「主な対象読者」
今回の対象者は中学生以上の生徒、小中学校の先生や若いお母さんたちです。中学生には少し難しい単語や表現があるでしょうが、それらについては両親や先生に相談してください。また小学高高学年の生徒でも少し難しくても読めると思います。少し背伸びをしても努力してみましょう。
「読者への期待」
遺伝子組換え米の開発目的やこれら遺伝子組換え作物の必要性並びに将来性などについて考えてもらうことを期待して書きました。
本 文 目 次
1) 遺伝子とは?
2) 組換えDNA技術
3) 植物に遺伝子を導入する方法.
1) なぜ健康機能性米が必要なのか
2) ターゲットとなる機能性成分
3) 米に機能性ペプチドを蓄積するためにはどうすれば良いか?
1) 高血圧対策米
2) II型糖尿病治療・予防米
3) 血清コレステロール値低下米
4) スギ花粉症緩和米
5) その他
著者 若佐 雄也
第68話 毎日食べて健康増進!! 健康機能性米の開発研究
はじめに
みなさんは、お米のご飯が好きですか?米は炭水化物やタンパク質を多く含んだ栄養価の高い私達の主食です。近年この米に、高血圧症、高脂血症、糖尿病といった生活習慣病や、スギ花粉症、アトピー性皮膚炎(ハウスダストアレルギー症)といったアレルギー疾患の予防もしくは治療効果を期待した 「健康機能性米」の開発研究が進められており、研究者の間で注目されています。
今回はみなさんに健康機能性米の開発研究について理解し興味を持ってもらうことを第一の目的に、そして遺伝子組換え作物というものの存在意義について考えてもらうために本稿を書きました。初めにいくつかの専門用語を説明しながら、本編の健康機能性米の開発について書き進めたいと思います。
高血圧症:
血圧が正常範囲を超えて高く維持されている状態。高血圧自体の自覚症状は何もないことが多い。生活習慣病のひとつ。
高脂血症:
血液中に含まれるコレステロールなどの脂質が過剰な状態。2007年から脂質の過剰のみならず付則している状態を含めて、脂質異常症とよぶ。
糖尿病:
糖代謝の異常によって血液中のブドウ糖の濃度が病的に高い状態。
アトピー性皮膚炎:
皮膚の炎症のうちアレルギー反応と関連があるもので過敏症の一種。慣用的にアトピーのみで皮膚炎のことを指すことが多い。
1.植物遺伝子組換え技術への招待
1) 遺伝子とは?
健康機能性米を開発するために欠かせない技術は,「遺伝子組換え技術」です。そもそも遺伝子とは何でしょうか? 知っている人も多数いるかもしれませんが、全ての生命の設計図は、DNA(デオキシリボ核酸)という物質に書かれています。そしてその設計図全体を「ゲノム」と呼びます。
DNAは4種類の塩基、アデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)とチミン(T) が並んで出来ていて、AとTおよびCとGが対となった2本鎖になっています(図1a)。ゲノムはそれが長くつながったものということになります。単位は「ベース(b)」で、塩基が10個並ぶと10ベース(10 b) です。
図1a
塩基:
化学において酸と対になって働く物質のことで、英語ではbaseと呼ぶ。核酸が持つ核酸塩基のことを、単に塩基と呼ぶことがある。
例えば、イネゲノムはおよそ200,000,000個の塩基 [200 Mb(メガベース)] から成り、そのイネゲノムには、およそ32,000個の遺伝子があると推定されています。32,000個の遺伝子は、200 Mbのイネゲノム中にぎっしりと敷き詰められているわけではなく、ゲノムを大海原だとすると、その中に遺伝子という小島が点々とあるような感じです。
1つの遺伝子には、1つのタンパク質を作るための暗号が、当然ながら塩基によって書かれています。みなさんはもちろんのこと、私達専門家が見ても、遺伝子はA、C、G、Tが不規則に並んだものにしか見えません。しかしながら、その無造作にしか見えない配列が、重要な意味を持っているのです。
