第61話
 知的散文の書き方 −そこに句読点を打て−
 

 
 
「主な対象読者」
 この小文の原稿は、学生実習のレポートや卒業論文などを準備する大学生、出張や会議などの報告書を提出する若手の社会人および年間の報告書や助成金などの確保のために提出する申請書などを書く若手の研究者を主な対象読者と考えて準備しました。
 高校生以下の多くの生徒たちには、語句、内容、表現などが少し難しいかと思います。読んである程度の意味を把握できる生徒さんは、理解できるよう努力してみるのも将来のためになるかと思います。
 
 
本 文 目 次
   1) 言語表現の目途
   2) 項目のまとめ方
   3) 能力より根気
   4) 文章の立体化
   5) 起承転結の活用
   6) 資料作成と扱い方
   1) 主語と述語との呼応
   2) 修飾語の係り方
   3) 用字・用語の常識
   4) 特殊な用語の解釈
   5)「が」(けれども)に用心
   1) 句読点の必要性
   2) 句点の打ち方
   3) 読点の打ち方
著作 田口 耕作
 

 
 
第61話  知的散文の書き方
 
まえがき
 知的散文の書き方とこれに関連する事柄を先に述べ、そのあとで案外重視されていない句読点の打ち方の説明に努めようと思う。これらが、何かを書く場合のたたき台 にでもなれば、誠に望外の喜びである。
 
1.知的散文の意義
 知的散文というのは、何かについて主張することを目的とし、広い範囲での科学的な内容を論理的に綴った文章のことである。なお、記述する内容は、客観性のある事実に基づいたものでなければならないのはもちろんです。
 
 何かを書く場合は、自分の主張する問題を発見することが先決である。その問題を追究し、それに係る結論を発見するという二つの発見が決着していれば、知的散文を書く基礎がためができたものとみてよかろう。
 
 しかも、さまざまな試練に耐えていく力がこもっており、読者をつかむ魅力が備わっていなければならぬから、文章を書くに必要とする思考の量とその質が問題になるわけである。人間はある事柄について、疑問をもち、それを追究しようとする意識を強くもっていると、追求したくなるものである。これが、研究のはじめであろう。
 
 研究ということは、ものごとをよく調べ、細かく考察し、ある新しいことをきわめる仕事であるいえよう。つまり、ある疑問が動機や背景となり、自分の思索を論理的に追究したことを明確化し、学問的に記述する重要な作業である。それには、自分が研究したことの経過とその結果をみて、視点を移動し自己評価するのも研究であるから、それらを大切にして書かねばならない。このような姿勢から生まれた知的作品は新しい発見を現わすので、多くの反論に耐えていくであろう。
 
 それがためには、研究の発端から経過・結論にいたるまで、構文の技法に支えられながら論理的に書くと、その真価はさらに増大するであろう。要するに、研究とは何か、自分の主張したいことは何かを明確にすることとそれを文章で表現する技術的訓練と知識と経験がかなり必要になるわけである。
 
 知的散文の生命は、ある事柄の発見にある。簡単に発見といっても、それは実に多種多様であろう。すなわち、全く未知のものを探求すること、既に発見されていることを新たな発想・考察により深化・拡大すること、常識になっている考え方や見方に対して反論することなどの発見もあるであろう。
 
 知的散文は,この発見があるか、ないかによって、その価値の有無が決定される性質をもっている。したがって、論述する焦点は、ただ、一つであることが原則である。それにしても、自分の発見を主張する研究とそれを論述する研究と二重の研究を忘れていてはならない。研究という仕事とその表現は、自分の全身の発想・発表である。
 
 このような文章を書こうとするときは、自分の発見した問題をどのように研究するか、これに即した解明を発見するという二つの発見がかなめである。前述の二重の研 究と二つの発見が、最も重大な作業となる。この作業が達成された文章は、社会で広く活動し、貢献することができましょう。ここに、知的散文の意義が存在する。
 
