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380. 森村薫の怒涛. 12-10-2004.
 
いまからちょうど60年前の昭和19年に森村薫(32歳)は、戯曲「怒涛」を創作し、同じ年の5月に東京の国民新劇場で久保田万太郎の演出により「怒涛」五幕が初演公演されました。連日満席となる盛況で延べ二万人近くの観客が動員されたと書き残されています。
この「怒涛」は、「北里柴三郎」と彼の妻が送った怒涛の如き生涯を描いた戯曲作品です。昭和46年に国立劇場小劇場で再演された際、私も「怒涛」を観劇する機会があり、大変に感激を覚えた記憶があります。昭和46年再演の時に使われた「台本」や「パンフレット」などが偶然なことから今私の手元にあります。それを手掛かりに昭和19年の初演時の様子や森村薫がどのような経緯から「怒涛」を創作することになったのか等を文学座に問い合わせをしました。
文学座編集室の石川徹郎氏より、丁重なお手紙と一緒に初演当時のパンフレットなどを含む資料をいろいろと送って頂きました。石川徹郎氏は、ご自分のことについては何も触れられなかったのですが、パンフレットを読んでいましたら「研究所員の1」の役を演じられていた俳優さんであることが直ぐに判りました。
これらの資料に記載されている内容も時代を反映してなかなか興味があります、また昭和46年には北里大学協賛で文学座が再演した経緯等もまたあまり一般には知られていない事柄であります。
昭和19年の文学座による怒涛の初演から昭和46年の再演までの記録の一部を「森村薫の怒涛と北里柴三郎」と題した散文にまとめ「北里柴三郎博士の秘話」に改めて掲載させてもらいます。こちらもご覧いただけると幸いに存じます。
 
森村薫は、北里柴三郎と妻の戯曲を作り上げて、題名をストレートに「北里柴三郎」にしようと思っていたようです。伝記ものではあまり観客を呼び込めないので、インパクトをつけて「怒涛」にしたようです。その結果連日満員御礼の状態になったようです。

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