アミノ酸とタンパク質:
生化学の分野では生体のタンパク質の構成単位となる「α-アミノ酸」を指す。タンパク質はアミノ酸が多数連結してできた高分子化合物で、生物の重要な構成成分のひとつである。連結したアミノ酸の数が少ない場合はペプチドと呼ばれることが多い。
図1b
表1
遺伝子は3種類の部位に分けられます(図1b)。プロモーターは,その遺伝子がどの時期に、どの場所で、どの程度の強さで働くかを制御しています。例えば種子で必要な遺伝子は種子でしか働きません。次にコード領域ですが、ここの塩基配列により、どのようなタンパク質を作るのかが決定されます。この配列に従ってタンパク質の材料である「アミノ酸」が順次運ばれ、これらが次々とつながってタンパク質が出来上がっていきます。最後にターミネーターですが、これは遺伝子の終わりを示す目印のようなものです。遺伝子には決まった長さというものはなく、1,000 ベース程度から数十キロベースにも達するものまであり、遺伝子によって異なります。
察しの良いみなさんならもうこの段階で気が付くかもしれません。イネの種子(米)で働く「プロモーター」、健康機能性を持つタンパク質の「コード領域」、終わりを示す「ターミネーター」から成る遺伝子を人為的に作製し、これをイネの「ゲノム」の中に入れてやれば、健康機能性米が作れるのではないかということを。
2) 組換えDNA技術
上の文で説明したように、米に健康機能性を与えるためには、それに相応しい「遺伝子」を作る必要がありそうです。そのようなことが可能でしょうか?実はDNAを自在に操る道具が、偉大な先人達によって既に開発され、「組換えDNA技術」と呼ばれています。
組換えDNA技術は、私達が文章などを編集する作業と似ています。DNAをカットしたりペーストしたりする制限酵素や結合酵素、両者はまさにハサミとノリです。また必要なDNA領域を増やすために用いる大腸菌やPCR法 (合成鎖反応)、これらはまるでコピー機かプリンターといったところです。
制限酵素:
酵素の一種で2本鎖のDNAを切断する。制限酵素はDNA中にある塩基配列のパターンを認識し、その付近あるいはその配列の内部で切断する。
PCR法:
PCR法では鋳型となるDNAにプライマーをつけて、DNA合成酵素によって目的のプライマー配列にはさまれるDNAを特異的に検出する。
このような先人達の知恵を拝借し、さらに手を加えて洗練した結果、現在ではDNAの塩基配列をほぼ自由に制御できるようになっていることから、私達は目的に合ったプロモーター、コード領域、ターミネーターからなる遺伝子を容易に作製できます。
3) 植物に遺伝子を導入する方法
目的の遺伝子が出来上がったら、次にイネゲノムに導入しなければなりません。そのための方法はいくつかあるのですが、イネでは「アグロバクテリウム法」がもっとも良く利用されます。アグロバクテリウムはアグロ(土壌)、バクテリウム(細菌) というその名の通り、ごくごくありふれた土壌細菌です。アグロバクテリウムは自身の生活の為、驚くべき戦略を用いています。
アグロバクテリウム:
グラム陰性菌に属する土壌細菌であるリゾビウム属の細菌のうち、植物に病原性をしめすものの総称。かつてはアグロバクテリウム属として独立していたが、現在はリゾビウム属に含まれ学名としては廃止となった。しかしながらアグロバクテリウムという分類は便利なため、分野や用途によってはこの呼称も広く使われている。アグロバクテリウムは、植物細胞に感染してDNAを送り込む性質があるため、植物のバイオテクノロジー分野では良く利用される。
プラスミド:
細菌や酵母の細胞質に存在し、細菌や酵母の染色体DNAとは無関係に増える。一般に環状2本鎖構造をとる。
