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47.細菌毒素の発見小史.6−30−97.

Part−1:

  毒素と毒物の違いは、多分微生物学領域以外の人は区別して使わないでしょうから、一般の人はその違いを知らないでしょう。我々は、生物が作る毒性物質を毒素と呼び、化学物質の場合を毒物と呼んでいます。従って、微生物に限らずフグやヘビ等の持っている毒物を毒素と定義しています。
  細菌の毒素は、その構成成分がタンパク質か又はその他の物かによって2種類に分類されます。細菌が作り細菌細胞の外に分泌される性質の毒素は、菌体外毒素または単に外毒素と呼ばれ、主にタンパク質のものが多く、毒性が極めて強力で、その毒素に特有な障害・作用を示します。例えば、血液を溶かす溶血毒、神経細胞を攻撃する神経毒、血管を犯す出血毒、その他多数があります。一方、細菌細胞の壁を構成している多糖とリピドとの複合体は、細菌細胞の外には出ませんので、菌体内毒素または内毒素と呼ばれ、どの菌の内毒素も似たような作用を示し、内毒素に菌に特有な障害を一般には示さず、その毒力も外毒素と比較するとあまり強くはありません。しかし、大量な細菌体が抗生物質等の大量な薬物で短期間に破壊されると、瞬間に大量な内毒素が生体内に放出されるので、時にショックを起すこともあります。 

Part−2:

  O−157の感染をうけている患者に抗生物質を投与した方が良いかどうかが一時専門家の間で討議されていたことが新聞でも報道されていました。 O−157を殺さないとベロ毒を体内で作り続けるので、抗生物質を投与するのは極めて一般的な治療方針です。ところが抗生物質の投与の仕方によっては、O−157の細胞壁が大量に破壊されて内毒素が体内に放出されることによる患者のショック死を避けなければなりません。このような経過が新聞でも報道されていたのです。  

Part−3:

  細菌がどのようにして病気を起こすのかを世界で最初に科学的に証明したのは、今から100年前になりますが、ドイツ・ベルリンに留学していた熊本県出身で当時の内務省から派遣されていた北里柴三郎です。このホームページの別な項目である「北里柴三郎の秘話」をクリックして頂き、そこにある「北里柴三郎の明治25年」と「セリフのないドラマ」を読んで頂くと、100年前の科学について勉強になると思います。興味のある方は是非お読み下さい。 

Part−4:

  破傷風という伝染病の原因体が太鼓のバチのような形をした細菌であるらしい事は多くの医者や学者が観察して知っていました。しかし、どうしてもその菌を単独で純粋に増やすことが世界中の誰にも出来ませんでした。北里柴三郎は、誰にも増殖させることができない理由に強い興味を抱き、酸素を無くした(嫌気)状態にすると破傷風の細菌が増殖するという大発見をしました。破傷風菌は、酸素を嫌う性質(嫌気性という)の細菌であったのです。破傷風菌のこの変わった性質を知らなかったために、世界の誰もが破傷風菌を単独で培養することができなかったのです。 純粋に破傷風菌のみになった菌液をマウスに注射すると、マウスは破傷風になって死にました。破傷風の症状については、少し古い本ですが農村作家の長塚孝による「土」に詳しく記載されています。 

Part−5:

  破傷風菌をマウスの後ろ足に注射すると、マウスは麻痺を起すのですが、その麻痺は後ろ足から始まり段々と身体の上の方に進展し首が動かなくなり、最後には全身に運動麻痺が及び死にます。筋肉、脊髄や脳を調べても破傷風菌は見つかりません。菌が証明されないのに麻痺が全身に及ぶ不思議さに北里柴三郎は気が付きました。そこで、培養した菌液をフィルターで濾過をして細菌を除き、その濾液をマウスに注射しました。マウスは死なないと考えていましたが、期待に反してそのマウスは破傷風の症状を出して、菌を注射したマウスと同じように死にました。そこで、「菌がマウスを殺すのではなく、菌が増えた液に含まれる或る物質でマウスは死亡する」と北里は直感的に考えました。その未知なる物質は、感染動物や患者の菌の存在する所で作られ、その後段々と全身に拡散し、全身の麻痺を起す。その物質、ドイツ語でGift日本語で毒素が病気の原因物質であることを北里は1890年に発見しました。これも大発見でした。 

Part−6:

  破傷風菌の培養液を薄めて注射すると、生き残るマウスのいることに気が付きました。その生き残りマウスに薄めない培溶液や菌液を注射してもマウスは死ななくなっていました。どうして、生き残りマウスは、強い毒素や菌に抵抗するようになるのか大変に不思議に北里柴三郎には映りました。そこで、毒素を破壊する物質が体内に出来るのではないか、その破壊物質は血液に証明できるとの確信のもとに実験を行いました。ここでは詳しくは説明出来ませんが、毒素の毒力を破壊する物質を血液の中に証明することに成功しました。その破壊物質は、現在免疫抗体と呼ばれます。  北里は、破傷風という病気は菌が作る毒素により起こる事、その毒素の毒力を消す物質・抗体が存在する事、更にこの免疫抗体は病気を予防する力をもつ事等の一連の大発見を立て続けに成し遂げました。更に、ハブ等の毒ヘビに噛まれると血清を注射しますが、この血清で病気を直す方法「血清療法」と呼ぶ新しい治療法を発見しました。ハブ等の毒ヘビの毒の研究をしたのは、北里柴三郎の第一の弟子でありました北島太一であります。大細菌学者の北里は、免疫学の開祖でもあります。 

Part−7:

  「毒素」の発見、毒素の破壊物質「免疫抗体」の発見、免疫血清による「血清療法」の創造は、医学の歴史に燦然と輝く大発見であります。ところが、ベーリングという北里先生の同僚が第1回ノーベル賞を受賞しました。大発見者の北里先生は、候補者にはなっていましたが、どうした理由か受賞者にはなれませんでした。このページを読んで下さっている方々の中に若い人がいましたら、どうか「科学は職業としても大変魅力のある事」、「科学者は未知なる物質や現象の謎解きのプロである事」、「人の為になる働きをする喜びは最高である事」等を真剣に考えてください。将来の生物学の旗手が誕生することを期待しています。

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