2.知的散文の書き方
1) 言語表現の目途
 文章はいかに書けば、適切となるのであろうか。それは書く目的や分野により異なるので、それに応じた記述の技術を修得しておくことが必要である。目的を明確にし、言葉を精選した表現を重視しながらその並べ方や組み立て方を要領よく調整していくことが大きな要件である。
 
 表現の基本的な注意として、書き手の思考が整理きれており、内容が精密で、簡潔さがあり、新鮮な正確さも強く要求されることを心得ておくべきである。次の項目は、その他の要点を個条書きにしたものである。
 
 ○ 序論・本論・結論の内容と形式を明確にする。
 ○ 焦点が分散しないようにし言葉を節約する。
 ○ 問題意識を訴えるように始終配慮する。
 ○ 論理の飛躍と自己満足型の表現を訂正する。
 ○ 言語思考と運動思考のある資料を作成する。
 ○ 表記法の原則を守り短かくて強い文を記述する。
 ○ 原稿用紙は,書き方基準により使用する。
 ○ 記述するページ数を計画的に配分する。
 
2) 項目のまとめ方
 自分は何を書きたいのか、その項目を任意の用紙に予め個条書きにし、それに記述 順の番号をふり、さらにそれをまとまった群に作成したあと、それぞれの群ごとに調整するのも、文章全体の構成技法の一つである。あるいは、任意に作ったカードに各項目とその要点をごく簡単に記入する方法をとるのもよい。いずれにしても、この作業は、項目を分類するのではない。各項目を論理的にみきわめ、関係の深そうなものをいくつかの群にまとめあげる考えが大切なのである。
 
3) 能力より根気
 文章を書く苦しさには、本を読むのと異なる原因がかなり多い。誰でも使いなれた日本語で文章を書く場合、「話すように書こう」、「思ったままを書こう」、としても、そう楽に綴れるものではない。もっとも、天才的な才能のもち主は、論外である。何かを文章表現するからには、主題・項目を決め、思考を深化し、精密にすることからはじめるとよいであろう。
 
 文章の表現では、言葉・文字だけが何よりの頼りになるのであるから、自分の使う言葉や文字に責任がある。なお、言葉というものは、全く抽象的であることを承知しておかないと、文章の目的と機能が果たせなくなる。であるから、文章を書くには、一字一語を大切に使うよう留意することが条件となる。
 
 ところで、漢字を忘れたとか、仮名づかいが何だとか言っても、文章が書けない理由にはならない。字典・辞典もたくさんあるし、ねばり強く書く訓練を重ねさえすれば、誰でも、 書けるようになるであろう。
 
 いかに立派な研究であっても、表現がよろめいていたのでは、苦心の研究が生かされない結果になりかねない。文章表現については、考え方の相違によって制約されない力量があればあるほどよいから、自らの根気が必要である。文章を書く苦しさには個人差がかなりあるので、一様には言えないにしても、その人の能力よりも根気強く経験をつむことが、文章表現に役立つであろう。
 
4) 文章の立体化
 日本語は文字・語順・文章構成などの正書法が確立されていないようだし、表記法も書き手によって、まちまちな点が少なくない。正書法の基準がないというのは、日本語の短所であり、長所でもあろう。日本語のよさは、詩歌に適するとよくいわれる理由はこんなところにあるのかも知れない。
 
 ところで、強い文章を書くには、一つ一つの文を可能な限り濃縮し、これを必要に応じて組み合わせて、長文にするほうがよいであろう。簡単と簡潔とを区別する意識があれば、むだな接続語や修飾語を使わないですむわけである。余計な言葉をつけて書くと、文章が案外楽に書けるような心地がする。が、この考えでは、もたついた文、主語と述語とのねじれた文などができ易い欠点がある。言葉を精選すれば、平面的な文章を立体的に変えることができよう。長い文章を書きたい場合は、文と文を結ぶに接着性の強い接続語を使うように努力すると、きりっとした文章にすることができる。
 
