第27話
 なじみの薄い科学への招待 −測地学を例として−
 

 
 
「想定した主な読者」
 将来の進路や大学での専門分野をまだ決めていない高校生から大学生、子供の将来について指導する立場の親御さんや進路指導の先生方に読んでもらうことを想定して、進路や専門を検討するときの考え方の参考にと「なじみの薄い科学」の存在とその一例として「測地学」を紹介します。
 
「両親や先生方へのお願い」
 マスコミなどで話題になっている最先端の花形科学も大切な分野ですが、テレビなどで取り上げられる機会は少なくても重要な科学分野が存在することを知ってもらえることを願っています。
 そのために、一般の人はたぶんこれまでに聞いたこともない科学の一例として測地学について話題を提供します。子供さんや生徒たちの進路指導にいささかでも参考になることを期待しています。
 
 
 
本 文 目 次
著作 長沢 工
 
 

 
 
第27話 なじみの薄い科学への招待 −測地学を例として−
 
1.はじめに
 「地球ってどんな形か知ってる?」と保育園児に質問したところ、「おじさん、僕たちのことをばかにしてるでしょ!」と年長組の子がムッとして答えたそうです。この話は、2007年6月24日の朝日新聞の「あめはれくもり」というコラムで、国立天文台准教授の縣秀彦(あがた ひでひこ)氏が書かれた記事にありました。
 
 いまの日本では、地球がほぼ丸い形をしていることを正式に扱うのは中学3年だそうです。それにもかかわらず、保育園児でさえ地球が丸いことをほとんど常識として知っている。これは、日本の教育課程と常識とがいかにかけはなれた状態にあるかを示すひとつの例を述べたものです。
 しかし、ちょっと待ってください。地球の形を問われたとき、ただ「丸い」と答えればそれですべてが済むのでしょうか。保育園児ならそれでもいいでしょうが、それだけで済む問題ではありません。そして、この質問は相手をばかにしていることにもなりません。
 
 
なぜなら、地球の形や大きさを知ることは、古代ギリシャ以来今日にいたるまで、大勢の科学者が心血を注いで追求してきた問題だからです。地球の形を知る過程は、歴史の中にさまざまな物語を生み出してきました。いまでは地球の大きは正確に解っていますし、地球は単なる球形ではなく、南北にわずかにつぶれた形の、極端な表現をすれば、「みかん形」をしていることも知られています。それに重なって、さらに数100メートル程度の起伏があちこちに存在することも解っているのです。
 
 地球の形や大きさの研究は、「測地学」という学問に含まれています。皆さん、これまでに「測地学」という言葉を聞いたことがありますか。そういう学問の分野があることを知っていましたか。おそらく、大多数の方にとっては初めて聞く言葉ではないかと思います。それにもかかわらず、この「測地学」は、もっとも古い学問であると同時に、現在の最先端の学問でもあるのです。
 
2.測地学とは
 いまさき、地球の形と大きさを測る学問が測地学だということを述べました。しかし、それだけが測地学ではありません。測地学はさらに広い分野を含んでいます。
 
 測地学が扱うものとして、解りやすい例をいくつか挙げましょう。地球上のそれぞれの点には「経度」と「緯度」が対応しています。どんな点でも、その位置を経度と緯度で表わすことができますし、また、経度と緯度を与えれば、それで地球上の一点が決まります。
 
 『経度と緯度』
 経度とは、緯度とともに、地球上の位置を示す座標の一つです。経度は、その地点と北極と南極を通る大円と、ロンドンの旧グリニッジ天文台を通る大円とのなす角度で表されます。日本は本初子午線より東180度以内にありますから、東京は、おおよそ「東経139度46分」となります。同じ経度の点を結んだ線を経線と言い、子(北)と午(南)とを結ぶ線であることから子午線とも言います。
 緯度は、その地点における天頂の方向と赤道面とのなす角度で表される。赤道が緯度0度となり、北を北緯、南を南緯と言い、北極・南極が90度となります。
 
 いまあなたが地球上のどこかにいるとします。陸上かもしれませんし、海の上かもしれません。その点の経度と緯度はどうしたら知ることができるでしょうか。自分のいる点の経度、緯度を求めることは、測地学のひとつの分野です。
 
