。
 
5.海洋動物
 海にはこれらの動植物プランクトンを捕食する多くの動物がいます。稚魚やホタテガイ、カキなどの二枚貝、ホヤ、魚類などのより高等な動物です。
 
 イワシ、サンマなどの小形の魚類は動物プランクトン(小形甲殻類)を追って 、広く外洋を回遊しています。また、サバ、アジ、カツオ、ニシン、タラなどもおもに動物プランクトン(小形甲殻類)を食べますが小魚も食べます。タイの稚魚はプランクトンを食べていますが、成魚はエビなどを食べます。
 
 サケ・マス類は川で産卵し、稚魚または幼魚になって海へ下り、北洋で回遊しながら、オキアミなどの小形甲殻類を食べて成長する降海型の魚です。サケ・マス類については、「シリーズ その4 第三章2」で説明します。
 
 ところで、サケ・マス類の成魚の肉のサーモン・ピンクアスタキサンチンという色素ですが、甲殻類の赤い色素も同じです。つまり、甲殻類の色素がそのままサケ・マス類へ移ったとも考えられます。
 
 また、現在地球上で最大の動物であるシロナガスクジラ(31メートル) や最大の魚類であるジンベイザメ(10数メートル) のような巨大な海の生物も、大きな口で海水もろとも、大量の動物プランクトン(おもに甲殻類の幼生)や小魚を食べています。沿岸の海ではヒラメ、スズキ、イカなどがおもに小魚を食べ、マグロやブリは小・中形の魚類やイカなどを追って海を回遊しています。
 
 底生魚であるカレイ、アイナメ、アナゴなどは海底の種々の下等動物を食べていますが、タコはカニ、エビ、カイ、小魚なども捕食しています。
 
6.海藻と藻場
 ベントス(底生・付着生物)である藻類の中でも、海藻の種類は多く、太陽光線が強い浅い海底や磯などには、おもにアオノリなどの緑藻(りょくそう)類が生育しています。水深が深くなるほど、太陽光線が弱くなりますので、やや深い海底にはおもにアサクサノリ、テングサなどの紅藻(こうそう)類やワカメ、コンブなどの褐藻(かっそう)類が多く生育しています。アワビやウニは海藻を主食にしていますから、ワカメやアラメなどの褐藻類が繁茂する岩礁地帯がおもな生息地です。このような海藻を分解して栄養源にしている細菌も知られています。
 
 また、内湾の浅い海で、アマモ(海草)やホンダワラ(海藻)が繁茂しているところを藻場(もば)といいます。ここには酸素が多く、多数の細菌や動植物プランクトンが生息しているため、稚魚や小動物の棲みかとして絶好ですから、最近、沿岸漁業ではこのような藻場を人工的に増やす計画がもちあがっています。
 
7.海の発光生物
 発光する生物といえば、日本で古くから親しまれているホタルですが、陸上ではある種のムカデやヤスデのほかに、発光キノコも65種類ほど知られています。ところが、発光生物のほとんどは海に生息しているのです。海の発光生物の中で、日本でよく知られているのは富山湾のホタルイカでしょう。また、夜の海面で幻想的な光を放つ夜光虫もその一つで、深海にも深海魚をはじめ、多種類の発光生物が生息しています。
 
表5.海のおもな発光生物
発光の仕組み
生物の種類
発光生物
体内に発光器をもつ
(細胞内発光)






 
原核生物:細菌
原生生物:渦鞭毛藻類
腔腸動物:花虫類
紐形動物:有針類
節足動物:甲殻類
軟体動物:頭足類
棘皮動物:有在類
原索動物:尾索類
 魚 類 :硬骨魚類
発光細菌(フォトバクテリウムほか)
夜光虫 ウズオビウム
ウミサボテン ウミシイタケ
ヒカリヒモムシ
コペポーダ サクラエビ
ホタルイカ ユウレイイカ シマダコ
クモヒトデ
ヒカリボヤ
ハダカシワシ ヒカリキンメ
体外へ発光液を出す
(細胞外発光)




 
環形動物:多毛類
腔腸動物:刺胞類
      :有櫛板類
節足動物:甲殻類
軟体動物:腹足類
      :頭足類
ウキゴカイ オヨギゴカイ
オワンクラゲ
ウリクラゲ オビクラゲ クシクラゲ
ウミボタル
ヒカリウミウシ
ギンオビイカ
発光器をもち
   発光液を出す
 魚 類 :硬骨魚類    チョウチンアンコウ
 
