第50話
 「かどをまがる」ということ
 

 
「主な対象読者」
 自分の進路や専門を決めてない中学生から大学の低学年生を主な読者と考え、俺のこれまでの経験を伝えたいと思います。その角をまがるための思いきりの良さ(=決断力)は、新しいものを創るための必要条件と思うことを書きました。
 
本 文 目 次
 
著作 柿崎 均
 

 
 
第50話 「かどをまがる」ということ
 
シカゴに行ってきました
 アメリカのシカゴで開催される大きなアートフェアに自分の彫刻も出品させてもらえることになり、8日間の予定でシカゴまで出かけてきました。ギャラリーの人が俺にオープニングパーティ(パーティ券は120ドル)に入場するためのパスを用意してありますと言ってくれたので、「おお、これは儲けたな」と思いながら、時差ぼけでふらふらする頭で会場に向かいました。
 
 ところがフォーマルなパーティだというのを俺は知らなかったんですね。招待されたお客さんもスタッフもアーティストも全員フォーマルなスーツを着ているのに俺だけ普段着で参加することになってしまいました。アーティストは自分の作品の前に立って説明をしたりお話をしたりすることになっているのだけど、誰も俺のことをアーティストだとは思ってもくれないみたいなのですね。久しぶりに冷や汗をたっぷりとかきました。
 
何日目かのお昼に中華料理のテイクアウトの店で、デザートのつもりなのかフォーチユンクッキーをもらいました。せんべいを二つ折りにしてへしゃげさせた空洞にことわざや箴言(しんげん ≪戒めの言葉または教訓の意味をもつ短い言葉≫)を書いた小さな紙がはいっているやつね。今も手元にとってありますが、それには次のように書いてありました:Grand adventures await those who are willing to turn the corner. (意志をもってそのかどを曲がる人には素晴らしい冒険が待っている)。
 
秋田から東京へ
 まずはここで自分のことを書いておきます。秋田県十文字町の出身で、地元の湯沢高校を卒業した後、秋田大学の鉱山学部に入学しました。しかし、考えが変わり秋田大学を中退して、東京に出ました。東京のガラス工場に入れてもらい、そこで溶けたガラスを自分の息で吹いて形を作る技術(ガラス吹き)を教わりました。
 
 その後各地の工房で働きながら、美術学校に4年行く代わりに15年かけて、いろいろなことを覚えました。たとえば絵を描くこと、版画をつくることやガラス工芸の専門技術などを修行したというわけです。
 
 東京のガラス工場で3年ほど働いた後、札幌のガラス工房で働く機会を得ました。札幌のガラス工房でスウェーデン人のガラス工芸家からスウェーデンのガラス工房に推薦してもらい、スウエーデンで2年半ほど働きました。その間夏休みを利用してアメリカのガラス学校へ助手として行き、そこで助手を務めたガラス作家の工房に呼んでもらえることになりました。スウエーデンからアメリカに渡ることができました。
 
 招かれた場所は、ポーツマス条約で有名なポーツマスの隣町でした。5年後にはフランスのマルセイユにあるガラス工房で働けるチャンスがあり、アメリカからヨーロッパに戻りました。その後イタリアのヴエニスのガラス工場に移り、その後スウェーデンに戻り制作を続け現在は日本に戻って自分の工房で制作しています。
 
スウェーデン人との出会い
 いまから20年まえの1989年にスウェーデンに渡りましたが、俺にとってそれが初めての海外渡航でした。ガラス作家になろうと決断したことも大きな転機だったけれど、それ以上にこのスウェーデン行きを決心したことがその後の俺の人生の流れを大きく変えたのだと思っています。
 
 札幌のガラス工房のボスだったスウェーデン人が、ある日俺にこう聞いてきたのです、「知り合いのガラス作家が腕のいいガラス吹きを探しているが、スウェーデンに行く気はないか ? 」と。何も分からないのに反射的に「行きたい」と答えたときが、今から考えると先の見えない曲がりかどをまがろうとした時なのだと思います。
 
 しばらくしてからものすごく不安になったのを覚えています。飛行機にはそれまで一度しか乗ったことがなく、ましてや海外へいったこともなければ、英語もほとんど話せなかった。不安で怖かったけれども外国人のなかで働き、そこに住んでみたいという憧れは圧倒的でした。もしかしたらもっと上等な人間になれるかもしれないし、何かが俺を待っているかもしれないという気がしたのです。
 
 でも正直にいうとアメリカに移るときは、スウェーデンとアメリカの2カ国に住んだことがあるなんて人に言えたらかっこいいと思ったし、その後、フランスに行くことになった時なども、フランス語が話せるようになるなんてかっこいいなぁと思えて嬉しかったのです。フランス語を喋れるようにはならなかったけれど。
 
すべてが冒険のようだつた
 楽しいことばかり起こるわけじゃないけれど(秋田の小さな田舎町の出身である俺にはすべてが冒険のようだつたなあ)、新しい場所に行き、新しい友だちに出会い、そして変わっていく自分を感じるのは生きていてよかったなぁと思える充実感がありました。
 
 どうなるのか先の見通せない方向へあえて進んでみる思い切りのよさ(=決断力)というのは、新しいものに出会うための、あるいは新しいものを創るための必要条件なのでしょう。また、動機に純、不純などはなく、ただそれに向かわせる強い力があるだけだというのもどうやら本当のようです。
 
 「人生をかけるに値するのは夢を追うことだけだ」という言葉の響きのよさにいまだに憧れを感じています。が反面、表現は適切でないかもしれないですが、文字どおり自分の短い人生をかけてばくちを打つようなものだということを深く思います。夢を追うことはときに高くつくこともあるのです。
 
 
さいごに
 創り出すことに国境、職業差はないと信じています。
 芸術品を作るために生きるのではなく、
 夢を実現する方法のひとつとして、
 新しい場所に行き、新しい友だちに出会い、
 そして変わっていく自分を感じるのは充実感があります。
 ガラスという無機物は、熱すると生き物のように形を変えますし、
 ガラスと木彫を組み合わせるような不釣合いに思えることを
 あえてやってみると新しい表現が生まれることもあります。
 生きていてよかったなぁと思える方法を見つけ出してください。
 
 さて、これを読んでくれたあなたは、
 あなたの先いきについてどう思いますか ?
 あなたは自分の人生をなににかけますか?
 後世になにを遺していくのでしょうか?
 
 なにかに憧れ、新しいもの創りに挑戦し、将来の夢を追うために羽ばたくあなたのこれからに大いに期待しています。
[完]
 
2008年6月18日
 
著作者 柿崎 均(ひとし)
ガラス工芸家
 
 
 
 
 
創作品 紹介
 ガラス工芸家柿崎均氏のガラスと木彫を組み合わせた創作品です。
 
 
「ジブワ」
 
 
 アメリカで英語がぜんぜん話せなかった時に、「英語が話せない同士」でとても仲が良かったイヌの友達が死んだという知らせを受けて作った彼の胸像です。タイトル「ジブワ」は彼の名前です。
 
 
 
「3group shot」 
 
 
 悪い人シリーズを作っていた時のものです。左からアサシーナ(女暗殺者)、うそつき、フィッシュハートです。
 
 
 
注)著作権は、ガラス工芸家柿崎均氏に帰属します。いかなる媒体かを問わず、いかなる目的であれ、無断で転送、複写などを行わないようにお願いします。
 
 

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