 現在、経度や緯度はごく簡単に知ることができます。たとえば、GPSの受信機でボタンひとつを押しさえすれば、その点の経度、緯度はほとんど瞬時に表示されます。皆さんの車に装備されているいわゆるカーナビはその応用です。GPS衛星からの電波が届きさえすれば、経度、緯度の形式ではないにしても、解りやすい形式で車の位置がすぐに表示されます。あまりにも簡単に自分の位置が解るので、そこに測地学の知識が使われていることに気付く人はほとんどいません。
 
 GPS (Global Positioning System)』
 人工衛星を利用して自分が地球上のどの地点にいるのかを正確に割り出すシステムの略称です。アメリカの軍事技術の一つで、地球周回軌道に30基ほど配置した人工衛星が発信する電波を利用して、受信機の緯度と経度や高度などを数cmから数十mの誤差で割り出すことができます。
 
 いまとなれば嘘のような話ですが、過去には、経度、緯度を知ることがそう簡単ではありませんでした。経度の決定は特に困難でした。大海に乗り出す船乗りたちにとって、自分の船の位置を知ることは何にも増して重要です。しかし、正確な経度を知る方法がなかったため、しばしば船の位置を誤ることがあり、そのため、たくさんの船乗りが命を落としました。
 
 17世紀まで、経度の決定は、錬金術とか不老不死の妙薬などと同様に、望んでも達する可能性のほとんどない技術のひとつとさえ考えられていたのです。イギリス、スペイン、オランダなど、貿易に頼る国々は、なんとかして経度決定法を見出そうと必死になりました。
 
 1714年にイギリスの議会は「経度法」を制定し、海の上でも役立つ「実用的で有効な」経度決定法を発見したものには賞金を与えることを決めました。その賞金は、現在の価値に換算すれば数100万ドルに相当するものでした。
 
 その結果、経度決定法として、月と星の見かけの距離を測定することによる「月距法」、「木星の衛星の食を観測する方法」などが考え出されました。これらの方法は原理的には正しいものでしたが、種々の点で実用的ではありませんでした。
 
 最終的に、18世紀半ば、ハリソン(John Harrison,1693-1776)が、船の上でも正確に時を刻む時計であるクロノメーターを作り上げたことで、現実に役立つ経度の決定は成し遂げられました。正しい時計さえあれば、天体観測によって経度を求めることはそれほど困難ではないからです。さんざん議論された末、1773年、ハリソンは賞金を受け取ることができました。
 
 その後、海上で船の位置を決めるために、さらにさまざまな方法が開発されました。陸上の基地が出す電波を受信して位置決めをする方法もいくつか実用化され(たとえば、ロランC)、それが、現在のように30機近くのGPS衛星を利用して経度、緯度を瞬時に決定できるシステムにまで進化したのです。
 歴史的な話をもうひとつ述べておきましょう。
 
 やはり18世紀に、地球の形についてひとつの議論が起こりました。地球がほぼ球形であることは、科学者ならもうだれでも知っていました。その形が球からほんの少しずれている、そのずれが問題になったのです。
 
 イギリスの学者たちは、ニュートン(Issac Newton,1643-1727)の理論に基づいて、地球は、球を南北方向に少し押しつぶした形の楕円体で、いうならば「みかん」のような形であると主張しました。これに反して、カッシーニ父子(Giovanni Domenico Cassini, 1625-1712; Jacques Cassini,1677-1756)に代表されるフランスの学者たちは、フランス国内の測量結果を基に、地球は南北方向に少し伸びた、たとえば「どんぐり」のような形の楕円体だと主張したのです。
 
 毒舌家で有名なヴォルテールは、この状況を、「パリでは地球はシトロン形で、ロンドンではオレンジ形である」とたくみに表現しました。このどちらの説が正しいかを確認するため、フランスの科学アカデミーは、極地方および赤道地方に測量隊を派遣することにしました。
 
 これでどうしてどちらが正しいのかわかるのでしょうか。ちょっと理解しにくいかもしれませんが、それぞれの地方で緯度一度差に相当する子午線の長さを測量するのです。もし、極地方で測った子午線の方が長ければ、地球は南北につぶれた「みかん」形であり、反対に赤道地方の子午線の方が長ければ、地球は南北に伸びた「どんぐり」形なのです。厳密に緯度一度差の距離を測る必要は必ずしもありません。一度差に相当する長さが十分の精度で解りさえすればいいのです。
 
『子午線』
 子午線は、地球上の同一経度の地点を結んだ仮想的な線で、経線とも言います。子午線は南極点と北極点を結ぶ大円の半円となり、必ず南北に伸びます。同じ子午線上の各点の位置は緯度と呼ばれます。
 