発光細菌と共生


発光甲殻類の
  発光物質を利用
軟体動物:頭足類

 魚 類 :硬骨魚類

 魚 類 :硬骨魚類
ケンサキイカ ダンゴイカ ミミイカ
ヒメカリイカ ヤリイカ
ヒイラギ マツカサウオ

キンメモドキ ツマグロイシモチ
 
 これらの生物発光はその現象によって、2つに分けられています。一つは昆虫のホタルや原生動物の夜光虫などのように、体内で発光物質が光る場合を細胞内発光といいます。一方、甲殻類のウミボタルなどのように、発光物質がいったん体外へ出てから光る場合を細胞外発光といいます。
 
 生物発光のおもな反応はルシフェリンという物質に、ルシフエラーゼという酵素が働き、そこで生じる化学エネルギーによっておこる発光です。これは熱が出ないので「冷光」といわれています。発光物質は日本ではおもに名古屋大学の平田義正教授の門下で研究され、ウミホタルのルシフェリンの結晶化、構造、発光の仕組みなどが明らかにされました。
 
 ところで、海の発光生物の中で、魚とイカは同じような発光の仕組みをもっているのです。その仕組みは、ハダカイワシやホタルイカのように、@体内に独自の発光器官をもつもの、ウミボタルやギンオビイカなどのように、A刺激を受けると体外へ発光液を出すもの、チョウチンアンコウのようにB発光器をもち発光液を出すもの、マツカサウオやミミイカなど多くのイカに見られるようにC発光細菌を共生させて発光するもの、ツマグロイシモチやキンメモドキのように、ウミボタルや発光エビなどの甲殻類を食べて、そのD甲殻類の発光物質をもとにして発光するもの、の5型に分けられます。
 
 このように、海の発光動物にも微生物が共生や寄生の形で関わっているのですが、発光する微生物の多くはプランクトンとして単独で生息しています。中には、原索動物のヒカリボヤ、腔腸動物のクシクラゲや甲殻類のオキアミ、コペポーダ、ウミボタル、環形動物のオヨギゴカイなど、やや大形の動物プランクトンも発光しますが、そのほとんどが原生動物や細菌などの微小なプランクトンです。
 
 原生動物の夜光虫は海に生息する単細胞の渦鞭毛藻の1種で、うすい紅色をしていて異常に発生すると赤潮が発生しますが、これは漁業に被害はありません。 発光する海の原生動物にはほかに放散虫(ほうさんちゅう)も知られています。
 
 一方、発光する海洋細菌については、種類が多く一時は分類が混乱しましたが、現在はビブリオ、フォトバクテリウム、ルシバクテリウムの3属、5種に統一されています。発光細菌は培養直後は見事に青白く発光しますが、日がたつと発光しなくなります。その発育や発光には酸素が必要で、空気を抜いたアンプルに保存しておき、4年後にアンプルを開封して酸素を供給したところ、発光が回復し、さらに驚いたことに、なんと28年間も生きていたという報告があります。
 
 発光細菌は先に述べたように、イカや魚類の発光器官に共生したり、有機物に付着したり、ときには死んだ魚介類に寄生する場合もあります。買ってきた魚やイカが夜に青白く光るのは、その寄生した発光細菌が増殖するからです。しかし、同種の発光細菌が特定の魚介類に寄生する仕組みはまだ判りません。
 
 このように、生物発光は大変興味をそそる現象です。将来、この生物発光の仕組みが遺伝子のレベルで解明されれば、バイオテクノロジーの一分野として熱を伴わない光が実用化されるのも夢ではないでしょう。
 
 その夢は筆者が本文を書いた1年8ヶ月後に実現しました。オワンクラゲから取り出された緑色蛍光タンパク質(GFP)を研究した米国のウッズホール海洋生物学研究所上席研究員の下村脩(おさむ)博士が2008年のノーベル化学賞を受賞されたというビックニュースはまだ記憶に新しい所です。
 下村博士は前に述べた名古屋大学の平田研究室で、ウミホタルのルシフェリンの結晶化に成功し、渡米後、約40年前の1960年代にオワンクラゲの蛍光物質を研究したのです。その後、この物質がほかのタンバク質と結合して蛍光を出すことから、癌(がん)の転移を調べたり、遺伝子の組み替え実験にも用いられるようになり、将来はアルツハイマー病や糖尿病の研究にも応用される道が開けたことで、日本人として5人目の化学賞に輝きました。
 