 何の配意もない長文は、主述の関係が混迷したりいずれかが欠けたりして、複文や重文と違う混文になり、文意が不明瞭になる。
 
 もう一つの技法は、書き手は何を主張したいのか、その要点を早く述べる努力をすることである。その要領は、文の軽重を識別し、適切な順序に並べ、段落を整えることである。
 
 しかし、これらの技法だけが、基本のすべてとは言えない。誰でも、日常生活において、ものの見方、考え方を多面的に深めていく姿勢があってこそ、気楽に文章を書くことができると、思ってよかろう。
 
 これらの構想に基づいて書いた文章にこもる小さな種が、読者の内部でやがて大きく育つであろう。短くて立体的な文章は、知的散文の条件になっている。
 
5) 起承転結の活用
 文章表現を順序よくするために、漢詩の句の配列法で、「起承転結」というのがある。記述しようとする考えを第一の「起句」に書き出し、これで読者を注目させ、第二の「承句」は「起句」を受けて、それを効果的に進展させる役目をする。「起」の示す問題や事実の理解を助けるので、読者は納得し易くなる。
 
 第三の「転句」は、「起」から「承」への流れを変化させる目的を果す位置にたって活動する。このはたらきは、読者の関心を深める役割をする。次の「結句」が書き手の思考を総合するようになって、その表現は読者に強い印象を与え関心を確かめる。「起承転結」は、読み手を誘い込み、書き手の意図を活かす相乗表現の技術である。
 
6) 資料作成と扱い方
 知的散文のうち、即物的な研究についでは、その調査方法・結果・実験方法・図表・写真など必要によって、それぞれの要所に見易く添付するのが当然である。これらは、研究の要点・主張を固める場合に欠かせないものである。資料には整理番号を必ずつけ、その内容と説明との照合が能率的に行なえるよう配慮すべきである。
 
 この際、他人の作成した資料と言葉を引用する場合は、道義的に取り扱うのが常識である。他人の発表したことを引用するときは、誰が言ったかよりも、その中味を吟味しないと失敗するおそれがある。また、引用した資料と言葉に引き廻されることのないよう注意しないと、書き手の表現が弱体化し、逆効果をまねくこともあろう。
 
 関係資料は、書き手の研究を象形するものであるから、この作成と添付にあたっては、細心の注意を傾注するほどその価値は大きくなるであろう。資料は書き手に有利 なものばかり使うとは限らない。反対的なのを活用して、書き手が有利になる場合もある。
 
3.文章表現の要件
1) 主語と述語との呼応
 主語とは、一つの文の主題になっている事柄やものを示す部分をいう。述語というのは、その主語の動作・作用・性質や関係などを表わす部分のことである。このいずれかが欠けたものは、語法的な文とは言えない。会話は主語がなくても、相貌知覚が補ってくれる。が、文は記述された言葉だけを対象にするのであるから、修飾語と述語だけで文意を正しく表現するのは無理である。また、主語らしくない主語を使った文も、書くべきではない。
 
 主語と述語とがあわない文やねじれた文は主述関係が成立しないから、書き手の考えは不明になるし、読み手を迷路に誘い込むことになる。次の文は、主語と述語との 関係が成立していない例である。
 
 福祉は、私たちの足元にあることを教えられる。「広報かすが」は、みなさんにご愛読いただけるよう努力しております。
 
2) 修飾語の係り方
 文章を書くには、文中のある部分をうまく説明したり限定したりする修飾語の正しい係り方に留意したい。この役目にあたる語は、副調・形容詞・形容動詞は単独で、その他は文節・連文節などである。修飾語の位置・順序は、書き手によりさまざまである。しかし、これにも原則がある。次の文は、修飾語の順序を三通りに書いた例である。
 