アグロバクテリウムは、植物が昆虫にかじられてできた傷などから植物細胞に感染します。アグロバクテリウムには、ゲノムDNA以外に「Ti プラスミド」と呼ばれる環状のDNAが存在し、植物に感染後このTiプラスミドから「T-DNA」と呼ばれる領域を切り出し、これを植物ゲノムまで運搬して挿入することができます(図2a)。
図2a
T-DNAには植物の細胞分裂を促進するための遺伝子がいくつか含まれており、自身のゲノムにT-DNAが挿入された植物細胞は,制御不能の細胞分裂を繰り返すことになります。そんな植物には「クラウンゴール」と呼ばれるコブができ(図2b)、そのコブは、アグロバクテリウムにとっては住家となるだけではなく、栄養までも供給してくれる超高級マンションとなるわけです。
図2b
かつて、そんなアグロバクテリウムの生存戦略を興味深く研究している人達の中に、このシステムには,いろいろな遺伝子を植物ゲノムに運び込めるカギがあることに気が付いた人がいました。
答えを聞いた後では当然のことと思えるのですが、T-DNAの中身を先ほど説明したカットとペーストを用い、クラウンゴールを作る為の遺伝子群を取り去った後、そこを導入したい遺伝子に置き換えてしまえば、アグロバクテリウムはその遺伝子を含んだT-DNAを植物のゲノム内に運んでくれるに違いない・・・。こうして、アグロバクテリウム法が発明されました。
アグロバクテリウム法の具体的な説明を、「イネに遺伝子を導入する場合」を例に説明しましょう。最初に必要なものは、T-DNA領域を含んだ「バイナリーベクター」と呼ばれるプラスミド(環状のDNA)です(図3a)。T-DNAの中にはあらかじめ農薬や抗生物質に耐性となるための遺伝子が1つ入っています。
図3a
抗生物質:
微生物が産生し、ほかの微生物の増殖を抑える物質の総称。イギリスのフミングが最初に発見したペニシリンは青カビが産生する協力な抗菌性を示す抗生物質である。
培地:
微生物や生体組織の培養に用いられ、培養対象物に栄養環境を提供する。炭素源、ビタミンや無機塩類などの栄養素を含む。
その隣にはカット、ペーストをしやすいように細工が施されたDNA配列が並んでおり、この領域に目的遺伝子を入れてやると第一段階終了です。その後目的遺伝子を含むバイナリーベクターをアグロバクテリウムに戻し(これは簡単にできます)、イネの細胞に感染させます。
イネにアグロバクテリウムを感染させるとき、材料は「カルス」と呼ばれる未分化 (まだどの組織になるか決定していない) の細胞塊が用いられます(図3b)。イネカルスは玄米を特別な培地 (栄養が入った寒天) で育てることで容易に手に入ります。このカルスにアグロバクテリウム感染 (カルスに菌液をかけるだけですが) をおこなった後、しばらくの間は、大役を果たしお役御免となったアグロバクテリウムを除き (殺し) つつ、カルスを培地上で育てます。
図3b
私は、このステップ時にいつも「昨日の友は今日の敵」という言葉が脳裏をかすめます。しかしながらアグロバクテリウム感染終了後、アグロバクテリウムを生かしておくことは、カルスの生長に著しい悪影響を与える為、なるべく速やかに除く必要があります。
実は、アグロバクテリウム感染によって、全てのカルスのゲノムにT-DNAが導入されるわけではなく、むしろ 遺伝子が導入されたカルスはほんのわずかでしかありません。すなわち、アグロバクテリウム感染後、大量のハズレカルスから、ごく少量のアタリカルスを「選抜する」必要があります。ここで役立つのが、T-DNAの中にあらかじめ入っていた農薬や抗生物質の耐性遺伝子です。