8.謎の深海生物
 水圧が高く真っ暗な深海には、深海魚をはじめ様々な生物が生息しています。近年、高い水圧にも耐える深海潜水艇や有人・無人探査(たんさ)機が発達して、深海の謎が明らかになりつつあります。
 
 1960年にアメリカの「バチスカーフ・トリエステ2号」が世界で最も深い太平洋のマリアナ海溝(かいこう)にあるトリエステ海淵(かいえん)(10,916メートル) へ潜り、その深海にも生物がいることが判りました。
 
 その後、アメリカの「アルヴィン号」が東太平洋のメキシコ沖の深さ2,600メートルの深海へ潜り、そこの海嶺(かいれい)(海底の山脈)の熱水噴出孔(中心部の温度は350℃)の 近くで、熱水と堆積物を採取して調べて、好熱菌の1種のメタン菌(メタンをつくる細菌)が分離されました。メタン生成菌については、「シリーズ その4 第五章2」で述べます。
 
 ここ十数年の間に、日本でもアメリカとの共同研究で、深海の不思議な生物が相次いで発見されています。1998年に海洋科学技術センターの潜水調査船「しんかい6000」 が1,940〜4,730メートルの深海で、全長が7メートルもある巨大イカの撮影に成功しています。最近、遂に巨大イカが捕獲されたとテレビでも報じられました。
 
 また、2000年には日本の同センターの無人探査機「かいこう」によって、インド洋のマダガスカル島東方沖約2,500メートルの深海底の300℃以上の熱水噴出孔で、全身が白く、眼がほとんど退化した新種のエビ(4〜6センチメートル)が発見されました。そのほかにも、カニ、イソギンチャクや巻貝などの深海生物も見つかっています。
 
 2006年 、南東太平洋のイースター島(バスクア島)南部の深海の熱水噴出孔付近からは、はさみや脚が剛毛に被われた新種のエビが、また、ハワイ諸島のカネミロハイ環礁の深海からは、赤や青に彩られた美しい新種のエビが発見されました。これらの甲殻類はプランクトンや細菌を餌にしていると考えられています。
 
 最近、水深2,000メートルの深海の熱水噴出孔付近で、群生しているハオリムシ(チューブワーム)やシロウリガイが見つかりました。さらに、これらの体内には、硫黄(イオウ)酸化細菌を共生させていることが判りました。この細菌が硫化水素などの硫黄化合物を酸化して、そのエネルギーで有機物をつくり、その有機物を栄養源にして、深海の特殊な環境で生きていると考えられています。
 
 深海といえば、ニホンウナギはどこで生まれるのか? ということは長い間の謎でした。その謎を追って20年、遂に2005年にその産卵場所が東大海洋研究所の塚本勝巳教授らによって突き止められました。その場所は西太平洋のグアム島の北西約200キロメートルのスルガ海山のあたりと特定されました。スルガ海山(山頂は海面下約40メートル)はマリアナ海溝に近く、その海山の周辺は水深約3,000メートルの広い海底です。捕獲されたのはプレ・レプトセフアルスという誕生したばかりの幼生(全長は4.2〜6.5ミリメートル)です。
 
 日本や中国で養殖されているウナギの稚魚(シラスウナギ) は沿岸で採取されますが、この稚魚がはるかグアム島沖の深海で生まれ、フィリピン沖から台湾・ 琉球沖を経て、日本の沿岸にたどり着き、成魚になって川へのぼってくるという ウナギの回遊経路(かいゆうけいろ)は実に壮大です。この稚魚も微小な海洋プランクトンを捕食して成長すると考えられています。
 
 このように、微生物は深海生物とも深い関わりがあるのですが、その生態の研究は始まったばかりで、まだまだ謎に包まれた世界です。
 
9.食物連鎖と微生物
 これまで述べたように、海はまさに生物の宝庫です。そして、それらの生物が死骸になると、再び海洋細菌が分解して、その有機物を栄養源として生育するのです。こうして、海では微生物からより高等な動植物まで、互いに関連しあって生きています。これを海の「食物連鎖」といいます。海の発光動物の多くが発光 微生物を利用しているのも、「食物連鎖」の特殊な例といえるでしょう。
 
