298.「なにかおかしいぞ、日本」私の主張−10.
9-27-2002. 1.小学生の学力低下.30歳代半ばの男性. 最後に蛇足ながら私の感想を書きます。教育を年々ゆとり化してきたので、昔に比べてレベルは落ちても理解度は向上しているはずなのに、理解度すら落ちていることを文部行政はどう説明するのでしょうか。レベルも落ち、理解度も落ちで、日本が今の社会・経済を維持・向上できるのか、できないならどういう手を打つか、文部行政には説明責任があると思います。で、個人的には自己責任で防衛すべく、子弟を塾に行かせるしかないようですね。塾産業が子供の数が減少している折りに、それなりに繁盛しているのが理解できました。 【完】 2.小学生の学力調査の記事.60歳広範の男性. 曰く 「知識の量ではなく 意欲や関心こそ 大切にせねばならない。物知りではなく 意欲を持った自主的な人間 いきる力こそ めざすもの・・・・というような新学習指導要領のねらいにもとづいて 計算力 算数問題などより 積極的態度とか意欲を育てることを ねらっている。・・・・・」 多くの教員は 度々変更される指導要領などに 疑問を抱きながらも上からの指示 指導には 服さざるを得ないでしょう。そんななかで 試行錯誤の教育行政 という感じですね。では どうしたらいいのか。 私が頼りにしてきた言葉に 「不易と流行」があります。 変わるもの 変えてはならないもの。世の中の変化に伴ってつぎつぎと変わるものがありますが、 変わらぬもの 変えてはならぬものがあります。教育で言えば 「読み書きそろばん」 これは不易なもの それに 健康とか優しさおもいやりなどは どんな世になっても大切にすべきものでしょう。 これは学校の基本的役割であると同時に 家庭教育でも心すべきことです。 私は 教員のOBで 塾などは無用といいたいのですが 残念ながら はっきりと学校に任せろ とは 言いきれないところが あるようです。我が家では 意地でも3人の子どもを塾にはやりませんでしたが そして幸いにも それなりに自分の希望をかなえることができましたが さりとて塾無用とはいきません。 偉そうな事はいえませんが 塾にやるのもけっこう。 ある町でしらべたら 小学校でも六年では50%以上、中学3年では 60%以上が 塾に通っています。ただぜひ 勉強だけが人生でない事 健康や思いやりにも 重大な関心を寄せて全人的な発達がなされるよう 父親としての客観的な冷静な判断を失わないように心していたいものです。 【完】 3.学力低下について、一企業の現実.50歳代の男性. 一番良く判るのは、種々な国家試験を受けさせてみる事です。例えば危険物取扱者、以前は大卒以上なら落ちたら恥のレベルでした。現在は、かなりの割合で落ち、その合格率の低下は目にあまるものがあります。先日も大卒以上の若い技術者が集まる会議で、私が微分を使って説明を始めたところ、全員から判らないと言われてしまいました。「これは高校か大学1年の数学だよ。判らないとは何事だ。」と思わず怒鳴り散らしました。 出張しても報告書が書けない。会議を開催しても、議事録が書けない。敬語が使えない。・・・・・・・。年寄りの愚痴になるかも知れませんが、「英語ではない、せめて日本語ぐらいちゃんと書いてくれ。」と思っています。でも、それが現実です。他の会社の事は、情報が無いので良く判りませんが、それほど大きな違いは無いと思っています。如何でしょうか? 【完】 4.痛ましい歴史.60歳代の商社マン. 「拉致 8人死亡 5人生存 金総書記事実認め謝罪正常化交渉 来月に再開」 (18日 朝日新聞第1面大見出し) そして 朝日新聞政治部長 木村氏の署名入り 解説「痛ましい やりきれない 我が子が 孫が 兄弟姉妹が どこかで生きてくれていると信じて拉致被害家族は 長く辛い歳月を耐え忍んできた。 そのかすかな望みは打ち砕かれた。無残な結末に言葉を失う。・・・・…途中略 (拉致の無法など 列挙)・・・・けれども 冷静さを失っては歴史は後戻りするだけである。いかなる意味でも北朝鮮の拉致は正当化できないが そもそも日朝の不正常な関係は,北朝ができるまえ 戦前 戦中の35年間に渉る日本による朝鮮半島の植民地支配に始まる。・・・・・・どの国も「負の歴史」をおっている。 過去の日本がそうなら、北朝鮮もそうである。 つらいことだが 歴史を乗り越えるには それを直視するしかない。」 