カルスを育てる培地に農薬や抗生物質を入れておくと、T-DNAが導入されなかったカルスは枯死してしまいますが、T-DNAが挿入されたカルスはそれらの耐性遺伝子の働きにより、生き残ります (図3c)。厳しい選抜に生き残ったカルスのゲノム内には、耐性遺伝子の隣に、満を持して出番を待つ目的遺伝子も一緒に導入されたはずです。このように、アタリカルスを選抜するために使われる農薬や抗生物質遺伝子は総称して、「選抜マーカー遺伝子」と呼ばれています。
図3c
その後、T-DNAが導入されたカルスを培地上で十分増殖させ、再分化 (カルスから葉や根をだすこと、図 3d) をおこないます。
図3d
このようにしてイネへの遺伝子導入はおこなわれるわけですが、技術的には、道具と施設さえ揃っていれば、難しいところは何も無く、みなさんにも十分できるレベルです。遺伝子組換え技術というと、一見とても複雑で、少し怖いような印象を受けるかもしれませんが、実際は理科室の実験とさほど変わらない全く以って身近な技術なのです。
ここまで、イネに遺伝子を導入する方法について説明しました。次からはいよいよ本題である健康機能性米の開発に入ります。
2.健康機能性米の開発
1) なぜ健康機能性米が必要なのか
食生活の欧米化や生活スタイルの変化から、高血圧症、高脂血症、糖尿病といった生活習慣病や、花粉やダニ (ハウスダスト) などに対するアレルギー疾患を患う人が年々増大しています。また人口の20%強を65歳以上の高齢者が占めることが推定されている一方で、15歳以下の若年層、すなわちみなさんぐらいの世代は減少し続けていることから、本格的に超高齢化社会に突入したといえます。
今後増え続けることが予想される医療費を出来る限り減らすには、これまでの治療を中心とした医療だけでなく、疾病を未然に防ぐ、すなわち予防に重点を置いた医療も重要であり、生活習慣病をはじめとした疾病予防に関する研究を活発に進める必要があります。
私達は、様々な機能性成分を米に蓄積させた健康機能性米の開発を進めているわけですが、私達の主食である米に、生活習慣病やアレルギー疾患の予防や緩和機能を付与することで、毎日の食事を通しての健康維持・増進を図ることが可能となり、疾病予防に役立てることができると期待しています。
2) ターゲットとなる機能性成分
私達が毎日食べている食品中のタンパク質やその分解産物から、様々な機能性が見出されています。特に機能性を持つタンパク質分解産物は、「機能性ペプチド」と呼ばれ、食品タンパク質が消化管内の消化酵素によって切り出されることで生成し、腸管から取り込まれることで機能を発揮します。
「ペプチド」とは、短いタンパク質と思ってもらえば良いでしょう。タンパク質はアミノ酸が連なったものですが、2から数十アミノ酸ぐらい連なったものを「ペプチド」、それ以上からが「タンパク質」という目安で良いのではないでしょうか。これまで、コレステロール低下、高血圧低下、血糖値低下など様々な機能を持つペプチドが見出されています (表2)。
一方、アレルギーの原因となる抗原タンパク質も、投与法によってはむしろアレルギーを緩和させることが知られています。私達の腸管は、毎日大量の食べ物が通過していくわけですから、頻繁に自己のものではないタンパク質やそれらの分解産物と接しています。また腸管内には、信じられないほど大量の微生物が棲んでいます。これらのことから、消化管表面には、免疫応答に関わる細胞が大量に存在し、自己・非自己に関する戦いが日々繰り広げられています。
抗原:
免疫抗体などの産生を誘導し、また免疫反応を引き起こさせる物質の総称。
免疫:
感染、病気あるいは侵入生物を回避するために強固な生物的防御力を持っている状態を指す。広い範囲の微生物を排除する働きをもつ。
免疫というと、自己と非自己を認識し、非自己を排除することと思われますが、実はそれだけではありません。非自己を非自己として認識しない「免疫寛容」という機構も存在し、特に「腸管免疫寛容」は私達が注目している機構です。