 このように、海洋微生物は海の生態系の底辺で、分解者と同時に生産者となって、他の多くの生物の命を支える役割を担っているのです。この「食物連鎖」には「物質の循環」という側面がありますので、次はそれについて述べましょう。
 
 
第三章 物質の循環と微生物の働き
1.炭素の循環
 前の項では海の生態系からみた微生物の役割を話しましたが、ここでは、物質の循環という見方から微生物の働きを考えます。
 地球上の生物はすべて有機的な炭素化合物からできています。そのおおもとは大気や水の中に存在する二酸化炭素です。その海水に溶けている二酸化炭素を海藻や植物プランクトンが光合成の作用で、ぶどう糖(グルコース)と酸素に変えます。そして、植物体内ではぶどう糖から種々の有機物ができます。

 
 一方、動物はその有機物を炭素源にして、呼吸作用で種々の体内成分を合成しますが、一部の炭素は二酸化炭素の形や有機物のまま体外へ出ます。そこで、これらの有機物や生物死体などを海洋細菌が分解して体内へ取り込みます。そして、有機炭素は最終的には無機物の二酸化炭素に戻るのです。これを「炭素の循環」といいます。 
 
2.窒素の循環
 大気の5分の4を占める窒素は、海水や海底の堆積(たいせき)物にも溶けています。この窒素は海の窒素を固定する細菌や藍藻によって取り込まれ、その体内でアンモニアからアミノ酸に変化して、複雑なタンパク質や核酸になります。
 
 これらの微生物は動物プランクトンに捕食されて、その栄養源になりますが、尿素やアンモニアの形で体外へ出ます。また、動物の死骸中のタンパク質は細菌(タンパク質分解細菌と脱アミノ細菌)によって、分解されてアンモニアになります。
 
 
 一般に、アンモニアは生物にとっては有害です。ところが、このアンモニアを酸素で酸化して、亜硝酸塩にして、さらに硝酸塩まで変化させる硝化細菌(アンモニア酸化細菌と亜硝酸塩酸化細菌)がいますから、海の生物にとっては好都合です。こうして 、有機窒素から再び硝酸塩の形で無機窒素へ戻ります。そこで、この硝酸塩を窒素源にする海藻、植物プランクトンや細菌などが吸収します。
 
 また、硝酸塩は細菌(硝酸塩還元細菌)によって亜硝酸に戻ります。そこで、亜硝酸塩は海底の堆積物にいる細菌(脱窒細菌)によって、窒素ガスとして放出され、このサイクルが繰り返されています。これを「窒素の循環」といいます。
 
3.硫黄(イオウ)の循環
 陸上と同じように、海中でも炭素や窒素のほかに硫黄やリンの循環もあり、これらの循環に細菌が重要な働きをしているのです。
 海底の堆積物には多量の生物死骸も混ざっています。その有機物は海洋動物によって消化されたり、一般の海洋細菌によって分解されます。その時、硫黄を含んだ有機化合物が硫化水素に変化します。そこで、これを酸化・分解する別の細菌が働きます。
 
 
 この硫黄化合物を酸化してそのエネルギーで生育する細菌を硫黄細菌といいます。硫黄細菌には酸素がある環境(好気的)で硫黄化合物を酸化する無色の硫黄細菌(チオバチルスなど)と、酸素がない環境(嫌気的)で硫黄化合物を酸化して、光合成で生育する紅色(クロマチウム)や緑色(クロロビウム)の硫黄細菌に分けられます。
 
 海ではこれらの硫黄細菌が硫化物を酸化して硫黄にしますが、さらに硫黄細菌によって酸化が進むと、硫酸塩になって海水中に溶け込みます。無色の硫黄細菌の中には、生じた硫黄を細胞内に頼粒として蓄積するタイプもあります。
 
 また、一部の硫化物は硫黄細菌によって直接硫酸塩へ酸化されます。また、この硫酸塩は硫酸塩還元菌とよばれる細菌によって硫化物へ還元されます。
 
 そこで、海水中に溶けた硫酸塩を藻類、植物プランクトン、一般の海洋細菌やカビなどが無機栄養源のーつとして体内へ取り込んで増殖します。そして、これらの生物にある有機硫黄化合物が、再びこのサイクルへ入るのです。これを「硫黄の循環」といいます。

