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238.口蹄疫は人にうつりますか.4-20-2001.

ウイルス学の授業が始まった.

4月の桜の季節になると入学式に続いて新入生へのオリエンテイションが行われます。これら一連の儀式をもって盆と正月が一緒に来たような教員としての多忙な時期が終了します。これに前後して卒業研究の4年生が研究室に現れ、2年生以上のクラスの授業も始まり、私達教員はようやくと平常勤務に戻れます。

3年生になるとウイルス学の講義があります。シラバスの説明に続いて、ウイルス発見の経緯などを含めた歴史から授業は始まります。ウイルスとは、一体どのような微生物なのか、科学的にどのような特徴があるのだろうか、そのウイルスがどのようにしていつ頃どこの誰によって最初に見つけられたのかと続きます。

最初のウイルスの発見は、1898年の口蹄疫Foot-and-mouth diseaseのウイルスです。現在と同様に家畜の伝染病として大問題であった口蹄疫の研究を、ドイツ政府からの要請で開始したコッホ研究所のレフレルLoefflerフロッシュFloschが、口蹄疫に罹った牛の口の周りに出来た水泡の内容液を細菌を通さないフィルターでろ過した液を子牛に接種して口蹄疫になることを見つけ出し、ろ過性病原体(現在のウイルス)によることを証明したのです。

口蹄疫が世界的に拡大し大問題化しています。日本国内には今のところ口蹄疫に罹った動物は見つかっていませんが、230.狂牛病の国内流入を阻止」にも書きましたように、国内の多くの企業が間接的に大変な問題を抱え込んでしまい、その結果右往左往しているようです。新聞などでも口蹄疫とか口蹄疫ウイルスをニュースとして報道したその時期から、私のところにも企業の関係者のみならず、高校生や主婦も含めた大勢の方から口蹄疫についてのメールが届くようになりました。一般の人の関心事は、牛肉や牛乳などから人も感染するのでしょうかということでした。

ところが、私が講義に使う教科書には「口蹄疫および口蹄疫ウイルス」という項目はないのです。その理由は、口蹄疫ウイルスはヒトには原則として感染しないため、人に病気を起こす病原ウイルスと考えられていないからです。しかし、家畜にとっては伝染力が強いウイルスですから、獣医師を養成する獣医学部の教科書には記載されています。

口蹄疫と口蹄疫ウイルス.

口蹄疫は、粘膜や皮膚に水泡を形成し、筋肉特に心筋を冒す急性感染症です。自然界では、主に偶蹄類のウシ、水牛、ブタ、ヒツジ、ヤギ、ラクダ、トナカイ、ハリネズミに自然発生例が知られているようです。実験的には、モルモット、マウス、ハムスター、ラット、イヌ、ネコ、ニワトリも感染します。

実験的な感染は、いろいろな接種経路から成立し、ウシの舌にウイルスを接種する方法は昔からよく使われています。ウシの舌に接種すると、ウイルスは接種部位で増殖し、12時間後にはウイルス増殖量は最高となり、13〜20時間後には水泡が認められるようになります。増殖速度の速いウイルスです。

口蹄疫ウイルスは、直径が23ナノメートルと小型で遺伝子としてRNAをもつウイルスで、分類的にはピコルナウイルス科に属します。これに性質が似たウイルスとして、神経を冒すポリオウイルや風邪のライノウイルスなどがあります。

口蹄疫ウイルスの抵抗性は、60℃以上の加熱では30分以内にほぼ完全に死滅する、pHに対してはアルカリ側では比較的安定でpH6.0以下の酸性側では速やかに不活化される、クレゾール、アルコールなどの有機溶媒、日光、乾燥や低温には抵抗性です。

人に感染するかと聞かれたとすると、ウイルス屋としては「口蹄疫ウイルスは人に感染する」と答えざるを得ません。しかし、これまでの報告などから正確に表現すると「口蹄疫ウイルスは濃厚な接触があると稀に人にも感染することがある。しかし、軽い発熱と水泡(唇、頬、舌、指と足)ができる程度で完全に回復する」となりそうです。

口蹄疫のワクチン.

1997年に台湾で発生した口蹄疫では、385万頭近いブタが殺処分されたそうです。養豚業者によっては、飼育していたブタ全てが処分の対象になった可能性も考えられ、その経済的な被害は想像を絶するものかも知れません。

ウイルスによる病気は、細菌による病気と違って、特効薬がありません。そのため。ウイルスに感染してしまうと、自然に治るのを待つか、または死ぬのを待つしか術がありません。感染を防ぐにはワクチンを接種するしか方法がありません。有効なワクチンがあれば、流行を抑制するためにワクチンを使用するのは常識ですが、それでは口蹄疫を予防するワクチンはないのでしょうか。ウイルスを不活化したワクチンが現に存在します。

口蹄疫は、残念ながら全世界に存在しています。家畜の伝染病の予防と制圧のために国際的な専門機関である国際獣疫事務局(別名動物のWHOと呼ぶこともあります)があります。日本を含めた世界155カ国が加盟しています。この国際機関が口蹄疫の診断法と予防接種・ワクチンのためのマニュアルを準備しています。

日本国内にも緊急事態用にワクチンが備蓄されていると聞きます。韓国では、口蹄疫が発生し、900頭のウシとブタを殺処分にし、20万頭にワクチンを接種したそうです。中国では、1100万頭の偶蹄類にワクチン接種の準備をしているようです。

国際獣疫事務局は、口蹄疫に汚染されていない国を口蹄疫清浄国と認定し公表します。清浄国は日本を含めて欧米の40カ国程度に過ぎません。口蹄疫の清浄国以外からの肉・乳製品の移動は世界的に禁止されています。そのため清浄国でなく汚染国となると、経済的な打撃を受けることに成ります。国際獣疫事務局が口蹄疫清浄国と認定する条件は、「ワクチンを使用してない国で口蹄疫が発生してないこと」となっています。国際獣疫事務局による口蹄疫の監視は、抗体調査に依存していますから、ワクチンを簡単に使うわけにはいかないのです。

今後の検疫体制.

米国への入国手続きの際、南米からの入国者に対しては「過去2週間以内に家畜に触れたことがあるか、家畜農場に居たことがあるか、米国入国後に家畜のいる場所に行く予定があるか」などを詳しく問われるそうです。これは、人が口蹄疫ウイルスの運搬に一役買う可能性があることが前提とした予防措置であることは間違いありません。

今後日本でも口蹄疫の汚染国からの入国に対しては、米国と同じような予防措置をとる必要があるのかも知れません。観光を目的としてもアセアン諸国をはじめ中国、台湾や韓国を訪ねた人の監視を考える時期にあるのかも知れません。

口蹄疫は、「人には稀にしか罹らない」とあまり軽く考えると、大変な事態を招く可能性があります。感染動物や汚染の可能性のある稲ワラ、飼料、排泄物、汚染された空気などに対する防疫体制がお粗末になるばかりでなく、人もウイルスの運搬者になりえることを忘れてしまうからです。口蹄疫が日本国内で大発生すると、危機管理がお粗末な国ですから、どれほどの被害が発生するか計り知れないと思います。

 

科学としての微生物学は、これまでに一番多く研究者を殺した経緯のある学問です。科学の新しい分野の研究は、未知なる部分を含むため、常に危険を伴います。微生物は恐ろしい病気の原因ともなるのですから、「微生物をなめると死ぬよ、微生物学をなめてかかると痛い目にあうよ」と学生に戒めています。我々も口蹄疫を「人には稀にしか罹らない」となめてかかると大変なしっぺ返しを受ける可能性を忘れないようにしましょう。

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