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229.「なにかおかしいぞ、日本」私の主張−4.1‐24‐2001

もしかするとこの表題の掲載は終りに近いと思いますので、お一人の意見と私田口が常日頃不愉快に感じていることについて意見を述べさせて貰います。

10.目先の事しか考えられない人間が増えた.成人男性.

今朝(平成13年1月29日)、久しぶりに雪印のニュースを見ました。このニュースを見ての感想を「何かおかしいぞ。日本」との兼ね合いで述べてみます。

雪印の偉い人は、この件を発表すると会社に莫大な損失を与えるとか言って、発表しなかったとの事でした。しかし、発表しない事の方が、被害が増大して返って大惨事に拍車をかけ、会社の損失を増加させるだけにしかなりません。事実そうなりましたね。この様な判断をした人の頭の中は一体どうなっているのでしょうか。そっちの方が見てみたいと思います。

第一に、視野が極端に狭く、会社の中が全ての社会であると思い込んでいるのでしょう。社会的責任を考えもしない所から、市民としての自覚は全く無いと思われます。第二に、目先の事しか考えられず、先の事を考える力が全く無いのではないでしょうか。ちょっと考えれば、被害者が増大→原因調査→原因がばれて信用喪失→莫大な損害が発生、と読める筈です。あるいは、事態が自然に収集するとでも思い、自分に都合よく考えた通りに相手が動いてくれるとでも思っているのでしょうか。

日本がダメになった理由の一つがここにあるのではないでしょうか。つまり目先の事しか考えられない人間が増えた、あるいは、目先の事しか考えられない人間が偉くなったのではないかと思います。誰でも、目先の事しか考えず、その場だけいいやと言う行動を取ったら、好き勝手な事ばっかりする奴ばっかりになって社会が成り立たなくなってしまうでしょう。

また曖昧糢糊に掲載されている「病院内トイレの消毒」を読んで、これは、やたらと抗菌なんとかが流行っているのと全く同じではないかと思いました。人間は頭のてっぺんから足の先まで微生物がくっついているので、特に問題ない限り、余計な事をして微生物除去をするものではないと思います。一部分だけ微生物、それもおそらくは無害な微生物だと思いますが、を除去したりすると、返って正常菌叢が乱されて、本当に害のある微生物が進入しやすくなるのではないでしょうか。

今回の「病院内トイレの消毒」の話しの様に、肛門周囲炎の発生は抗菌グッズ漬けによって起きる事態の前触れではないかとも思います。しかし、本当に、目先の事と、自分はよくて他人はよくない(微生物に汚染されている?)と考える人が多いようですね。困った問題と思います。              「完」

11.私が不思議・不愉快に感じていること.田口 文章.

情報公開といいますが.

私は毎日結構忙しく暇な時間が充分にあるのでは無いのですが、極めて少数の人を例外として、メールを送ってくれた人にはほとんど返事を書いています。私がホームページを開いたのには、理由があるからです。それは次のような私個人の思い入れにあります。政府、中央官庁、役所、企業、科学者、研究者、評論家などは、持っている情報を積極的に公開した方が良いと私は常々考えています。隠蔽している積もりではなくても、公開しないのは隠しているのと大同小異でしょう。特に教育に携わる大学者や科学分野の専門家は、個人の専門情報を一般の人達に解るように易しく解説した情報を提供する義務があると思っています。

環境ホルモンを例にとると、科学者や企業の情報管理者の一部は、専門分野での会合、学会や学術雑誌などには危険性も含めた成果としての新事実を随分と前から公表したり、または聞いたて知っていたようです。しかし、専門家集団内での意見交換等は、公表してあったとしても、普通の人達にはその情報の存在すら判りませんし、例え入手できたとしても読んで理解できるとは限りません。環境ホルモンが話題になりだした頃、ある農学部の教授が自分の成績を含めて有害物資についてどこまで判っているかを丁寧に説明した市民講座的な集会に聴衆として出席したことがあります。話が終った段階で、講演内容のような情報が10数年も前からあったのなら、どうしてもっと積極的に公開して下さらなかったのかと質問をしました。その教授の先生は、「私はなにも隠していません、全て公表しています」と断言されました。しかし、それは国際会議や、WHOの専門家会議や、国内外の学会および専門誌での発言や発表を意味しているのでした。その程度の認識しか持たない専門家が多いのが現状なのです。

私がHPを開いた時の話しに戻ります。私のHPに掲載してある内容の良否は皆さんが判断することですから別にして、忙しい時間を割いて原稿を書くのですから、少しでも多くの方々の目にとまることを期待しました。そのために、少なくても毎週内容の更新をする、と同時に問い合わせ等のメールには忙しくても必ず返事を書こうと決めました。それをもう3年ほど続けています。

IT革命といいますが.