 筆者も20年前に、この硫黄細菌を調べた経験があります。それは南三陸沿岸の湾内のある魚類養殖生け簀(いけす)の海底が、一面に白い膜状物で被われたことがありました。 硫化水素の臭いがするその黒い海底の泥から1種の細菌を分離して、それがベッギアトアという好気的な硫黄細菌であることが判りました。
 
 つまり、このような養殖生け簀では、餌の残りかすや魚の死骸などが海底に沈積します。そこに適度な酸素があると、これらの有機物を一般海洋細菌が分解して、硫化水素が発生して黒い硫化物ができます。そこで、その硫化物を酸化する硫黄細菌のベッギアトアが増殖して、一面に白い膜状物ができたのです。ベッギアトアは糸状の細菌で、体内に硫黄を蓄積しますので、その大集落が白く見えたのです。このような現象は海水が停滞する内湾の海底が富栄養化しておきます。
 
 ベッギアトアも海の「硫黄の循環」に一役買っている細菌ですが、皮肉にもその環境が養殖生け賛であると別問題です。この状態が続くと、養殖魚類に悪影響を及ぼしますから、海底土をさらえて取り除く浚渫(しゅんせつ)や適度の給餌(きゅうじ)などの対策が必要です。このように、清浄に見える海でも、海水環境が変わると別の特殊な微生物が現われます。この現象も広い意味で自然界での「菌交替現象(きんこうたいげんしょう)」の一つといえるでしょう。次に、海水が異常に変化する現象について述べます。
 
 
第四章 海水環境の異常現象
1.赤潮(あかしお)
 沿岸の海水が突然赤く変化する現象は、外国では古く旧約聖書に記録され、日本では奈良時代の初期から知られていたといわれています。赤潮が発生すると、しばしば魚介類が大量に死んで、漁業に大きな被害をもたらしますので、海水環境の悪化の典型的な例として、世界的にも大きな問題となっています。
 
 赤潮とはおもに微小な植物プランクトンの大増殖によって、海面が赤くなる現象をいいます。ただし、その色は赤色だけでなく、原因になる植物プランクトンの細胞内に含まれる色素によって、黄色、褐色、緑色、ピンク色にもなります。
 赤潮の原因になる植物プランクトンはおもに単細胞の珪藻(けいそう)類、渦鞭毛藻(うずべんもうそう)類、ラフィド藻類、ハプト藻類などが知られています。前に述べた発光プランクトンの1種で、渦鞭毛藻類の夜光虫(やこうちゅう)は被害のない赤潮の原因になることがあります。
 
 赤潮は広く全世界におよび、太平洋、インド洋、大西洋、地中海の沿岸や内湾に多く発生しています。日本ではおもに太平洋、瀬戸内海、有明海の沿岸と湾内や日本海側の新潟以南の沿岸や博多湾でも発生しています。
 
 植物プランクトンは光、温度、栄養分、海水の停滞などの条件がそろうと、爆発的に大増殖して、最盛期には海水1ミリリットルあたり、数千から数万個の細胞に達します。とくに、生活廃水や工場廃水が流れこむ富栄養化した内湾では、春から夏にかけて赤潮が発生しやすいといわれています。
 
 魚介類が大量に死ぬ原因は溶存酸素の欠乏などによる窒息死や、プランクトンや細菌が出す有毒物質によると考えられていますが、赤潮発生のメカニズムは多くの要因が複雑に関係していますので、まだ十分に解明されていません。
 
表6.植物プランクトンによる海の異常現象
 異常海水の呼名  海水の色          原因プランクトン
 赤 潮  赤色  珪藻類、渦鞭毛藻類、ラフィド藻類、ハプト藻類
 白 潮  乳白色  珪藻
 青 潮  汚い緑色  珪質鞭毛藻
 緑 潮  緑色  藍藻
 なっぱ水  黄褐色  珪藻類
 
2.赤潮に似た異常現象
 東北地方の三陸沿岸でよばれる「厄水(やくみず)」は、低温で塩分(えんぶん)が少なく、植物プランクトンが非常に多い海流がくると、魚介類などが急に不漁になる現象です。その原因になるのはある種の珪藻です。
 
