米国からの招請状


 手紙(原文は候文で、句読点は全くない)に記載されている内容を今風に書き直すと、次のようであります。尚、括弧内の文字は原文に記載されているものを示します。

 「拝啓、小生は二三の医学雑誌やその他の書類からツベルクリン施療法とその効果の模様を知り歓喜に堪えません、研究の成果は既に充分で治療を実施する域に到達していると考えられ、そこで当合衆国へご光来くださるならば、当国に於いて、例えばワシントン府(華盛頓府)の如き貴殿に適地を選び、そこに病院を建て、あまねく国内のツベルクリン患者を施療くださることを小生の最も希望することであります、この種の研究事業を展開するには米国程適当な地は世界になく、当国人民が好んでこの種の学術的療術に対して充分なる報酬を与えることは、小生が確実に保障することであります、もし貴殿が一両年の歳月を当国で費やし肺病患者を治療してくだされば、名声と報酬がおのづと集まること間違いない、なにとぞ熟考の上お考え(存念)をお知らせ下さい、もしおこし下さる決断をして頂けるのであれば小生に於いては歓喜に絶えず出来るだけの助力をさせて頂きます、土地の選定に関しては、ニューヨーク(紐育)、ワシントン(華盛頓)、シカゴ、サンフランシスコ(桑港)等いずれも然るべしと存じます。

小生は目下陸軍医事博物館に於いて、合衆国政府の為め顕微鏡およびバクテリヤに関する事業[この部分意味不明]を致しています、なにとぞなるべく速やかに御回答を煩したく、且つ先般拝眉の節に申しあげましたように日本語は大半忘却していますので、英文か独文にてご返事くださるようお願いします。

  明治26(1893)年8月14日
アメリカ合衆国ワシントン府
(亜米利加合衆国華盛頓府)
陸軍医事博物館に於いて
医学博士 フイリツプ ジヤイソン

日本東京
医学博士 北里柴三郎様」


    で終わる。

 ここに記載されている陸軍医事博物館は、正確性にはたしよう問題がありますが、現在のWalter Reedアメリカ合衆国陸軍病院と名前が変わっていると聞きました。