第5話
 なぜ殺してはならないのか

 
 
 
『主な対象読者』
児童や生徒から熟年者までが対象者です。
 
 
『両親へのお願い』
老若男女を問わず全年齢層の方々に読んでいただきたい。
特に年頃のお子様をお持ちのお父さんやお母さんは、
殺人や自殺とのかんけいから命の大切さについて
子供と一緒に話し合っていただければと願っています。
 
 
 
 
著作 安食 弘幸
 

 
第5話 なぜ殺してはならないのか
 
 1997年、神戸に14歳の少年が小学生を殺し、学校の校門の上に首を置くというショッキングな事件が起こりました。その事件の後、神戸のあるキリスト教系の中学校の宗教の時間に、一人の男子生徒が質問しました。
 
 「先生、どうして人を殺しちゃいけないのですか?」
 
 先生は一瞬言葉を失い、教室も静まり返りました。その生徒は更にこう続けました。
 
 「ボクたち人間は、命は尊(とうと)いと言いながら、豚、牛、鶏、魚、植物の命は平気で殺しているのに、どうして人は殺しちゃいけないのですか?」
 
 あなたなら どう答えますか?
 
 その時、先生は生徒たちに、「みんなはどう思う?」と投げ返しました。
 
 しばらく黙っていましたが、ようやく一人の男子学生が、「ボクは、自分が殺されたくないからです」と答えました。
 
 本当にそれだけでしょうか?ちょっとひねくれた人なら、こう言うでしょう。
 
 「じゃあ、自分は殺されてもいいと思う人は、人を殺してもいいんですか?」
 
 
 去年アメリカのある小さな村で起こった事件です。
 
 エイズにかかった青年が自暴自棄(じぼうじき)になって、複数のガールフレンドと性的関係(せいてきかんけい)を持ちます。その後で彼は「実は、自分はエイズである」と発表します。彼と関係を持った女性たちはパニックに陥(おちい)ります。それだけでなく、その女性たちと関係を持った男性たちもパニックになり、村中が大騒ぎになりました。
 この青年は、初めから、相手にエイズを移すことを目的に関係を持ったのです。
「自分はどうせ死ぬ、助からない、それならできるだけ多くの人を道連(みちづ)れにしてやろう」と、この青年は考えたのです。
 
 ですから「どうして人を殺してはいけないのか」という問いに「自分も殺されたくない」というのは不充分(ふじゅうぶん)な答えです。
 
 
 
「どうして人を殺してはいけないのか」
 この問いに対する明解な答えは聖書(せいしょ)の中にあります。
 
 いのちは、創造者(そうぞうしゃ)なる神が人に与えて下さった、最大、最高の贈り物(おくりもの)です。
 
 いのちは、人間の手では作れないし、どんなに大金を積んでも買えません。
 
 まさしく神からの贈り物です。
 
 しかしそれだけではなく、人間だけが、神との交わりを持つことの出来るように、神の形に似せて、霊的(れいてき)な存在として造られたのです。
 
 その尊(とうと)さは、貧富(ひんぷ)の差、学問の有無、社会的立場、人種の皮膚(ひふ)の色などによって差別されることはありません。同じように尊いのです。
 
 ですから神は「人が人を殺してはならない」と命じられたのです。
 
 しかし、現在の刑法(けいほう)には「殺してはいけない」とは書いてありません。
つまり、刑法というのは、人が行為(こうい)を起こした後に処罰(しょばつ)に関する外的規範(がいてききはん)であって、行為を起こす前に、人に向かって『殺すのはダメですよ』と言うものではないのです。
 
 人に対して「待て!やっちゃダメ!」「人を殺すな!」と言うことのできるのは、人間の内的規範(ないてききはん)、つまり「心の声」しかないのです。
 
 そして、その「心の声」は、子どもが小さい時から親が教えるべき声なのです。
 ここに、家庭における宗教教育(しゅうきょうきょういく)の大切さがあります。
 
 旧約聖書(きゅうやくせいしょ)の時代の人々は、本当に人を殺した人だけが「殺してはならない」という戒め(いましめ)に違反(いはん)したと思ったことでしょう。
 
 
 しかし、イエス・キリストは言いました。
「人に向かって、腹を立てたり、“能なし、バカ者”と言うような者は、殺人(さつじん)と同じことをしたのだ」
 
 実際に「能なし」とか「バカ者」と言ったかどうかではなく、心の中でそう思うことが殺人だと言われるのです。
 
 そもそも「殺す」とは、どういうことでしょうか?
 
