第20話
 バイオを支える大腸菌
 

 
 
 
「主な読者」
 年齢を問わず誰にでも読んでもらうことを想定して、できるだけ専門的な表現は避けて、やさしく書いたつもりです。
 科学はものすごいスピードで進歩しています。
たった今も私たちは歴史の転換期にいるのです。このような技術革新を解ってもらえることを期待しています。
 
 
本 文 目 次
 
著作 田口 文章
 

 
 
 
第20話 バイオを支える大腸菌
 
始章 世にも不思議な物語
 少し古い話になりますが、私が経験した世にも不思議な体験談を紹介します。「遺伝子を組み換えた大豆は使用していません」との言葉は、とうふ、しょう油や納豆など大豆を原料とする豆製品ではよく見かけます。この遺伝子組換え(いでんしくみかえ)技術が秘めているせんざい能力の物凄さの一部を物語る経験談です。ここで紹介する私の経験した科学は、インターフェロンに関するものです。そのため本論に入る前にインターフェロンの性質について簡単に説明させてもらいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一章 夢の抗ウイルス薬インターフェロン
 1950年代にインターフェロンという夢の物質が発見され、特効薬(とっこうやく)がないために治ることはあっても積極的に治せないウイルス病に対する治療の可能性が予測され、更に白血病や骨肉腫(こつにくしゅ)などのガンの治療にも使えそうだということがすぐに分かってきました。
 
 ウイルスの増殖を抑制する物質(のちにインターフェロンと統一される)の発見については、1953年に長野泰一と小島保彦という二人の日本人が世界で初めフランス語の学術雑誌に報告しました。これに続いて、1957年にアイザックス(イギリス人)とリンデンマン(ドイツ人)によって英語の雑誌に報告されました。「インターフェロン」という用語は、イギリスのアイザックが作り出しました。

 
 さてインターフェロンは、普通の薬と違う性質が特徴としてあります。例えば、インターフェロンは、インフルエンザ、ヘルペス、エイズ、風疹などの原因となる、色々なウイルスに対してウイルスの種類に関係なく有効に働きます。
 
 しかし、その有効性は、インターフェロンを作った細胞の動物種(どうぶつしゅ)(例えば、ヒト、トリやウマなどの動物種)に依存するのです。これは免疫抗体と決定的に異なる性質です。この現象を別な表現で説明しましょう。
 
 
表1 インターフェロンと免疫抗体の違い
  インターフェロン 免疫抗体
作らせる物質(誘導物質) 核酸、ウイルス 抗原
作る生物系(産生系)
 
動物個体、培養細胞
リンパ細胞、マクロファージ
動物個体、プラズマ細胞
 
物の種類 タンパク質、糖たんぱく質 グロブリンタンパク質
大きさ(分子量) 15,000〜200,000 150,000〜900,000
特別な反応(特異性) 産生した細胞の「種類」 作らせた「抗原」
pH2.0での抵抗性 安定 不安定
作られるまでの時間
(産生時間)
数分〜数日
 
数日〜数ヶ月
 
体内にとどまる期間
(持続時間)
数日で消滅
 
数ヶ月〜数年間も持続
 
 
 
 ヒトの細胞で作られたヒト型インターフェロンは、ヒトの細胞またはヒトの生体内で増殖しつつあるウイルスであれば、なんのウイルスであってもその増殖を抑制します。しかし、同じインターフェロンをニワトリの細胞で増殖するウイルスに対してはウイルスの種類に関係なくなんのウイルスの増殖にも無効なのです。
 C型肝炎の患者(ヒトという動物)の治療に用いるインターフェロンは、ヒトの細胞で作ったインターフェロンでなくてはならないのです。動物の種が同じ組み合わせであれば、ウイルスの種類に関係なく全てのウイルスの増殖を抑制する「夢の抗ウイルス薬インターフェロン」と呼ばれるゆえんです。
 
 この不思議な現象は、インターフェロンがウイルスに直接作用するのではなく、ウイルスの増殖の場である細胞に作用して、結果としてウイルスの増殖を抑えることを意味しています。このことは、例えば、C型肝炎の患者の治療に用いるインターフェロンはヒトの細胞で作ったものでなくてはならないことを示します。
 
インターフェロンの作用の仕方
インターフェロンはウイルスには作用しない→ウイルスを殺さない細胞に作用する
→ウイルスの増殖を抑制する物質が細胞内に出来る→ウイルスの増殖が抑制される
 
 
第二章 血液からインターフェロンを作るフィンランド方式
 夢のインターフェロンを作りたくてもヒトの細胞は、商品として売られている訳ではありません。ヒトに由来する細胞をどのように手に入れるかがインターフェロン製造の最大の難問でした。
 
