第67話
 イグ・ノーベル賞とはなんだろう
 

 
 
「主な対象読者」
 主な読者としての対象者は、小学生以上および教育学部の大学生です。
 小学生は正確に理解できないかもしれません、その時には両親に相談してください。概略を理解して貰えるように写真を多く入れてあります。
 
「読者への期待」
 イグ・ノーベル賞という名前を聞いたこともない人が多いと思います。私もなんのことか良く判らないうちにイグ・ノーベル生物学賞の受賞者となり、アメリカ・ボストンにあるハーバード大学で行われた授賞式に出かけてきました。
 私は微生物を職業として扱うプロですが、専門はウイルス学です。少しは世の中のためになる微生物を研究したいと思い、副業として生活に密着した微生物をも扱うようになりました。ところがイグ・ノーベル賞に選ばれた研究は、副業として行っていたパンダのフンから取り出した細菌を使ってのゴミ処理に関するものでした。
 本業か副業かの区別には無関係に研究成果をまとめて雑誌に記録として残しておくと、いつの日にかその記録が誰かの目にとまることもあるのです。イグ・ノーベル賞の受賞者に選ばれて、記録しておくことの大切さを学びました。
 将来のある読者の皆様、特に近い将来に小中学校の教員を目指している理科が不得意な大学生にとって、きっと新たな発見があるものと期待しながら原稿を書いてみました。
 
 
 
本 文 目 次
著者 田口 文章
 

 
 
第67話 イグ・ノーベル賞とはなんだろう
 
イグ・ノーベル賞への招待
 「イグ・ノーベル賞事務局からメールが届いていませんか、田口にメールを送っているが返事がないと言っています」と、知人から問い合わせのメールを貰いました。平成21年4月上旬のことでした。
 
 その後すぐに米国ボストンにあるイグ・ノーベル賞事務局から「あなたはイグ・ノーベル賞の受賞候補者にあげられています」とのメールが入り、受賞候補者に選ばれていることを授賞式まで絶対に秘密にしておいてくださいと強くクギを刺されました。
 
 2009年度は19回目の授賞式であるとのことおよび5000件もの受賞候補者うちから選ばれた10名だと聞いて、ありがたく頂きますと答えました。Congratulation! とのメールは貰いましたが、あなたはイグ・ノーベル賞の受賞者に決まりましたとの連絡はその後も全くありませんでした。
 
 次から次へとメールによる情報が届くようになりました。例えば、10月1日に開催されるイグ・ノーベル賞の授賞式では、ノーベル賞受賞者からイグ・ノーベル賞の賞状や副賞が贈られます、その時60秒以内で受賞の挨拶をしてください、また10月3日には5分間で受賞記念講演をお願いします。原稿の準備をしておいてくださいお願いします。但し、交通費は自己負担でお願いしますともありました。
 
 スピーチは、まず面白おかしく聴衆を笑わせるような導入部で始め、そのうちになるほどと考えさせるようなスピーチ(Laugh and Think)を期待していますとの希望が添えてありました。英語でなくても聴衆を笑わせるようなスピーチなんてとても難しくて出来る筈がないと私は思いました。さらにスピーチの原稿とパワーポイントなどのスライドの原稿を事務局に事前に届けてくださいとのことでした。
 
イグ・ノーベル賞を知っていますか
 自分でもよく知らなかったイグ・ノーベル賞と呼ばれるものを貰ってきました。受賞者の選定はどのような経緯を経て誰が決めていのか、イグ・ノーベル賞の設立の目的は何であるのか、その意味はなにかなどについては、いまも私にはよく判りません。
 
 ボストンから帰ってきてからイグ・ノーベル賞について「The Improbable Research」のウエブサイトで少し調べてみたら、次のようなことが判りました。
 
 イグ・ノーベル賞(Ig Nobel Prize)の由来:ノーベル賞のAlfred Nobel(アルフレッド・ノーベル)の身内であると信じて疑わないIgnatius Nobel(イグネイシアス・ノーベル) という伝説的人物がいて、このイグネイシアス(略して“イグIg”)・ノーベルの財産で創設されたと言われる。(小冊子「Ig Nobel Prize Ceremony 2009」の裏表紙に記載されています。
 
