はじめに


 「森村市左衛門の無欲の生涯」の著者 砂川幸雄氏は、明治26年発行の時事新報(福沢諭吉が出版)を隅からすみまで調べて、「土筆ケ岡養生園開院」に関する記事は見つからなかった、とわざわざ手紙で連絡してくれた。その手紙にコピーが一枚同封されてあり、北里柴三郎の記事を見つけましたのでお届けします。なにかの役に立てばとの添え書きがあった。それは私にとって思わぬ大きなプレゼントとなりました。

 それは、明治26年9月30日・土曜日に発行された「時事新報」、第三千七百七十四号のA3版程度のコピーであった。全体で5段組みの2段目の左3行より約1段分を割いて「北里氏の天地広し」という記事があった。その書き出しは「外国人にして北里氏の技量を慕うもの多く其治療を受けんが為には態々本邦へ来らんとするものさえあるとはかつて記載せし所なるが今又米国の医学博士ジャイソン氏は一書を寄せて切に来遊を促し来れり氏の天地は実に広くして挨拶に忙はしきものというべし茲に其来状の趣意を訳すれば次の如し(原文のまま、句読点はない)」というものでした。この手紙の存在は、いまだ北里関係者でも知らず、また内容も歴史的に意味のあるものと考えられますので、紹介いたします。