腸管免疫寛容は、簡単に説明すると、スギ花粉抗原タンパク質を経口投与(食べさせる)し続けると、徐々に腸管免疫寛容が働きだし、抗原を抗原として認識しなくなることから、花粉症の症状が軽減されるということです。しかしながら、アレルゲンタンパク質をそのまま経口投与することは、人の体質によっては「アナフィラキシー」と呼ばれる、死にもつながりかねない大変危険な過敏感反応が起こる可能性が残ります。
その解決策として近年、抗原タンパク質由来のT細胞抗原決定基(T細胞エピトープ)の経口投与による免疫療法が、極めて安全な免疫寛容誘導法として報告されました。
抗原決定基(エピトープ)とは、免疫細胞の1つであるT細胞が抗原タンパク質を抗原と認識するのに必要な領域で、数アミノ酸から成ることから、エピトープぺプチドとも呼ばれます。このエピトープペプチド免疫療法の画期的な点は、抗原タンパク質を投与した場合と同様、免疫寛容が誘導できるにも関わらず、アナフィラキシーが起きないという点にあります。
私達は、食品由来の機能性ペプチドや、花粉症などの抗原タンパク質に含まれるエピトープペプチドを米に大量蓄積させることで、健康機能性米の開発を実現させようと日々研究を進めています。
3) 米に機能性ペプチドを蓄積するためにはどうすれば良いか?
米に機能性ペプチドを蓄積させるためには、その為の遺伝子を作製する必要があります。みなさんは覚えていますか? 遺伝子には「プロモーター」、「コード領域」、「ターミネーター」と大きく3つの要素からなっていたことを。プロモーターには、種子貯蔵タンパク質を作る為の遺伝子に含まれるプロモーターが利用されます。
種子貯蔵タンパク質には「グルテリン」、「プロラミン」、「グロブリン」など数種あり、いずれのプロモーターもよく利用されます。これらのプロモーターは、種子(コメ)の中だけで強力に働き、その他の組織、葉や根では全く働きません。これを例のコピー機で増やし、本当に必要な部分をカットしてペーストすればプロモーターの準備が完了です。ターミネーターにも、種子貯蔵タンパク質のものが使われます。
最後に、プロモーターとターミネーターの間に入る「コード領域」ですが、これにはひと工夫必要です。
私達が米に蓄積させるペプチドは、イネ由来ではない上に非常に小さいものです。このペプチドを暗号化させたコード領域を作ることは簡単なのですが、これをこのままイネに導入しても、イネにとっては全くもって意味不明のよそ者に過ぎません。
生物全般には、おかしげなタンパク質やペプチドが自身の細胞内にある場合、それらを分解して排除する機構が備わっており、イネの場合においても、機能性ペプチドをそのままの形で蓄積させようとしても大体の場合、悲しい分解の運命をたどります。これを避けるためにはどうすれば良いでしょうか? ここで使われるのが、「種子貯蔵タンパク質」です。
種子貯蔵タンパク質のコード領域内に、目的の機能性ペプチドのコード領域をそっと忍び込ませます。カットとペーストを用いれば、こんなことは朝飯前です。そして、貯蔵タンパク質と機能性ペプチドとの融合タンパク質のコード領域をプロモーターとターミネーター間にペーストします(図4a)。この遺伝子をアグロバクテリウム法によりイネに導入します。こうすることにより、米の中で機能性ペプチドは種子貯蔵タンパク質の一部として蓄積できるわけです。
図4a
もう1つ分解を避ける方法があります。これは機能性ペプチドにある細胞内小器官に留まるような目印をつけておくことです。機能性ペプチドの最後尾に、リジン、アスパラギン酸、グルタミン酸、ロイシンという4つのアミノ酸を付けておくと、そのペプチドは、細胞内の「小胞体」と呼ばれる細胞内小器官に留めることができます(図4b)。
図4b
小胞体:
真核生物の細胞内小器官のひとつで、一重の生体膜に囲まれた板状または網状の膜系で、核膜と外膜がつながっている。