 フィンランドのカンテル博士が考案したインターフェロンの製造法は、奇想天外(きそうてんがい)で世界中の科学者がアット驚くものでした。カンテル博士は、フィンランド赤十字社との共同研究で、血液を用いる方法を考え出しました。私もフィンランドのヘルシンキまで行き、カンテル博士の研究室を見せてもらったことがありました。
 
 献血(けんけつ)された血液は、そのまま未調整で全成分を輸血用の血液として使われることもあります。しかし、血液を赤血球、白血球、血小板と血漿(けっしょう)などの各成分に分けて、その成分を治療目的に合わせて使うことが多くなりました。輸血という行為では、目的にもよりますが、通常は赤血球、血小板と血漿を使います。その結果、大量の白血球が不要となるのです。カンテル博士は、この不要となる白血球を有効利用してインターフェロンの大量製造法を確立したのです。
 
表2 血液の成分
固形成分

 
赤血球 輸血に使う
血小板 出血を止めるのに使う
白血球 あまり使用する目的がない→不要
液体成分
 
固形分を除いた液体を血漿と呼ぶ、止血に使われる繊維素源タンパクを除くと血清と呼ぶ、免疫抗体やその他の有用物質を含む
 
 栄養分を含む培地(栄養液)に無菌的に取り出した血液からの白血球を浮遊させた液にウイルスや核酸などのインターフェロンの産生を誘導する薬剤(誘導剤)を加えて、37℃の高温水槽内で保温すると白血球の細胞内で大量のインターフェロンが作られ、培養液中にすぐに放出されてきます。
 
 その培養液からタンパク質としては微量に含まれるインターフェロンを化学的に精製・濃縮をします。不純物を取り除き精製されたインターフェロンをガン患者に夢の薬剤として使用します癌患者一人の治療に1回分として注射するインターフェロン量は、10人ほどの人から献血された血液で作ったインターフェロンがもちいられます。ガン患者やウイルスの感染者の治療に使うには、莫大な血液が必要となるのです。
 
 フィンランドの隣国であるスエーデンのストランダー博士は、カンテル博士との共同研究で、この血液細胞で作られたインターフェロンを使ってガン患者の治療実験(ちりょうじっけん)を始めました。
 
 骨のガンで肺にすぐに転移する悪性腫瘍である「骨肉腫」の患者にインターフェロンを注射するわけです。治療実験で検体としてボランティアの篤志家(とくしか)のガン患者の協力で実施するわけです。
 
 大量なインターフェロンがあれば、種類は限定されるにしてもガンは治癒が可能である成績がストランダー博士の研究グループから発表されるようになりました。フィンランドのカンテル博士がフィンランド赤十字社と共同で製造し、それを隣国スエーデンのストランダー博士がカロリンスカ大学でのボランティアに使用する画期的なできごとと賞賛されました。
 
 
第三章 人の羊膜でインターフェロンを作る日本式
 私は文部省(当時)の海外研修生に採用してもらい、「ヨーロッパでのインターフェロンの現状と将来展望」について半年間にわたり調査研究をする費用を助成してもらえました。フランスのパストゥール研究所を拠点としてヨーロッパ諸国でのインターフェロン事情をつぶさに見て歩きました。不要な白血球を活用するカンテル式インターフェロン製造法がインターフェロンの世界で唯一の供給源でした。しかし、充分量のインターフェロンを製造するには血液が足りないことが実感として感じとれました。
 
 ヒト型インターフェロンが充分に供給される体制が整えば、助かるガン患者が大勢いることが期待されます。ヒト型インターフェロンをどうすれば大量に製造し患者に供給できるのかが最大の問題であることが半年間の海外研修で学びました。
 
 人間の住んでいるところには必ずお産があり、生まれるまで赤ちゃんが包まれていた羊膜は、不遜な表現となりますが、お産の後に不要となることに気がつきました。

 この羊膜は、生きているヒトの細胞からできている薄い膜なのです。お産後にしぼんで小さくなりますが、それでも一辺が30センチ角くらいの大きさがあります。北里大学病院だけでも年間500例ほどのお産がありました(当時)。正式な分与願いを提出して羊膜をインターフェロンの研究に使わせてもらえることになりました。
 
 
 長い試行錯誤(しこうさくご)の後、一人のお産から手に入る羊膜1枚で一人のガン患者の治療ができるほどのインターフェロンを作れるまで研究レベルが発展しました。私達の研究室で確立したヒト型インターフェロン製造法は、世界で最も大量にインターフェロンを製造できる技術として広く報道されるようになりました。
 
 自分でいうには少し恥かしさを感じますが、人間のいるところ必ずお産はあり、お産後に不要となる羊膜の活用法も素晴らしいと賞賛もされました。国内の大手製薬会社が羊膜を用いたインターフェロンの製造に大きな期待をもって工業的規模での生産について検討を始めてくれました。
 