 香港型のかぜは、いかにも速くすごい悪性をもって流行してきた。
 香港型のかぜは、速くいかにもすごい悪性をもって流行してきた。
 香港型のかぜは、すごい悪性をもっていかにも速く流行してきた。
 
 一般的に言って、修飾語の長いのと短いのとがたくさんある場合には、長い修飾語ほど被修飾語からできるだけ離しておき、短い修飾語は被修飾語にすぐ続けておくことが修飾語の係り方の原則である。
 
 この原則で上の例文をみると、「すごい悪性をもって」が先に、「いかにも」はこれに続き、最後に「速く」をおくべきである。表現上、他意がない限りこの原則で書くと分り易く、文章がきりっとする。
 
次の文は、 動詞を修飾する場合の例である。
 
 「彼は、字を正しく書く。」は、「彼は、正しく字を書く。」とも書ける。
 「私は、学校に車で行く。」は、「私は、車で学校に行く。」とも書ける。
 
 格助詞の「を」や「に」が、文節の終わりに付く修飾語を被修飾語に続けておくほうが、語法にかなうし、表現もすっきりする。
 
3) 用字・用語の常識
 文・文章を書くとき、背伸びして用字・用語を使うのは禁物である。書き手が真に理解していない単語や言葉を使って表現すると、見かけはよいようであっても、言語機能を失った空しい文・文章になることは免かれない。
 
 次の文章には、用字・用語の使い方に疑問があり、妙な言いまわしがかなりあるので、非常におもしろい例である。
 
 日本の人口構成が、いかに厳しい勢で老令化しつつあるかがうかがわれる。誰でもが駆け足で老令の老人になり、老人は誰の身の廻りにもいる。これからたどりつく年代に、人々は、無経験であり、「他人の世界」をわが身におきかえる福祉の心がなければそこに共通の会話は生れにくい。
 
 この文章を全般的に批判する紙面がないから、「老令の老人」だけを例にすると、これは重言といい、同じことを二度繰り返す表現である。例えば、「被害を受けた」、「犯罪を犯す」、「現在の現状」、「残暑が残る」、「ざらめの砂糖」の類である。むだな言葉は、重言ばかりではない。表現の変な文章は、ねじれていなくても、もたつきがあり、あいまいて、非論理的である。
 
 用字・用語の基準には、当用漢字、音訓表、仮名づかい、送り仮名などがあるのに、この例文にはこれらが役立っていない。言葉を使いこなせないためである。公式の場での質疑・答弁や情報機関誌にも、これに類似した誤りがかなりみられるのは不可思議である。
 
 日本語の特質を考慮せず、感情的表現にはしると、予期しない問題を起こしたり別の意味にとられたりするので困る。明解な論述をするには、平易な言葉を正しく語順よく使うことが現代人としての常識であり、現代の文体でもあろう。
 
4) 特殊な用語の解釈
 用字・用語のうち、定義のあるものには、注意が必要である。次の語は、その例である。
 
 「場合・時・とき」の使い方で、「場合」は仮定条件、既定事例の引用の条件を示す。「時」は、文字どおり時点である。「とき」は、不特定の時を表わす。仮定的条件が二つ重なった際は「場合」で表わし、小さな条件は「とき」で示すとされている。
 
 「者・物・もの」の「者」は人格の指称に用い、「物」は「者」以外の有体物に使い、「もの」は「者」または「物」では表現できない抽象的なものを示すに用いる。
 
 「及び・並び、に」では、「及び」は並列語句が二回のときは、「及び」で結び、併合的接続詞が二段階の場合は「及び・並び、に」を用いる。
 
 「少量・小量」では、「少量」は、全体として量が少ない意味であり、「小量」は、程度・単位が小である意味であるときに用いる。
 
 「追及・追求・追究」では、「追及」は、どこまでも追っていく意味で、「追求」は、 物事が正しいか否かをつきつめる意味をもち、「追究」は、次から次へと調べていく意味に用いるとなっている。
 