 東京湾の千葉沖では珪藻の1種が大増殖して、その死骸で乳白色になる現象を「白潮(しろしお)」とよんでいます。
 また、東京湾の大森付近では夏に珪質鞭毛藻の1種が増殖して、海水が汚い緑色になり、魚介類が不漁になったり、死亡する現象を「青潮(あおしお)」 とよんでいます。
 
 そのほか、相模湾沿岸で珪藻類が多い黄褐色の海水を「なっぱ水」とよび、これも不漁の原因として知られ、五島列島では藍藻の1種が大発生して、緑色になる現象は「緑潮(みどりしお)」とよばれています。
 
 次に、私たちの日常生活を脅(おびや)かし、最近よく報道される食中毒と、その原因になる微生物について述べましょう。
 
 
第五章 食中毒の原因になる海の微生物
1.食中毒
 食中毒とは、有害微生物や有毒物質を含んだ食物を食べたことでおこる、神経や胃腸の障害です。食中毒の原因は大きく細菌やウイルスなどの微生物によっておこる場合と、有毒植物、毒キノコ、フグなどの自然毒と、有機水銀や農薬などの化学物質によっておこる場合があります。そのほかに、サバなどの腐敗した食品にあるヒスタミンでおこるアレルギ一性食中毒もあります。自然界には様々な有毒な動植物や微生物がいますが、食中毒はそれを食べておこる障害だけに限られます。
 
表7.海産の魚介類によるおもな食中毒
食中毒 蓄積生物 原因微生物 有毒成分(粒子) 症状
細菌性急性
胃腸炎
魚貝類
 
腸炎ビブリオ
 
耐熱性溶血毒素ほか
 
腹痛、発熱、下痢
悪心、血便、吐き気
ウイルス性
急性胃腸炎
カキなど
 
ノロウイルス
 
ウイルス粒子
 
腹痛、発熱、下痢
 
貝中毒
・麻痺性貝毒


・下痢性貝毒


・神経性貝毒


記憶喪失性
    貝毒

ホタテガイなど


ホタテガイ、ムラサキイガイなど

カキなど


ムラサキイガイなど
 

渦鞭毛藻類
アレキサンドリウム

渦鞭毛藻類
ディノフィシス

渦鞭毛藻類


珪藻類
 

サキシトシン


オカダ酸
ディノフィシストキシン

プレベトキシン


ドウモイ酸
 

しびれ、呼吸麻痺
頭痛、言語障害

下痢、腹痛、吐き気


瞳孔散大、下痢、
体にひりひり感

胃腸障害、神経障害
 
フグ中毒

 
マフグ、
クサフグなど

 
細菌
プランクトン

 
テトロドトキシン

 
運動神経麻痺、
吐き気、
呼吸障害、致死
 
 
中でも、細菌によっておこる食中毒が最も多く、それは細菌がもっている毒素の作用ですから、人体内で細菌が増殖しておこる食中毒と、食品中で細菌が出した毒素が人体に入っておこる食中毒があります。
 
 食中毒といえば、社会問題にまでなった病原性大腸菌O157事件はまだ記憶に新しいところです。また、昨年2006年来、ウイルス性の食中毒の原因として、世間を騒がせているノロウイルスは、食中毒細菌の一つである腸炎ビブリオと並んで、水産業にも大きく影響します。そこで、海に関係がある食中毒について述べること にしましょう。
 
2.腸炎ビブリオ
 細菌によっておこる食中毒は数多く知られていますが、腸炎ビブリオは本来、海にいる細菌ですから、海産の魚介類を食べておこる食中毒のほとんどはこの細菌が原因しています。とくに、魚介類は日本人の食生活にとって重要ですから、日本での細菌性の食中毒の中で、腸炎ビブリオでおこる食中毒が60〜70%を占めています。この食中毒は、1950年に大阪市と岸和田市で、20名が死亡した「しらす干し食中毒事件」が最初です。その原因菌は藤野恒三郎博士によって調べられ、わが国で発見された唯一の食中毒菌となりました。
 
 腸炎ビブリオは弱好塩菌(第二章、2.海洋細菌の特徴)の1種で、鞭毛で運動するコンマ状の細菌です。この細菌は熱に強い毒素をもっていて、血液を溶かす作用や細胞と心臓に毒性があります。そのほかに、同じビブリオ属のコレラ菌の毒素に似た下痢性の毒素も出します。
 