 イグ・ノーベル賞の創設者:ユーモア科学研究誌Annals of Improbable Researchの編集長を務めているマーク・エイブラハムズ氏Marc Abrahams が1991年に創設し、以来イグ・ノーベル賞委員会委員長とイグ・ノーベル賞の授賞式と受賞記念講演の総括責任者の任にあります。
 
 何とはなしにだんだんと判ってきたことは、ノーベル賞受賞者、大学教授、大学院生などにより毎年5,000件にもなる候補論文(含自薦)を選び出し、何段階かの選考委員会の選考を経て、そのなかから「彼らの独自の基準(まず人を笑わせ、そして考えさせる)」に合致する10名の個人または団体を受賞候補として選び出しているようです。
 
イグ・ノーベル賞の受賞式
 米国東部のマサチュセッ州ボストンには、米国屈指の名門校ハーバード大学があり、そこに隣接してこれまた米国屈指の名門校マサチュセッ工科大学(MIT)やボストン大学などが数多く存在します。そのハーバード大学で一番古いメモリアルホールという建物があり、そのなかにサンダース・シアターと呼ばれる古色豊かな大ホールがあります。この大ホールでイグ・ノーベル賞の授賞式が行われました。
 
 一部の関係者を除いて一般の人達は、3,500円ぐらいの入場料を払って授賞式の会場に入ります。たちまち1,200席ほどの会場は満席になり、立っている人も大勢いました。
 
 聴衆からみてステージの右側にノーベル賞受賞者が3列に着席し、受賞者10名はその後ろに二列に座りました。
 
 ステージの真ん中から左の方には、実に様々な道具があり、また多くの人たちがそれぞれのコスチュームで椅子に掛けていたり立ったりしていました。ステージの左右と中央に身体全体を銀色に染めた3人の男女が強力な懐中電灯を手に持って立っていました。
 
 シルクハットとタキシード姿の実行委員長マーク・エイブラハムズ氏が演壇(えんだん)に立ち、第19回イグ・ノーベル賞2009の開催を宣言しました。ノーベル賞受賞者の紹介から始まり、色々な組織の役員や委員、オペラ歌手や楽団員、ボランティアの方々が紹介され、また老齢なノーベル賞受賞の女性がお付きの男性にエスコートされながら壇上に来て「笑いましょう、笑いましょう」と唱え、会場一杯の聴衆を笑わせていました。このように賑やかうちにイグ・ノーベル賞の授賞式が始まりました。
 
 一呼吸おいてオペラの前奏が始まり、オペラ歌手とノーベル賞受賞の美声がホール一杯に響き渡りました。そのオペラの適当な合間に受賞者が1人ずつ呼ばれ、各受賞者のお付きの者に導かれてステージの真ん中に立ちます。受賞者の氏名、所属、受賞の内容などがシルクハットとタキシード姿の実行委員長から紹介され、ノーベル賞受賞者の先生と握手をしてから副賞品を頂きました。
 
 次に受賞の挨拶をするのですが、会場の聴衆が大笑いをするものですから、時間がどうしてもオーバーして60秒以内では終わらない人が時として出ます。すると小学ニ三年生と思われる小さな女の子がステージの裾から現れて「話をやめてください、もう飽きた」とカン高い大きな声で叫び、講演者は女の子に根負けしてスピーチを終わらせざるをえなくなります。するとその仕草を見ていた聴衆がまた大笑いをするのです。
 
田口文章さんの出番です
 サンダース・シアターの入口を入ったところの受付で「田口です」と名乗ったら、「田口さんは生物学賞の受賞者」です、また「田口さんの業績は一番素晴らしいのでファイナルを飾ってもらいます」と最初に言われました。最後の受賞者ですから、全員のスピーチなどを聞いて参考にする暇がありました。
 私が紹介されてノーベル賞受賞者の先生の前に立ちましたら、その先生は「田口先生、生物学賞の受賞おめでとう」と力強く握手をしてくれたのは良いのですが、いつまでも手を放してくれないのです。二人で手を上下させていつまでも手を握っているものですから、聴衆はヤンヤと囃(はや)したてていました。そこでサイコロ2個からなる奇妙な副賞を頂きました。
 