 「以下・未満」では、「以下」は、ある一定の数量を基準として、その基準を含んで、より少ない場合に用い、「未満」は、ある一定の数量を基準として、 その基準を含まずにそれより少ないものを表わすときに用いる。
 
 「そして・それで、」では、これらは、前後の文や語句を論理的に続ける役目と感情的につなぐ役目をする。一般的な散文は別として、知的散文でこれらを多く使うと、文意が誤解され易い接続詞であるから注意を要する。
 
「以前・前」では、「以」の字を付けて表現すると、基準点を含んで、その前、後 への時間的な広がりを表わし、「以」の字を付けないで表現すると、基準点を含まないとする。
 
このような類義語・類似語は、かなりある。定義的意味を正しく理解することが望ましい。
 
5) 「が」(けれども)に用心
 次の文は、相当に長い句が接続助詞「が」で結び付けられている例である。
 
 この件に関する反対の理由はよく判らないが、これ以上の時間の空費は許きれないが、10 月から大幅に遅れることになったが、このほどやっと成立した。
 
 この文には、「が」が 3 回使われている。このような使い方をすると、どんな長文でも書くことができる。しかし、その反面、納得し難い文が成立してしまう。そのため、読み手は読むには読んでも、理解するのにむだ骨が折れ、内容が消え去ってしまう見本である。
 
 アナウンサーでも、放送する原稿を持っていない時には、この「が」、(けれども)をみだりに使う者が少なくない。プロでさえも、「が」を連発する原因はこの用法・意味が多く、紛らわしいからであろうか。知的散文を記述する場合には、特に警戒したい語である。
 
4. 句読点の打ち方
1) 句読点の必要性
 句読点は、語と語、文節と文節、文節と連文節との関係や文の切れと続きを明確にし、文・文章のみだれと誤読などを防ぐに使う符号である。これは、重要な表記法である。
 しかし、日本語には、決定的な句読法といわれるものはないようである。とはいうものの、文法的・理論的に考えた句読法はないわけではない。国語改良問題のうち、句読点の打ち方については、研究・開発が遅れている部門であろう。どんなわけか、この専門書はあまり出版きれないし、国語教育でよく指導しないから、ひとによりばらばらである。
 句読点の打ち方を文法的・理論的・心理的に原則を活用しないのは、個人の責任問題である。誰でもこの必要性を感じ努力すれば、頭脳的に使いこなせる。読点の打ち方は、句点の打ち方より定石が複雑であり、布石にいたってはかなり多様である。であるから、それらを体系的に記憶するよりも、覚え方の知識を知るほうが効果的に記憶できょう。
 
2) 句点の打ち方
一般的な文の終わりのあと
 次の例文は、文末の語が動詞・形容詞・形容動詞・助動詞・助詞の順に並んでいる。
 
 黒幕という単語が、近い将来、欧米の辞書に載るのではないかという説がある。冬季五輪は、半分プロのような選手でなければ、好成績を収めるのは容易でない。ここにある本は、 詩歌に対する芸術観を理解するうえで貴重だ。
 
 ロッキード事件で特にとくをしたというと、語弊があるが、運がよかったと思えるのは、
冬季五輪の日本選手団だ。
 
 証人として衆院予算委に喚問されると、みんなとたんに「急性健忘症」にかかるのはなぜか。「選択性健忘症」もあるらしい。
 
名詞止めのあと
ロッキード事件に限らず、贈収賄で領収証の類は残さないことが常識。
 
省略形のあと
失敗をぼやきながらも、何とかもみ消そうという悪知恵を。
「 」を用いたあと ( 会話体は省略 )
テレビ映画に出てくるテープのように自動的に消滅する契約書にしておけば、ますます問題になるのは「政治当局者」。
 