私達は、これら2通りの方法によって、種子に機能性ペプチドを蓄積させています。もちろんこの2通りが全てではなく、現在も新しい方法が無いものかと日々模索中です。
一度米の中に機能性ペプチドが蓄積されると、その機能性ペプチドは極めて安定となり、室温で数年間の保存に十分耐えます。このことから、せいぜい虫やカビがつかないように密封しておくだけで、特別な保管施設は不要です。また必要なときは、その分だけ田んぼに植えれば良いのですから、生産量の調整も容易です。
生産コストは当然農家が通常の米を栽培する場合と同じであることから、消費者にも通常の米と同レベルの値段で提供できることでしょう。このような点にも、健康機能性成分を米に蓄積させるというメリットを垣間見ることができます。
3.様々な健康機能性米
ここからは、実際に開発が進められている健康機能性米を、バックグラウンドも含めていくつか紹介したいと思います。
1) 高血圧対策米
高血圧患者は予備軍を含め約3000万人 (うち750万人は治療患者数) と推定されており、超高齢化社会を迎えるとともにますます増加傾向にあります。こうした高血圧患者やその予備軍をターゲットとして、高血圧時特異的に血圧降下作用を持つノボキニンペプチドを米に蓄積させたイネの開発が進められています。
ノボキニンペプチドは、卵白のアルブミンというタンパク質から見出されたペプチドに改良を加えたものです。ノボキニンペプチドのすごいところは、高血圧時のみ血圧低下効果を発揮して、通常の血圧の人には何も起こらないところです。
私達は、種子貯蔵タンパク質のグルテリンにノボキニンを4〜5個挿入した融合タンパク質を高蓄積させた米の作出に成功しており、この遺伝子組換え米を高血圧ラットに経口投与したところ、有意な血圧降下作用が認められました。 またラットの経口投与実験の結果から、60 Kg の人が1回の食事で約60〜100 g のノボキニン蓄積米を食べれば、明確な血圧低下効果が次の食事まで持続することが推定されています。
2) II型糖尿病治療・予防米
糖尿病患者は日本で約750万人いるとされていますが、その90%以上がすい臓からインスリンという血糖値を下げるホルモンの分泌が低下したII型糖尿病患者です。
そこで、こうした患者や、血糖値が基準値を超えるII型糖尿病予備軍の血糖値改善を目的として、ヒトのインスリン分泌を促す内在性生理活性グルカゴン様ペプチドGLP-1 を米に蓄積させたイネを開発されています。
このペプチドが高蓄積した米をマウスに投与したところ有意な血糖値降下作用が認められ、米を通じた経口投与による糖尿病治療もしくは予防の可能性が示されています。
3) 血清コレステロール値低下米
悪玉コレステロールと呼ばれるLDLコレステロールが血中に多い病気を「高脂血症」と呼びますが、動脈硬化、心臓病、脂肪肝といった重病の引き金となる,恐ろしい病気です。
牛乳に含まれるタンパク質の1つ、ラクトアルブミンに含まれるペプチド、ラクトスタチンには、 LDLコレステロールを低下させる作用があります。その力は強力で、同じ効果を持つ医薬品の「βシトステール」よりも強いことが明らかとなっています。
このラクトスタチンを6〜12個連結したものをグルテリンに挿入し、米に蓄積させた組換えイネが開発されています。ラクトスタチン蓄積米は、現在実験動物を用いた機能性試験を進めている段階です。
みなさんの中には、「それだったら毎日牛乳を飲めば良いのではないか。」と思うヒトがいるかもしれませんね。確かにそれも正しいのかもしれませんが、牛乳内に含まれるラクトスタチンはごく微量です。
なぜなら、ラクトアルブミンというタンパク質1つの中に、ラクトスタチンは1つしか入っていないからです。とてもではありませんが、牛乳だけで効果が得られる量を摂取するのは不可能です.そこでラクトスタチン蓄積米を作る際は、米になるべくたくさんのラクトスタチンが含まれるようにペプチドを複数連結し、コピー数をなるべく稼ぐよう工夫がされているのです。