 1736年、極地方へ向かったモーペルチュイ(Pierre Louis Moreau de Maupertuis, 1698-1759)たちは、フィンランドの北部ラプランドで測量を行い、ほぼ一年で終了してフランスへ戻りました。彼らの測った子午線長は、一度当たり111.09km でした。いろいろの苦労はあったものの、こちらの測量にさしたる問題はありませんでした。
 
 ここで述べたいのは、赤道地方の測量をするため、1735年にペルーへ向かった、ラ・コンダミーヌ(Charl Marie de La Condamine, 1701-1774)、ブーゲー(Pierre Bouguer, 1698 -1758)、ゴダン(Louis Godin, 1704-1760)ら10人のことです。
 
 ほとんど樹木の生えていないラプランドと違って、彼らの向かったペルーはジャングル地帯でした。その測量の困難さは、極地方とは比べものになりませんでした。この間の一行の苦労はとても書きつくせないほどのものでした。その詳しい話を書く余裕はありませんが、この物語はさまざまな記録に残されています。
 
 結局、ブーゲー、ラ・コンダミーヌがフランスへ帰還したのは1744年、出発からなんと9年余り後のことでした。その間に、一行10人のうち4人は死亡、行方不明になり、ヨーロッパへ戻ることはできませんでした。この測量による一度当たりの子午線の長さは109.92km で、そこから、地球が南北につぶれた形であることがはっきりしたのです。
 
 ヴォルテールは、「この測量は、両極とカッシーニ父子の鼻との両方をへこませた」と例によって毒舌を吐きました。これも、地球の形を知るために先人たちが苦労した、ひとつの実話です。
 
3.私と測地学との出会い
 測地学について偉そうなことを書いてきましたが、実をいうと私は、学生時代、測地学について、まったく何も知りませんでした。大学で私は天文学を専攻していたのですが、1965年に、縁あって「地震研究所」に就職しました。その研究所の私の仕事場が「測地」部門だったのです。それが私と測地学との初めての出会いになりました。そして、私は測地学について、イロハのイから勉強することになったのです。
 
『地震研究所』について知りたい人は、次のウエブサイトを開いてください;
 
それまで学んでいた天文学と大きな違いがある学問ですから、その勉強をすることに、初めはかなりの違和感がありました。しかし、給料をもらっている仕事ですから、やらないわけにはいきません。そこの毎日の仕事を通して、測地学とはどんな学問か、過去にどんな研究があったか、現在どんな問題があるかなどを、しだいに知るようになりました。
 
 昔から行われてきた経緯儀(トランシット)、水準儀(レベル)などによる測量技術を学び、地図作成の方法を知り、より現代的な人工衛星を利用した測地法を勉強し、地震に伴う、あるいは地震に先立つ地殻変動を検出する方法などを学び、数え切れないほどさまざまな内容を、少しずつですが理解していきました。
 
 単に学ぶだけでなく、現実に測量機械を担ぎ、地震地帯に出張して測定する機会も何度かありました。それらのことを通して、測地学に触れ、測地学を知っていったのです。
 
 私が地震研究所で働いていた間にも、測地学で種々の発展がありました。たとえば、日本とアメリカといった遠い距離を正確に測るのに、クェーサーを利用し電波望遠鏡で測定するVLBI(Very Long Baseline Interferometry)という技術が1980年代に発達しました。それによって、たとえば、大陸間の距離がセンチメートルの単位まで正確に測れるようになったのです。
 
 その結果、年間8センチほどの速さでハワイが日本に少しずつ近付いていることが測定されました。これはいわゆるプレート運動の検出に当たります。現実にプレートの動きが捉えられることなど、私が測地学の勉強を始めたときには想像もできないことでした。
 
 もっとも、私が就職したのは、プレートの存在を提唱する「プレート・テクトニクス」がやっと産声を挙げたばかりの時代でしたから、その推測ができなくてもしかたのないことです。
 
 詳しくは述べませんが、そのほかにも、重力の絶対観測が可能になり、測地系の変更がおこなわれ、それらを通して、測地学が日に日に進んでいくことを実感しながら、私は仕事を続けることができたのでした。定年で私が地震研究所を去ったのは1993年、いまから14年も前のことです。
 
4.社会を支える科学者、技術者
 ここでいくつか測地学の話をしたのは、皆さんに測地学を勉強して欲しいと思うからではありません。また、他の科学に対して特に測地学を宣伝しようという意図からでもありません。自分が関わった学問であって話をしやすいためではありますが、多くの人の知らない学問のひとつの例として測地学を挙げたのです。
 