個条書きのあと
この稿の「言語表現の目途」を参照のこと。ただし、題目、見出し、( )を用いた文のあとには、句点を打たない。
 
3) 読点の打ち方
 読点は、主語のあと、独立語のあと、接続詞のあと、接続語のあと、中止形(用言の連用形)のあと、格助詞(一部)のあと、副助詞(一部)のあと、直接続かない修飾語のあとなどに打つのが普通である。ただし、複文と重文の主語のあとには、読点を打たない。
 
格助詞のあと
( )は、 読点を打つ意味・理由を示す。
 
 文部省が、学校の主任制度を決定した。(「が」は主語文節であることを示す)見聞するより、ある意味ではよく感じさせる。(「より」は比較の基準を示す)
接続助詞のあと
余病が出なければ、あとは心配ない。
 (「ば」は仮定の順接条件を示す)
人間の死因をみれば、その99%までは毒物と感染以外の病気である。
 (「ば」は事態を示す)
ぜいたくな不幸もあれば、哀れな幸せもある。
 (「ば」は並列を示す )
成績が少しよくなれば、楽に入学できる。
 (「ば」は条件が整えばそうなる意を示す)
理論だけを頼りにすると、袋小路に入る。
 (「と」は仮定の逆接条件を示す)
調査しようとしまいと、全く自由である。
 (「と」は仮定の順接条件を示す)
薬を中絶すると、この病気は再発する。
 (「と」は事柄が続いて起こる意を示す)
研究が整っていても、表現に誤りがあってはよい知的散文とは言えない。
 (「も」は仮定の逆接条件を示す)
小児は不良姿勢をもっていても、それが臨床症状をすぐ呈してくれることは少ない。
 (「ても」は既定の逆接条件を示す)
急性肺炎などは抗生物質ができたから、何でもない病気のように言われる。
 (「から」は原因の既定順接条件を示す)
ひとりの患者で何回も検査することがあるので、患者カードを作成し整理しておく。
 (「ので」は原因の既定順接条件を示す)
東京に長くいるけれど、出身地は九州です。
 (「けれど」は既定の逆接条件を示す)
運動もするけれども、勉強もよくする。
 (「けれども」は並べていうことを示す)
図書館に行くのですけれども、誰かいっしょに行きませんか。
 (「けれども」は前置きを述べる意を示す)
耳なりは自己の環境に音源がないのに、音が聞える症候である。
 (「のに」は既定の逆接条件を示す)
時代がいかに変わろうが、方丈記の無常感は現代人の内部に存在する。
 (「が」は仮定の逆接条件を示す)
彼は批評家に適するが、行為の人にはなれない。
 (「が」は既定の逆接条件を示す)
知的散文の書き方を知りたいが、どんな本を読んだらよいだろうか。
 (「が」は前置きを述べる意を示す)
心臓を切開し、心房の一部に輪状に糸を縫い込んで、カニュールをさし込んだ。
 (「で・て」は前後を接続する意を示す)
学術調査の仕事に関係していたため、その種の実例はたくきん見て、よく知っている。
 (「て」は既定の順接条件を示す)
当選する人もいるし、落選する人もいる。
 (「し」は並べていう意を示す)
人間の出す声は遠くに届くものではないし、その時限りで消えるのが本当の性質です。
 (「し」は一つをあげて理由を示す)
福祉時代と言いながら、事務的でしかない。
 (「ながら」は既定の逆接条件を示す)
 