インターネットやホームページは、軍事用に最初は開発されたようですが、人類史上希にみる素晴らしい技術革新で、現代社会ではなくてはならない存在となりました。電話料が掛かるのが国内では少し問題ですが、誰でもが使える便利な道具となりました。

幸いにして私には良き協力者がいますので、ホームページをなんとか維持していますが、これに費やすエネルギーは大変なものです。原稿の準備は、自宅に帰ってからの夜なべ仕事です。しかし、メールは大学で受けていますので、必然的に大学で返事を書くことになります。メールが一通も届かない日は、ほとんどありません。多い日には数十通にもなることも希にあります。会議と会議の合間の一寸した時間、会議等から遅く自室に戻って帰宅する前のわずかな時間等を利用して、できるだけその日の内に連絡や返事を書いている積もりです。貯めてしまうと連絡するのを忘れてしまったり、時間的に書けなくなったりするからです。

メールを受け取り返事を書くことは、忙しくても最初に決めたのですから続けるより仕方がないと思っています。しかし、全ての人達に喜んで連絡や返事を書いているとは限らないのです。電子メールの簡便さが要因と思いますが、なにかを書き送るのが嫌になるようなメールが本当に多いのです。

一般論としてホームページに記載されている内容は、公開しているのですから原則誰でもが無料で使わせて貰えます。また電子メールは、相手の顔がお互いに見えませんから、非常に気軽に何でも言える特徴があります。無料という事と顔が見えない事に不愉快な問題が潜む温床があるように思えます。

内容も様々ですが、私宛てにメールを送ってくる人も実に様々です。例えば、新聞社やテレビ局のマスコミ関係者、特許庁や公正取引委員会などの官庁の方々、業界の協会や企業の開発担当者、養鶏や養豚等の畜産家や農業経営者、お医者さんや教育関係者、大学院生から中学生までの学生や生徒、主婦の方々まで、かなりの専門家から全くの一般人までが含まれます。

一つとして、私が嫌気を感じるのは、例えば次のようなメールです。「生ゴミ処理機、空気清浄機または加湿機等はどこの製品がよいと思うか教えてくれ」、「XXXについてのコピーや情報を送れ」、「ワクチン接種には懐疑的なので、意見のもとになっている根拠を教えろ」、「XXXについて調べているので参考書を教えてくれ」、「XXXはどこで買えるか?」、「サリドマイドを買いたいので購入方法を知りたい」、その他際限がないほど色々ありますが、私が問題にしているのではメールの内容ではありません。問題だと考えていることは、自分の立場または素性、もちろん氏名も無記載で、自分の欲望のみを書いてくることです。

上にも書きましたが、私にはいろいろな立場の方からのメールが届きますので、どのような立場の人が何を目的に聞いてきているのかが書いてないと、どの程度の知識を持っている方なのかが判りませんから、どのように答えたら良いのかも判らず応え方に窮するのです。例えば、サリドマイドを使いたいと考えているお医者さんなのか、患者さん本人なのか、または患者の家族の方なのかが判らない。また生ゴミ処理機を買いたいと考えている消費者としての要望なのか、またはそれらの機器を製造している企業の方の希望なのかが判らないのです。相手の立場によって、専門用語を使って専門的に説明しても理解できる人もいれば、それでは理解できない人もいる筈です。

二つ目は、要件を一方的に依頼してくることです。自社の既製商品や新開発商品についての性能説明書やサンプル等を勝手に送ってきて、評価または頼まれてもいないのに私の試験の結果等を要求してくるのです。一方、私を私的な技術顧問とでも勘違いしているのか、かなり高度で意味のある情報の提供を何回でも繰り返し聞いてくる開発担当者等です。そのような情報は、自社で試験し検証して得るべき性質のものであること、そのような意味のある情報を他社から入手するとすればかなり高額の対価を払わなければならないことを告げています。見ず知らずの他人から貴重な宝物を無料で得たいと期待するのであれは、それなりの対応の仕方があると思うのです。威張る積もりは毛頭ありませんが、人間お互い感情があるのですから、それでは教えてあげようかとその気にさせるようなメールでなければ、本当に欲しい情報を手にいれられるとは思えません。安い情報に役に立つものは無いですから。