 いま、高校の理科は、「物理」、「化学」、「生物」、「地学」と大きく四つに分かれています。しかし、高校生がその全部を学ぶわけではありません。重要科目として物理、化学を履修する人は多いのですが、地学を選ぶ人は比較的少数です。場合によっては、生徒が地学を学びたくてもそれが不可能の場合もあります。
 
 そのため、大学へ進学しても、物理、化学を中心とする科目を専攻する希望者がどうしても多くなります。物理、化学はもちろん重要で、科学の基礎として決しておろそかにしていいものではありません。
 
 ただ、それ以外にも重要で、かつ面白い分野が数多くあること、高校、大学の勉強では通常触れることのない学問分野がさまざまな方面にたくさんあることにも気付いてほしいと思うのです。その中に、皆さんが興味を持つ、皆さんと波長の合う学問があるかもしれません。
 
 いま、特にテレビなどを通して世の中を見ていますと、スポーツや芸能関係が大きくもてはやされるのに対し、理工系の事柄が非常に冷たく扱われているように思えてなりません。これは、その内容が一般の方に解りにくいせいもあるでしょうが、それ以上に無視されているような気がします。
 
 スポーツにしろ、芸能にしろ、優れた力をもつのはすばらしいことです。能力のある選手を生み出したり、優れた芸能人を育てたりするのには、それを支える広い裾野の存在が不可欠です。それを否定するつもりはありません。しかし、優れた科学や技術にも、それを盛り立てる広い地盤が必要です。一般の人がもっと暖かい目を向けてもいいのではないでしょうか。
 
 ところが、噂によりますと、「学校で習った二次方程式など、その後の人生で一度も使ったことがない」などと放言し、そんな勉強など無駄だといわんばかりの人まで現われているそうです。その人が使わなかったのはおそらく本当でしょうが、「だから二次方程式を学ぶ必要はない」ということにはなりません。
 
 あまり意識していないだけで、人々の生活は、さまざまな科学、技術の恩恵を大きく受けています。たとえば、生活に欠かせない、車、携帯電話、テレビ、パソコンなどに、どれだけ多くの科学や技術が応用されているか考えてみたことがありますか。
 
 そこには、二次方程式どころではない、もっと高度の物理が、化学が各所に使われているのです。そして、その学問を通して、たくさんの科学者や技術者がそれらの道具を作り出し、人々の生活を支えているのです
 
 皆さんの中にも、数学が好きだ、理科が好きだということで、将来理工系の道に進みたいと考えている人がいるに違いありません。すでに進路を決めた人もいると思いますが、まだ進路を決定できない人もいることでしょう。人の進路は、何か面白いことがあった、何かが興味を引いた、何かに夢中になった。そんな、ほんのちょっとしたことで決まる場合が多いのです。
 
 「この道に進みたい」と決めている人でも、漠然と興味をもっているに過ぎない人でも、理数系の勉強が特に嫌いでないのなら、こつこつと基礎の勉強をやっておくことです。そうすると、いまはまったく気付いていなくても、どこかで、自分に合った仕事に、自分の気に入った学問にひょいとぶつかる場合があるのです。
 
 それは、いままでの勉強の延長のところにあるかもしれませんし、まったく未知の分野にあるかもしれません。いやいやながら、やむを得ずやった仕事の中にそれが隠れていることもあります。私にとっての「測地学」がまさにそれでした。
 
 そのような過程を経て、理工系のさまざまな分野に進んだたくさんの人が、現代の科学、技術を支え、社会の中心になっていくのです。一流のスポーツ選手や芸能関係者ほどに、もちあげられたり、テレビに出たりするチャンスは少ないにしても、真に社会を支えるのは、このような、科学者、技術者にほかなりません。もしかすると君がその1人かも知れません。
 
 
お勧めの関係書
Longitude−The True Story of a Lone Genius Who Solved the Greatest Scientific Problems of His Time    Deva Sobel (Penguin Books,1995).
邦訳 「経度への挑戦」 一秒にかけた400年 藤井留美訳 翔泳社 1997.
 
Le Procès des Etoiles    Florence Trystram (Séghere Paris,1979).
邦訳 「地球を測った男たち」 喜多迅鷹、デルマス柚紀子訳 リブロポート 1983.
 
『国立天文台』について知りたい人は、次のウエブサイトを開いてください。

   
 
平成19年9月2日
長沢 工(ながさわ こう)
 

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