 それは、誰かの存在を否定することです。ですから「あんな人なんかいない方がいい」と考えることは、それだけで「殺してはならない」という命令に背いて(そむいて)いるのです。
 
 では、私たちが実際に人を殺さなかったり、心の中で、誰かに対して悪い思いを持たなければ、私たちはこの教えを守っていることになるでしょうか。
 
 この「殺してはならない」という言葉には、本来、「人にいのちをもたらしなさい」という意味があります。
 
 ですから私たちは、出会う人々を積極的(せっきょくてき)に励まし、勇気や希望を与えることによって、この教えを全うすることになるのです。
 
 
 ニューヨークのある高校で、一人の女の先生が三年生全員にその子の長所を書いたシールを作って胸に貼ってあげました。その日からクラスの雰囲気(ふんいき)が一変しました。三日後にその先生は、生徒たちに新しいシールを三枚ずつ手渡しながら「さあ、あなたたちも同じようにしてあげなさい」と言いました。
 
 一人の生徒は、就職指導(しゅうしょくしどう)でお世話になった会社の人の所へ行って、「あなたは大変優しい(やさしい)人です」と書いたシールを貼りました。そして残りの二枚のシールを手渡しました。
 
 その人は社長のところに行って「あなたは発明の天才(てんさい)です」と書いて、シールを貼りました。
 
 社長は最後の一枚のシールを受け取ると、家に帰り息子(むすこ)の部屋に入り、久し振りに息子とゆっくり話した後、息子の胸に「世界一愛している息子へ」と書いたシールを貼りました。
 
 息子はそのシールをしばらくジーッと見ていましたが、やがて大声で泣き出したのです。
そして、こう言ったのです。「お父さん、実は、ボクは今夜死のうと思ってたんだ、ボクなんか愛されていないと思ってたんだもの、でも本当は愛されてたんだってわかって、ボク 嬉しいよ」
 
 この父親は、息子に「いのちをもたらした」のです。
 
 「殺してはならない」という教えに対して、私たちが人のいのちも自分のいのちも大切にし、守ればそれでいいのかと言うと、聖書は更に豊かな生き方があると教えてくれています。
 
 
 星野富弘(ほしのとみひろ)さんの詩の中にこんな詩があります。
 
  “ いのちが大切だと思っていたころ
   生きるのが 苦しかった、
   いのちより大切なものがあると知った日
   生きているのが 嬉しかった“
 
 多くの方が星野さんにお聞きになるそうです。
 「いのちより大切なものって何ですか?」
 
 星野さんの答えは、こうです。
「聖書の中にあります。自分で読んで探してみて下さい。本気で探せば必ず見つかりますよ、私でも見つけられたのですから。」
 
 いのちより大切なものとは何でしょうか?
 
 それは、いのちを与えて下さった神を信じ、その神が与えて下さる人生の計画の中を神と共に歩むことです。
 
 精神科医(せいしんかい)のエディス・イーガーさんは、1944年5月、16歳の時、家族と共にアウシュビッツの強制収容所(きょうせいしゅうようじょ)に連れて行かれます。両親はそこで殺されます。
 
 ドイツが破れ、戦争が終わって連合軍(れんごうぐん)が入って来た時、イーガーさんは、他の人の死体(したい)の山の中に生きたままで埋められました。手だけが動いているのを見て、一人のアメリカ兵が見つけ、助け出してくれたのです。九死に一生を得たのです。
 
 16歳の時、ナチスに捕らえられて連れて行かれる途中で、母親が彼女にこう言います。
「これからどこに連れて行かれるのか、また どんな事が待っているのかはわからない。しかし、この事だけは忘れないで、《全てを奪われたとしても自分の頭と心の中に入れたものは、誰も奪うことはできないのよ》
 
 つまり、お母さんは、こう言ったのです。
「人間は、自分の人生に起こる事を選ぶことはできない、しかし、それにどう対処するかは選ぶことはできる。どんな苦難(くなん)が来ようと、あなたは、お父さんとお母さんから受けた教育と信仰(しんこう)は奪われることがない。人は内側に力があれば、どんな時にも人間らしく生きて行ける」
 
 収容所に着くと、イーガーさんの母親はシャワー室に連れて行かれ、二度と戻って来ませんでした。同室の人が煙の出ている建物を指差し「ほら見てごらん!あんたのお母さんが、今 煙になって天に昇って行くよ」と言いました。
 
 イーガーさんは妹と二人で「お母さんは死んだのではない、天国に移されたのだ」と抱き合って励まし合いました。 二人はすぐに髪の毛を切られ丸坊主(まるぼうず)にされます。二人はお互いを見て笑います。「あなたの髪の毛もきれいだったけど、あなたの頭蓋骨(ずがいこつ)の形も仲々のものネ」
 
 二人は失ったものではなく、残っているものに目をとめたのです。これがイーガーさん姉妹が生きぬくことの出来た秘訣(ひけつ)であり、母親から学んだことでした。
 
 イーガーさんは戦後、結婚してアメリカに渡り、三人の子どもと五人の孫に恵まれました。
その孫の一人がプリンストン大学の卒論に、祖母イーガーさんのことを書いたそうです。
テーマは『苦難と信仰』です。
 
 イーガーさんは言います、「私の母が私に教えてくれたこと、人の頭と心に刻まれたものは誰にも奪えないこれは本当に真実です」
 
 私たちもイーガーさんの母親のように、人が信仰をもって自立して力強く生きていけるように励(はげ)ましたいものです。
 
 
 それこそが「殺してはならない」という教えを本当に生かすことなのです。
 
 
平成19年1月19日
安食(あんじき)弘幸
 
 

 

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