 この食中毒は夏季に多く発生しますが、冬季は海底の泥土の中で越冬し、海水温が上がると動物プランクトなどを経て、魚介類に付着して人の体内へ入るのです。とくに、生の魚介類がおもな感染源になっています。その症状は腹痛、悪心 、嘔吐(おうと)、発熱、下痢、ときには血便などです。割合に早く快方に向かいますが、高齢者では心臓衰弱(すいじゃく)から死に至ることがありますので注意が必要です。
 
3.ノロウイルス
 これは1972年に発見された急性の胃腸炎をおこすウイルスで、かつては小形球型ウイルスとよばれていましたが、最初、アメリカのオハイオ州にあるノーウオークの小学校で、集団食中毒が発生したことから、その地名をとってノロウイルスとよばれるようになりました。
 
 日本では2005年に、広島県福山市の特別養護老人ホームで、ノロウイルスによる集団食中毒事件が発生し、その後、千葉県や岩手、秋田、山形各県でも発生し、死者も出て社会問題になりました。最近 (2006年)、修学旅行生に集団食中毒がおきて以来、各地でこのウイルス感染症の患者が出て死者もありました。
 
 このウイルスの形は正二十面体で、ウイルスの中でも最も小さく ( 直径38ナノメーター:1ナノメーター=100万分の1 ミリメーター)、小児マヒウイルスとほぼ同じ大きさです。表面には凹凸があり、中心に遺伝子核酸(RNA)があって、その周りはタンパク質で被われています。また、このウイルスは高温や塩素処理で不活性化されます。
 
 感染の経路はノロウイルスに汚染された食品から感染する場合(食中毒)と、感染者の汚物が空気中に飛び散って感染する場合があります。食中毒の場合のおもな感染源は生のカキですが、そのほかにシジミ、アサリ、ハマグリ、サザエ、イガイも感染源になります。
 
 ノロウイルスが河口や海にいると、貝類が餌のプランクトンと一緒にノロウイルスも吸引して、中腸腺(軟体動物の肝膵臓)に蓄積されます。そのような貝を生食した場合や、このウイルスの感染者の嘔吐物や大便からも感染して伝播します。人体内へ入ったノロウイルスは小腸の上部の上皮細胞へ侵入して、急性の胃腸炎をおこします。このウイルスは感染者の汚物と共に川から海へ流れ、海で貝に蓄積されて、その貝の生食で再び人へ感染するサイクルを繰り返していると考えられています。
 
 ノロウイルスは熱に弱いので、調理場や食器は加熱処理または塩素処理が適切で、加熱した貝料理では食中毒はおきません。
 
4.貝毒
 世界各地の沿岸地域では、貝類によるノロウイルス食中毒とは違った食中毒がおきて問題になっています。海の環境が変化すると、渦鞭毛藻、珪藻、藍藻(藍色細菌)などの有毒な 植物プランクトン(有毒微細藻)が異常に増殖します。これらの有毒植物プランクトンを貝が捕食すると、その毒が貝の体内に蓄積されます。そして、その貝を食べた場合に、麻痺(まひ)や下痢などの食中毒症状がおきるのです。日本では毒化したホタテガイによる食中毒が最も多く、ときにはアワビ、カキ、イガイなども毒化して食中毒をおこします。その原因は上に述べた有毒な植物プランクトンがもっている種々の貝毒です。
 
 現在、知られている貝毒として、数種の渦鞭毛藻や藍藻(藍色細菌)がもっている麻痺性貝毒(サキシトキシン)、別の数種がもっている下痢性貝毒(オカダ酸とディノフィシストキシン)と神経性貝毒(ブレベトキシン)、ある種の珪藻がもっている記憶喪失(そうしつ)性貝毒(ドウモイ酸)があります。
 
 現在、貝毒がどのような仕組みで、微細藻に蓄積されるかということが、研究者の注目を集めています。麻痺性貝毒をもつ渦鞭毛藻の細胞から、ある種の細菌が分離され、その細菌からサキシトキシンが検出され、さらに、貝毒をもった別の細菌も分離されたという報告があります。しかし、議論が別れていますので、この毒化のメカニズムはまだ謎を残しています。
 