4) スギ花粉症緩和米
私達の国のスギ花粉症患者数は年々増加傾向にあり、その人数は2000万人を優に超えています。最近では、特に若年層の発病率も高まっています。みなさんの中にも、毎年2月ころからゴールデンウイークに入るころまで、マスクや目薬が手放せず、くしゃみ鼻水で勉強に集中できなくなる人も多いことでしょう。
そこで私達は、スギ花粉症の主要な原因物質である2種のスギ花粉抗原タンパク質 「Cry j1、Cry j2 (クライジェイ1、クライジェイ2)」 から由来する7箇所のヒトT細胞エピトープ(免疫反応の中心的役割を担うT細胞の認識配列)を連結したペプチド 「7Crp (セブンクリップ)」や、マウスのT細胞エピトープを種子貯蔵タンパク質に挿入した融合タンパク質を米に蓄積させた遺伝子組換え米を開発しました。
モデル実験においては、マウスのT細胞エピトープを蓄積させた米を予めマウスに経口投与しておくと、花粉アレルゲンで感作(花粉症の原因物質をマウスの鼻孔に与える)した場合、米を与えていなかったマウスと比較してくしゃみの回数など、花粉症の症状が有意に低下しました。
また、少し専門的になりますが、アレルギー反応に関わっているサイトカインやスギ花粉特異的IgEの産生量、ヒスタミン含量も顕著に低下しました。すなわちこれらの結果は、組換え米を食べたマウスではまさしく「腸管免疫寛容」が誘導され、花粉症の症状が起きにくくなったことを意味しています。
これらのことから、7Crp を蓄積したヒト用花粉症緩和米をヒトに経口投与した場合についても、マウスの実験と同様の結果が得られることが強く期待され、花粉症緩和米1日1合弱を数週間から数ヶ月食べることで、充分な免疫寛容の効果が得られるものと考えています。
また、スギ花粉症緩和米と同様の手法を用いて、ダニアレルギー (ハウスダスト、アトピー性皮膚炎) 緩和米の開発も進められており、こちらもマウスを用いた機能性試験において良好な結果が得られています。
5) その他
機能性ペプチドを蓄積させたイネだけではなく、機能性タンパク質を蓄積させたイネも開発しています。血清コレステロールや中性脂肪の低下機能が報告されているダイズグリシニンやβ-コングリシニンを米に高蓄積させたイネや、鉄貯蔵タンパク質であるフェリチンを米に発現させ、米中の鉄含量を2〜3倍にまで高めたイネも開発されています。
4.遺伝子組換え作物と私達の生活
ここまで遺伝子組換え技術と、それを用いた健康機能性米の開発についてお話してきましたが、いかがでしたでしょうか?みなさんの中には、「これはすごい。自分もやってみたい。」と感じた人、「すごいかもしれないけれども、少し怖い。」と感じた人、「こんなものは気持ちが悪いからやめてほしい。」と感じた人、様々かと思います。
私達が作出を目指した健康機能性を付与した米は、良い系統同士を交配して、その子孫系統からさらに優良系統を選抜するといった、従来の育種法では作出不可能であり、遺伝子組換え技術により初めて可能となります。
しかし現在のところ、日本での遺伝子組換え作物は、食品としての安全性、環境、生態系に対する影響への懸念から、多くの消費者に受け入れられていないため、商業栽培がおこなわれていないのが現状です。私達の開発研究も、研究段階の遺伝子組換えイネが間違って外部に出てしまわないように、法律に則って厳重な管理の下,慎重に進められています。