 丁度その時、全国版の新聞に大きな見出しで「遺伝子組換え技術でインターフェロンの大量製造法確立」という記事が掲載されました。遺伝子組換え(いでんしくみかえ)という革新的な科学が登場し、その技術の素晴らしさは論文から知っていました。しかし、20世紀最大の夢の基礎科学が私達の研究室でも展開されるようになるには、数年先のことと思っていました。
 
 
第四章 大腸菌がインターフェロンを作る技術革命
 どうして大腸菌なのか、その大腸菌は安全なのかを最初に説明します。
 遺伝子組換え実験になぜ大腸菌が使われたのでしょう。本来大腸菌が持っている遺伝子群以外の遺伝子を外から持ってきて挿入した場合、新しい遺伝子を持たされた新大腸菌が実験者の想像を超える力を得て、人間をふくむ地上の生物や我々の生活環境に悪影響を及ぼすことがあっては絶対にならないのです。
 
 万が一にも実験者が遺伝子を組換えた新大腸菌を間違って流しに流してしまった事故が起きてしまったと想定します。流してしまう以外に、菌液の入っている試験管を床に落として菌液が床に流れ出たような場合、間違って口の中に入ってしまった場合も起こりえる可能性が絶対的にゼロではないと考えるべきです。
 
 万が一の想定外の事故が起きてしまった場合、事故が拡大しない方策を事前に考えて、遺伝子組換え実験に使っても良い菌を国や文部省(当時)が指定しています。病気を起こさない細菌の代表として大腸菌がその安全な菌のリストに挙げられています。
 
 さらに、大腸菌の性質を実験する前に変異させた幾つかの菌株を実験に使用してもいと指定されています。その使用が許可される条件は、科学的に良く考えられていています。例えば、実験に使う大腸菌は、紫外線に対しての抵抗性を弱めてある、特殊な栄養分がないと生きられない、遺伝子が簡単に他の細菌に伝達されないなどの性格を持たされています。
 
 そのため万が一に下水や環境が実験に使う大腸菌(遺伝子を組換えてない菌)または遺伝子を組換えた新大腸菌で汚染されたとしても、科学的にはその大腸菌による汚染は拡大しないようになっています。
 
 現在バイオ技術と呼ばれる希望の遺伝子を細胞や細菌に挿入し、生体内で働かせる技術の威力は、凄まじいものです。遺伝子組換え(=遺伝子操作)技術について例を挙げて最初に説明します。
 
 例えば、糖尿病(とうにょうびょう)の患者に治療に用いるインスリンは、一昔前までは、ブタのすい臓から抽出されていました。インスリンは分子量が小さいから、抗体は出来にくいので、長期間にわたり使用されていました。しかしながら、安全性の点から本来はヒトのインスリンの使用が望まれるのです。
 
 ヒトのすい臓からインスリンを抽出することも色々な問題があり実際的ではありません。そこでヒト型のインスリンを大腸菌に作らせることが考えられるのです。大腸菌にインスリンを作らせる方法の概要を簡単に説明します。
 
 最初にインスリン遺伝子、細菌ウイルス(またはプラスミド)、大腸菌を準備します。インスリンを産生する遺伝子DNAをヒトの細胞から取り出し、細菌に感染するウイルス(ファージと呼ぶ)やプラスミド(細菌内に存在し自分で増殖する小さなDNA)の遺伝子DNAと試験管内で特殊な酵素を使ってつなぎ合わせます。インスリンを産生する遺伝子を組み込まされたファージを大腸菌に感染させます、大腸菌を37℃の恒温水槽で増殖させます。
 
 すると大腸菌の体内でインスリン産生遺伝子が働きだし、ヒトのインスリンを大腸菌がもの凄い勢いで作り出します。このようにして大腸菌にヒトのインスリンを産生させようとするものです。これらの技術を使う科学を「遺伝子工学、生物工学、バイオサイエンス、遺伝子組換え実験、遺伝子操作実験」などと呼びます。
 
 
第五章 遺伝子組換え実験
 1972年 アメリカのバーグ博士は、細菌に感染するファージの遺伝子大腸菌の遺伝子ウイルスの遺伝子に化学的に結合させることに成功しました。これが遺伝組換え実験の世界で最初の成功例となったのです。次いで1973年にアメリカのコーン博士は、テトラサイクリンとカナマイシンという抗生物質に抵抗性の性質を与えるプラスミドを酵素により化学的につなぎ合わせたあと大腸菌内に入れ、その大腸菌をテトラサイクリンとカナマイシンの両方に耐性にすることに成功しました。
 
 その後1977年になって日本の板倉啓壱博士は、インスリンや成長ホルモンの遺伝子を大腸菌内で働かせインスリンや成長ホルモンを大腸菌に大量につくらせることに成功しました。これらの一連の研究成果が全世界での遺伝子工学のブームに火をつけたのです。
 