 ところで、貝毒をもつ微細藻はしばしば赤潮が発生する原因にもなりますが、赤潮が発生していない海でも異常増殖して、貝を毒化させることが知られています。しかし、神経性貝毒と記憶喪失性貝毒による魚介類の汚染や食中毒はカナダやアメリカでおきていて、日本では現在のところ知られていません。
 
5.フグ毒
 フグ毒は中国では古く、2,200年前の秦の始皇帝(しこうてい)時代から知られていたといわれています。日本でも貝塚の調査によって、すでに古代人がフグを食べていたと考えられています。フグ毒による死亡者は古くから多く、現在でも食中毒での全死亡者の60〜70%を占めていますので、フグ毒は一般によく知られた動物毒の代表格です。
 
 現在、日本で最も多く料理に使われるフグはトラフグで、次いでマフグやカラ スフグです。日本産のフグは19種類知られていますが、中でも、マフグ、クサフグ、コモンフグ、ヒガンフグ、ショウサイフグ、ノフグは猛毒で、トラフグ、アカメフグ、シマフグ、ゴマフグは強毒です。有毒部分はフグの種類によって多少違いますが、おもに卵巣、精巣、肝臓、皮膚、腸などで、中には筋肉も有毒なフグがいます。
 
 フグ中毒の症状は、はじめは運動神経が麻痺して、吐き気や頭痛をともなうこともあり、さらに進むと舌やのどが麻痺して、血圧が低下し、呼吸も困難となり、ついには全身の機能がなくなって、呼吸停止で死に至ります。
 
 フグ毒の本体はテトロドトキシンとよばれ、日本でとくにその化学的な研究が盛んに行なわれました。テトロドトキシンの化学構造の研究は日本の津田恭介教授(東大)、平田義正(名大)・仁田勇(阪大)両教授、アメリカのR.B.ウッドワード教授(ハーヴァード大)の各グループが別々に研究して、1964年、京都で開かれた国際学会で発表され、3グループによる化学構造がまったく同じであったことは、今も語り草になっています。
 
 フグ毒テトロドトキシンの作用は神経の麻痺ですが、その作用のメカニズムは次のように考えられています。正常な神経細胞には電気信号を伝えるために、細胞膜にナトリウム・イオンが出入りする通路があります。フグ毒テトロドトキシンはその通路を妨害する作用があります。その通路がこの毒で塞がれると、電気信号が流れなくなって神経麻痺をきたすのです。
 
 ところで、不思議なことにフグ毒はフグだけがもっているのではないのです。最初、カリフォルニア・イモリの毒であるタリカトキシンが、フグ毒のテトロドトキシンと一致したことが、京都での国際学会で発表されました。それ以来、日本のツムギハゼをはじめ、コスタリカのカエル、ヒョウモンダコ、ボウシュウボラなどの貝類、スベスベマンジュウガニなどの甲殻類のほか、ヒラムシ、ヒモムシ、エラコなどの下等動物や石灰藻にまで、非常に広い範囲の海の生物がフグ毒をもっていることが判ったのです。直接関係がないこれらの動物が同じフグ毒をもっているという共通点は一体何でしょうか?これもまた謎の一つです。
 
 一方、近年ハマチやマダイなどの海産高級魚の養殖が盛んになって、フグも養殖されるようになりました。ところが、人工餌で養殖されているフグにはフグ毒がないのです。そこで、これらの動物の餌に着眼されたところ、フグ毒をもつ軟体動物や甲殻類の多くが、石灰藻を餌にしていることが判りました。そして、これは「食物連鎖」に関係すると推定され、動物体内にいる細菌が徹底的に調べられて、ついに、1985年、フグ毒の根源は海洋細菌であることが突き止められたのです。初めはビブリオ科の細菌がフグ毒をもつとされていたのですが、その後、ほかの海洋細菌もフグ毒をもっていることが判ってきました。しかし、細菌によってフグ毒がつくられる仕組みはまだ謎の中です。
 
 このように、貝毒やフグ毒を例にとっても、海の「食物連鎖」は海洋生物の謎を解く糸口としても重要で、しかも微生物がその根底にあることは事実です。
 つまり、海でのすべての生物のさまざまな営みはミクロの世界が支えているといっても過言ではないのです。
 
 
平成19年2月24日
野村 節三(せつぞう)
野村環境微生物学研究室 代表
(北里大学名誉教授、理学博士) 
 
 
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