日本ではこのような現状ですが、世界ではどうでしょうか? 実は世界では、アメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、中国など多くの国で遺伝子組換え作物が商業栽培されています。具体的に何が栽培されているかというと、除草剤耐性や害虫抵抗性遺伝子が入ったダイズ、トウモロコシ、ワタ、ナタネなどです。これらが面積にしておよそ9000万ヘクタール、日本の耕地面積はおよそ450万ヘクタールですから、その20倍の面積で遺伝子組換え作物が栽培されていて、これからも更に増加することが予想されています。またこれらの作物は輸入品として、すでにどんどん日本に入ってきており、どんなに遺伝子組換え作物に拒否反応を示したとしても、もはや避けられない状態となりつつあります。
除草剤耐性や害虫抵抗性遺伝子には、生産者に栽培時の農薬散布の回数を減らして労力を軽減するばかりでなく、農薬が減ることで環境に対しても良い上に、安定した収量が見込めるというメリットがあります。
そのメリットが事実であることは、栽培面積が年々上昇し続けていることがなによりの証拠です。もちろん両遺伝子産物が、人が食べた場合に有害ではないことも科学的に説明できますし、これらの作物が環境・生態系に害を響したなどという報告は一切ありません。それでも一部の人はこれらに強固に反対します。
一番の反対理由は、遺伝子組換え作物が「自然でない」ということに尽きます。人為的に作られた遺伝子を持つ作物を栽培することで、その遺伝子が環境中へ拡散するかもしれないことが、極めて危険なものではないかとの懸念が強くあるようです。
このような遺伝子拡散は、全く起こらないとは言い切れません。しかしながら、私達が普段食べている作物は自然なものでしょうか? 実は、これらも自然に任せていたら、絶対に存在し得ないものです。私達の祖先が慎重に優良系統を選抜し、また優良系統同士を組み合わせてさらに優良系統を選抜し・・・と繰り返した結果が、今私達の食卓に並んでいる作物なのです。
このことは、私達の祖先がとてつもない長い時間をかけて、良い遺伝子群を1つの作物に集めたことを意味し、すなわち遺伝子組換えをやっていたとも言えます。これは「自然」でしょうか? 長い時間をかけることなく極めて短時間で1つの形質を付与できる遺伝子組換え技術は「自然ではない」でしょうか? 難しい問題ですが、みなさんも考えてみましょう。
世界では比較的認められている遺伝子組換え作物が、日本では認められにくいもう1つの理由には、これまで作出されてきた除草剤抵抗性や害虫抵抗性などの遺伝子組換え作物が、生産者にとってのみメリットがあるものがほとんどで、消費者にはメリットが見えなかったことも大きく関係しています。
しかし、私達が開発しているような健康機能性米は、消費者に対してもはっきりとしたメリットがあります。また、このような機能性米が栽培され、大量消費されるようになれば、生産者側にもメリットがあります。私達が健康機能性米を開発するのは、もちろん毎日の健康の維持・増進が第一ですが、これをきっかけとして、遺伝子組換え作物が日本でも栽培されるようになることを願うからです。
私達が住む日本は、世界の中でも恵まれている国なのでなかなか気がつきませんが、世界中の食糧を全て世界中の人に平等に分配したとすると、驚いたことに1日3回の食事はできません。
世界人口の増加に食糧生産の増加が全く追い付かないのです。そのため、農作物の生産量を増やす努力とともに、これまでの作物の栄養価を高めたり、機能性を付与することも重要で、これらを短期間で実現するためには、遺伝子組換え技術が必要不可欠であると考えています。
私達の未来に向けて、今後の農業展開には、遺伝子組換え技術は必要でしょうか? それとも生命の設計図たるDNAに人為的に手を加えることは必要ないでしょうか? 今回の執筆が、みなさんが遺伝子組換え作物について、友人、ご両親や、学校の先生と話し合うきっかけとなるならば、これ以上の喜びはありません。
2009年 11月23日
著作者 若佐 雄也
(わかさ ゆうや)
農業生物資源研究所
日本学術振興会特別研究員
|