表3 遺伝子組換え実験の経緯
1972年
 
アメリカ
 
バーグ博士
 
ファージの遺伝子と大腸菌の遺伝子をウイルスに化学的に結合させた
1973年
 
アメリカ
 
コーン博士
 
抗生物質に耐性にする遺伝子を結合させて大腸菌を耐性にした
1977年
 
日本
 
板倉啓壱博士
 
インスリンや成長ホルモンを大腸菌内で大量生産するのに成功した
1980年

 
日本

 
谷口維紹博士

 
インターフェロン遺伝子を大腸菌に組み込ませることに成功し、37℃で一晩培養すると大量インターフェロンが産生されることを証明した
 
 
 
 1980年 谷口維紹博士インターフェロンの遺伝子を大腸菌に組み込ませることに成功しました。そのことが新聞で大きく報道されたのです。ヒトのインターフェロン遺伝子のDNAを大腸菌への挿入に先ず成功しました。その大腸菌を試験管で一晩培養すると、大腸菌はインターフェロンを大量に作り出し、培養液に放出するのです。
 
 インターフェロン遺伝子をもつ大腸菌を1リットルの三角フラスコで一晩培養し、1リットルの培養液中のインターフェロンを精製濃縮(せいせいのうしゅく)すると、白い粉となって見えると言うのです。
 
 この新聞に掲載された記事の内容を読んで、私は腰が抜けるほど驚きました。上にも書きましたように私達の研究室では、羊膜を使ってインターフェロンの大量製造法を確立し、世界で一番効率がよい方法と自分たちは誇りをもっていました。
 
 たった一晩だけ培養した1リットルの培養液に大腸菌が作り出すインターフェロンの白く見える量は、世界最高の羊膜系技術を駆使して私達研究室の5人が徹夜してガンバッテも、千年間の時間をかけても作り出せない量なのです。
 
 寝食を忘れて徹夜して実験しても、どうにもならないほど、遺伝子を組みかえられた大腸菌によるインターフェロンを作り出す速度と力が凄まじいことが判りました。
 
 このようにインターフェロンを大腸菌に作らせる遺伝子組換え(遺伝子操作)技術の威力を実体験した研究者は世界にもそれほど多くはないと思います。ここでは淡々と遺伝子組換え(遺伝子操作)技術について述べていますが、この技術革新を確信した時、私は全身の力が抜けるのを実感しました。
 
 その後しばらくは、羊膜を使ってインターフェロンを作ってなんの役になるのかと自分の研究に疑問を感じました。
 
 しばらくして少し落ち着きを取り戻して冷静に振舞えるようになると、大腸菌が作り出すインターフェロンと羊膜というヒトの細胞が作るインターフェロンに性状の違いがあることに気がつきました。細胞が作るインターフェロンと大腸菌が作るものでは、物質の構成や効きかたが本質的に違うのです。
 
 
終章 北里柴三郎の予言
 現代科学の花形である遺伝子を操作する科学またはその応用技術が将来できるであろうことを予言した人物は誰なのでしょう
 
 それはいまから150年前に熊本県に生まれた北里柴三郎博士なのです。北里柴三郎博士は、ドイツのコッホ研究所に滞在していたとき、破傷風菌(はしょうふうきん)が作り出す猛毒なタンパク質の毒素をウマやヒツジに動物を殺さないていどの少ない量をなんかいも注射すると、半年くらいのちには血液中に猛毒な毒素の働きを破壊する免疫抗体が作られることを発見しました。
 
 その免疫抗体を含む血清は、破傷風の特効薬として治療に使えるのです。ところが毒素の力を抑制する力の強い免疫血清を作るのは労力のみならず長期間の忍耐強い作業もあり実に大変なのです。
 
 その上患者一人に1回に注射する免疫血清量は20から30ミリリットルと結構多いため、血清を何回か採取されると動物の血液は薄くなるので、免疫力は低下してしまいます。そのために動物の数を増やし、常に免疫を続けていなくては破傷風の患者が現れたときには使えなくなってしまいます。
 
 北里柴三郎博士がコレラ菌の研究をしていた際、免疫血清を作るのにこれだけ細菌学者が苦労するのは、タンパク質に関する化学が細菌学と同じような水準にないからで、数年後にはタンパク質化学が進歩して免疫抗体をつくるのに動物の身体を借りなくてすみ、バイオの技術で免疫抗体を試験管内で作られるようになるに違いないと、北里柴三郎博士は現在のはながた科学である生命科学がちかい将来にかならず勃興(ぼっこう)することを予言したのでした。
 
 天才の数年は凡人の百年に相当することを見事に物語っています。
 (大日本私立衛生会雑誌 150号 921−968、1895)
 
 
【完】
平成19年1月4日
文責 田口 文章
 
 
 

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