三つ目は、中学生が携帯電話で立ち話をしているかのようにふざけたメールです。例えば、親近感を期待しているのか、「田吾作、ミューやABC」等と架空の名前を名乗り、質問を送ってきます。「あなたのようにフザケタ人には、書き送るべき応えはない」と連絡すると、そのような人に限って「自信がないから応えられない」のだろうと兆発してきます。

四ッ目は、横着な人からのメールです。夏休みになると中学・高校の生徒から自由研究についての相談はたくさんあります。中学生や高校生からのメールは、どのような内容であっても大歓迎です。しかし、大学生が卒業研究の研究課題を考えてくれと言い、大学院生が文献調査の依頼をしてきます。調べることから勉強や研究は始まるのですが、このような学生は、形だけ論文を書けば良いのでしょう、他人依存型の横着者が増えてきました。

五つ目は、礼儀の問題です。20人に返事を書くと1人位の方からは、丁重な返事または受取ったとの連絡を貰います。ほとんどの人は、要求だけはして来ますが、ノーリスポンスです。私からの返事を受けとらなかったのか、文字化けで読めなかったのか、希望した内容でなく役に立たなかったのか、私には判りませんが私からの返事に対してなにもないのです。お礼を期待しているのではありませんが、時には図書を調べて返事を書き、または学内の専門家に教えてもらって返事を書いていることもあるのです。

情報公開とかIT革命といいますが、権利だけ主張して義務や礼節を忘れるようでは困るのです。いくら顔が見えないからといっても、最低の礼儀やマナーは守れないと詰まらない社会になってしまうかも知れません。        「完」

12.雪印乳業と三菱自動車の安全宣言について.田口 文章.

雪印乳業による集団食中毒や三菱自動車のリコール隠しは、経営陣が交代し安全宣言をしてこれで全てが終ったのかも知れません。しかし、雪印乳業の低脂肪乳による集団食中毒は、原料として使った脱脂粉乳に黄色ブドウ球菌の汚染があったからです。しかし、どうして脱脂粉乳の製造過程に黄色ブドウ球菌の汚染が起きたのかは、結局明らかにされなかったように思います。過去を正確に把握できないと、将来に対する適切な対応はできないはずです。三菱自動車のリコール隠しも同じです。二つの大会社には、ごう慢さと心のたるみがあったのだと考えています。

この二つの大事件は、交代した経営陣が当時に考えていたより、大きな負の結果がいま会社に付けとして戻ってきているのではないでしょうか。売上が予想以上に落ち込み、利益の減少にとどまらず、莫大な赤字決算になるとか聞いています。場合によっては、会社存続も危ぶまれるほど深刻な問題に発展しているとも聞きました。

雪印乳業の新社長は、マスコミを介して消費者に「安全な商品」を志す旨を宣言し、商品の購入を訴えている様子を何回か見聞きした記憶があります。しかし、消費者が戻らないのは、社長がいくら「雪印商品は安全だ」と宣言しても、それを100パーセント信用してないからだと思います。消費者にとって一番大切なのは、「安全」ではないのと違いましょうか。「安全に食べられるか」ではなく、「安心して食べられるか」の信用問題だと思います。

一度無くした信用は、「安全」という言葉や「ベンツ」とい別会社の名前だけでは戻らないと思います。信用を回復させるには、「徹底した原因究明とその結果の公表」が必要だと私は考えています。雪印商品や三菱の自動車を購入して貰う為には、雪印乳業の商品や三菱自動車の車は信用できるとの安心感を育てることが一番大切で急ぐべき事柄ではないのでしょうか。

私個人的には、これらの会社になんの恨みも関係もありません。個人的にはどうでも良い問題なのですが、「お上は下々の民の心が見えてない」ように感じ、残念至極です。永田町や雲上人の考えは、別な表現をすると、偉いと思っている人は偉くないと思っている人の心を掴めないようです。そのような偉い人達に任せている国政や企業の運営や経営は、限界に達し21世紀には消滅する運命にあるのかも知れません。

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