 日本から手のひらサイズの小さなパンダの人形を持参していましたので、予定外の行動なのですが、そのパンダを聴衆に見せながら、本日ここにお集まりの皆様に私に代わってパンダがご挨拶いたします「 Risky (今年度の共通テーマ、意味不明)」と言いました。これがどうしたこと大変に受けました。
 
またパンダは、面白い魅力的な外観の動物だが、パンダの糞は動物の糞のようには見えず、笹の葉や茎などがほとんど未消化のまま排泄され、その糞は動物の糞特有の悪臭がないので、良い実験材料でありその上取り扱いが容易でしたと言うと、非常な笑いを誘うことができました。
 
 意外なところで聴衆が大笑いすると、どうしても一息いれてしまうものですから、予定していた60秒のスピーチの途中で小さな女の子が私のそばに来て「話をやめてください、もう飽きた」とカン高い大きな声で叫び始めました。もうすぐ終わるから数秒静かにしてくれないかと諭しても叫び続けるものですから、それではこのパンダをあげるから黙ってくれと言いましたが効果はありませんでした、それで急にスピーチをやめました。女の子はパンダを誇らしげに持って行ってしまいましたので、私と女の子とのやりとりを見ていた聴衆から大喝采を貰いました。
 
イグ・ノーベル賞受賞記念講演
 10月3日の講演会は、会場をハーバード大からMITに移し、500人ほどが入る階段式のホールで行われました。席に座れないで立っている人が大勢いました。司会者が会場の皆様のなかから時計係5人を選ばせてもらいます、各1分経過ごとに「1分経過、2分経過・・・」と言ってくださいと頼んでいました。私はまた最後の発表でした。
 
 少しふざけて「Feces Innovation Today」というタイトルで、パンダとシロアリの糞から分離した細菌たちが地球環境の保全に貢献し、日本国内で排出されるバイオマスを処理して回収できる水素ガスで100万台の水素燃料電池車を150日間走らせることができると話しました。予定の5分間で終了できました。
 
 その後にフロアーから多くの質問が出されました。米国東部、特にニューイングランド地方の人達の会話のスピードは、南部の人達と比べて非常に早口なのが特徴です。そのため一部の質問は聞きとれませんでした。すると司会役がこんな意味の質問だと言い換えてくれました。それで何とかその場をやり過ごすことができました。
 
終わりに一言
 このイグ・ノーベル賞という企画は、一部ふざけているように見える部分もありますが、科学的であり真面目なものであるとの印象をもちました。この種の企画や発想は、日本人にはできないもので、「陽気なヤンキーのエンターティメント」だと思いました。スエーデン・ストックホルムで行われるノーベル賞受賞者の発表直前にハーバード大学で行い、オペラの演奏やノーベル賞受賞者の参加などが授賞式に色合いを添えているなどよく考えられているとの印象を受けました。
 
 賞状には4人のノーベル賞受賞者が証人としてサインがしてありましたが、副賞は一辺が20センチぐらいの黄色いスポンジのサイコロが2個組み合わされた奇妙で意味不明なものでした。このユウモアーを解せなくて「なんだこんなものと」と怒ってはいけないのだと自分に言い聞かせながら帰ってきました。
 
 学術的な価値の低い実験成績と考えられる内容であったとしても、文字にして書き残しておくと、なにかの折りに誰かの目に留まることがあり、記録として残しておくことの大切さを教えられました。自己負担の部分もありましたが、参加してよい経験をさせてもらいました。ある意味で偉いノーベル賞受賞者の先生方が難しい顔もせずにイグ・ノーベル賞の授賞式に喜んで参加していることは、仕事=研究には真面目に励むことが必要であるが、同時に人生を楽しむことも大切であることの意味を知らされた気がしました。ありがとうイグ・ノーベル賞!
 
 イグ・ノーベル賞の生物学賞の受賞記念として私がMITでおこなった講演「Feces Innovation Today」という発表内容は、次の機会で説明します。ご期待ください。
 
著作者 田口 文章(ふみあき)
 
 
   
 
 

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