副助詞のあと
人間の姿勢は、相当程度まで内的感情の肉体的表現である。
 (「は」は主語文節であることを示す )
人間にとって大切なものは、自己の健康と生命である。
 (「は」は他と区別し特に強める意を示す)
財産も、地位も、名誉も、生命の貴きに比較すれば、ものの数ではないはずである。
 (「も」は並べて強調する意を示す )
これはと思う人まで、文学に興味をもつ。
 (「まで」は極端な場合をあげ強意を示す)
講義から実習まで、すっかり終わった。
(「まで」は例をあげその範囲を示す)
受付は、その日の午前 10 時まで、とする。
 (「まで」は限定の意を示す)
麦は踏めば踏むほど、強くなる。
 (「ほど」は程度に比例する意を示す)
換気扇のない小室ほど、酸欠現象を起こす。
 (「ほど」は程度を示す)
積雪2メートルくらい、珍しくはない。
(「くらい」は例示を軽くみなす意を示す)
遠い彼方にこそ、美しい世界があるという。
 (「こそ」は強調する意を示す)
この薬はなぜ必要なのか、医師は説明する。
 (「か」は疑問・質問の意を示す)
姿勢がよいとか、悪いとか、いうが何を基準として判断するのでしょうか。
 (「か」は一つを選択する意を示す)
 
終助詞のあと
70 歳のうさ晴しがね、28件も連続放火した。
 (「ね」は語勢を添える意を示す)
卒論の提出は明日だぞ、遅れては困る。
 (「ぞ」は念をおし確かめる意を示す)
私の調査結果は変だぞ、再調査しよう。
 (「ぞ」は自分に言いきかせる意を示す)
五つ子は、1億分の1の確率の中で生まれたな、と感じながら医師は見守っている。
 (「な」は感動・詠嘆の意を示す)
強奪されたピカソの作品は、どうしたかしら、と美術関係者の心を痛めている。
 (「かしら」は疑問・質問の意を示す)
 
接続詞のあと
短歌や俳句は、複雑な思想や感情を表現するには、不適当な文学であると言われている。
しかし、近代短歌、近代俳句をよむと、近代的な自我意識をするどく投影させている。また、短歌や俳句は、働きながら作れるという便利さがある。戯曲は演劇の台本である。したがって、戯曲は実際の舞台があって、存在理由がある。
 (「しかし・また・したがって」は独立文節を構成し文と文とを接続する意を示す)
 
直接続かない修飾語のあと
保険診療の方は、必ず、保険証を受付に提出して下さい。
 (「必ず」は提出して下きいに係るため)
昔の人は、文章を書き写したという。やがて、それが、自分の創造活動になった。
 (「必ず・やがて」はいずれも副詞である)
 
文の構成によるいろいろな語のあと
相貌的知覚が、語を相当に補助する。漢字の数は、5万5千4百余ある。残虐性も、現代人の快楽の要素になった。
 (主語と述語との関係が、1回だけで成立しているから単文といい、主語文節の あとに読点を打つ)
台風が接近しているので、雲の動きが速い。
 (主語と述語との関係が2回以上従属句で成立している文は複文といい、主語文節のあとに読点を打たない)
美しい月が輝き、涼しい風が吹き渡る。
 (主語と述語との関係が2回以上対立句で成立しているのは重文といい、主語文節のあとには読点を打たない)
 
あとがき
 フランス人として美しくフランス語を話せることは、ある種の魅力的な素養と考えられている。美しいフランス語を話すには、教養が高くなくてはならない。そのために、歌手や俳優など舞台に立つ人や政治家のように人を説得する必要がある職業人は、美しいフランス語を話すために、個人的にレッスンを受けると聞いたことがある。
 
 知的散文というのは、何かについて自分の考えを主張することを目的とし、ある意味で科学的な内容を論理的に綴った文章のことである。そのため美しい日本語であることはかならずしも必要条件ではない。しかし、記載する内容は客観性のある事実に基づいたもので、その表現は正確でなければなりません。客観的な内容を正確に表現することは、かならずしも簡単なことではない。美しい日本語を書けることは、さらに別な素養が必要となる。
 
 フランス人の美しいフランス語と同じように、文章を客観的に正確に書けるようになるためには、それなりの意識した努力が必要なのです。句読点ひとつとっても、どこに打つべきかを考える必要がある。そのような立場から少しでも立派な知的散文を書くために本文がいささかでもお役にたてればと期待している。
 
 
平成20年11月2日
著作者 田口 耕作
春日部市老人福祉センタ一所長
 
 

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