たとえば 読売新聞社発行の 「日本の歴史」など 近現代を 読み返して見ました。中国や朝鮮への侵略を振り返る時 やはり 冷静さを失わず 歴史を後戻りさせない選択を せねばならないと 思う次第です。高校の歴史の学習が 明治以降の 近現代に及ばなくなり 「日本の過去の植民地支配」などを知らない国民が増えているということです。 マスコミなどの論調が 小泉首相の英断を評価せず 拉致問題に焦点をしぼり 盛んに感情に訴えて 首相を責めるような風潮は 如何なものでしょうか。マスコミは 世論形成に絶大な力を持ちます。 マスコミや政治家の多くは大衆迎合。そして 我々自身 知性より感性、いつも多数派に属したいと思ってしまうのです。 いろいろのお考えがあるかと思います。 議論の場ではないかもしれませんが、互いに尊重しながら 意見を述べあうのは どうでしょうか。 【完】 5.過去の歴史問題、歩く拡声器 50歳代の男性. 今はそういう意味では良い時代になりました。旧財閥系企業が、相手国の労働者(奴隷的扱い)を疫病の駆除として鉄板焼きにしたり、鉱山労働者として雇い入れながら、鉱口を閉ざし生き埋めにしたり、当時の日本人は「われのみ」の意識しか持ち得ず、それが正義であったことは否定できないのではないでしょうか。当時、今のように情報が発達していたら、申し訳ありませんがインタビュ−に答える相手国の家族その他はこの比ではないと思います。 赤軍派の関連を報道していますが、少しでもその点を希釈するような意図が垣間見られるのは、穿った見方でしょうか?いずれにしても、地球規模での環境問題を真剣に考えるならば従来の9項目以上に、人口問題・食糧問題を真剣に考え、可能な方策を、このたびの事件の解明とラップさせ、新たな国際交流を考えなければならないと思います。アメリカの偏ったグロ−バル化に警鐘を促す意味でも必要ではないかと思います。“やじろべえ”的な話ですが、偽らざる気持ちです。 【完】 6.過去の歴史問題、私の体験.60歳代の在ドイツの男性. 小生は昭和46年(1971年)以来30年弱海外へのプラント輸出に関係した仕事を通じ約20カ国に出張、駐在したりしましたが、その先々で思いもかけぬ事柄に出会いましたのでご報告させて頂きたいと思いキーボードをたたいたしだいです。少し長くなると思いますがご容赦の程お願いいたします。 1・中国戦勝博物館見学 100%事実かどうかは分からないが、このような展示を多くの中国々民が見て、また同様の教育をされていて日本の事をどのように感じているかは明白だと思います。いまだに教科書問題や靖国参拝問題等が発生していることも理解できる気がします。 2・シンガポール建国記念式典 空軍のアクロバット飛行やパラシュート降下、打ち上げ花火も有りすばらしい式典でしたが、終わり頃になって突然会場内の照明が一斉に消され真っ黒になり、 一瞬シーンとしたところに競技場の真ん中に強力なスポットライトが当てられ抱き合って泣き崩れる母子が映し出されました、そこへ競技場の外から薄暗い発電ライトをつけ日の丸の旗を付けた自転車が数十台入ってきてその母子に危害を与えて行きました。 小生は思わずTVから目をそらしましたが、これは皆様ご存知のとおりマレー半島を自転車で南下しシンガポールに侵攻した日本軍(自転車部隊)の事を忘れないようにとの事で演じられたものと理解しました。 現在は特に経済活動を通じ日本との関係もよく、通常のビジネスの場では一度も感じたことがなかっただけに小生としてはショックでしたが、我々としてもこのような過去の歴史があったことを冷静に心の中の入れておく必要があることを感じた次第です。 3・東ドイツでのこと その時一人のドイツ人が我々に近づき"お前たちは何処から来たのか? 北朝鮮か? 北ベトナムか? 中国か? "と聞かれ"日本からだ"と答えたところ、その人が"日本人なら握手しよう"と手を差し出して来て"第二次世界大戦でドイツと日本は一緒に戦ったから友達だ"と言ってきたことも有りました。 【完】 またそのドイツ人は、第二次世界大戦での最悪な戦争犯罪人は、ドイツ人でも日本人でもない。ドイツと日本が闘った国々の指導者の方がよほど多くの民間人を無差別に殺戮したという持論です。これには少し驚きました。しかし、北朝鮮による拉致事件は、痛ましい事件です、今後どのような経緯を辿るのでしょう。 |