第65話
 研究とはなんだろう −アイデアはどのようにして生まれるか−
 

 
「主な対象読者」
 今回の読者としての対象者は高校生以上です。
「読者への期待」
 この散文は、「研究の対象となる課題はどこにでも転がっている」ことを知ってもらいたいためにまとめたものです。
 大学などの先端機器がそろっている立派な研究室で行われるもののみが研究ではなく、自宅の押入や流しででも研究はできるのです。自然と浮かんでくる不思議さをじっと観察すること、何かが成り立っていく過程を静かに観察することなどが、新たなアイデアや発見を生むのだと思います。
 
本 文 目 次
 
 
著者 木田 中
 

 
 
第65話 研究とはなんだろう −アイデアはどのようにして生まれるか−
 
研究を始めた頃
 地方の小さな出張所での勤務に就いていた時、通常の勤務が終了したあとの時間はこれといって何もすることがなく、ある意味で暇を持て余していました。なにか熱中できることはないものかと、比較的余裕のある時間の活用法を考えました。
 小さな出張所ですが、前任者が使ったと思われる小さな検査室がありました。自慢できるような高価な実験器具や測定装置はないし、実験の手助けしてくれる人もいませんが、一人で細菌についての仕事をするには使えそうに思えました。
 
 見渡してみると、わずかなカラス器具、遠心器、恒温器、細菌を培養するための培地とわずかな試薬があるだけでした。試薬のなかにEDTA・2Naとラベルが貼ってある小ビンのあることに気が付きました。このEDTAを使って何か実験ができないかと考え始めました。このEDTAの小ビンとの出会い時があったおかげで、10年以上の期間にわたり、継続してEDTAを使用しての研究が始まったでした。
 
常々思うこと
 スーパーなどで洗剤、殺虫剤やその他の新商品を見かけると、つねに思うことがあります。このような商品にも研究者や技術者たちのアイデアや苦労がたくさん詰まっているのかもしれないが、そのことについて関心のある人はどれくらいいるのだろうかと。
 
 また、一つ一つの商品の開発の裏側に「アイデアが生まれたとき」のエピソードがあったかもしれないが、私達にはそれらを知る機会はほとんどありません。このようなことを私は、時々感じていました。
 
 私自身は研究を専業とするプロの研究者ではありませんが、これまで続けてきた地味な研究生活を振り返り、その時々の「アイデアが生まれるとき」のエピソードをまじえて、研究とはなにかについて述べてみたいと思います。
 
EDTAの構造
 エチレンジアミン四酢酸(EDTA)は、キレート剤の代表と言えるものです。キレートという言葉はギリシャ語の「カニのはさみ」という意味に由来しています。それではなぜキレート剤と呼ばれるのかその理由は、それらが爪で金属イオンを挟んだような構造をとっているからなのです。
 
 その爪の役割をしているのが配位子と呼ばれる部分です。化合物の種類によって配位子の数は異なりますが、EDTAは3つの配位子を持ち、それらで金属イオンを挟む構造をとります。EDTAは金属イオンと出会うと自らの窒素()と酸素()が金属イオンを取り囲み、大部分が金属イオンと1:1で結合します。金属イオンの方はEDTAによって取り囲まれた立体的な構造をとります(図1)。
 
 
 
図1 EDTA金属キレート錯体の構造 
    図中の赤字のMは金属 
 
 
 
 この金属イオンとEDTAが結びついた化合物を錯塩(さくえん)又は錯体と呼ぶこともあります。 他方、金属イオンがEDTAによって取り囲まれた構造の化合物をEDTA金属キレート錯体(図1)と呼びます。このような構造をとるためには、金属イオンの種類や溶液のpHがある特定の範囲にあることなどが条件となります。
 
 この化合物はアミノ基とカルボキシル基が結合したポリアミノカルボン酸であり、広い意味ではアミノ酸の一種でもあります。EDTAそのものは水に溶けにくいが、ナトリウム(Na)やカリウム()と結合したアルカリ塩は水にとけやすく、無色透明の水溶液になります。また、EDTAに結合したNaの数が多いほど水溶液のpHは高くなる性質があります。
 
EDTAのはたらき
 キレート剤としてのEDTAは、バクテリアに対してはどのような作用を及ぼすのでしょうか?EDTAが発明されて20年ほど経った1950年代後半になって、EDTAをグラム陰性菌に作用させると細胞壁の外層の一部をゆるゆるの状態に変化(可溶化)させる働きのあることが報告されました。
 
 細胞壁の外側の層が可溶化されるということは、それが引き金となって細胞内部の浸透圧に異常な状態を引き起こし、原形質内に存在する酵素類をより浸透圧の低い方、即ち細胞の外へ放出させることになります。同時に、このことはいずれ細菌が死んでしまうことを意味します。
 
 EDTAの作用から考えると、細菌の細胞壁のなかにEDTAと結合する何らかの金属イオンが存在しなければなりません。事実、細菌の細胞壁は、膜と膜の間をプラスイオンに荷電したマグネシウムイオン(Mg2+)を仲立ちとしてお互いを繋(つな)ぎとめたような構造で出来ています。この様子を川にかけた橋で両岸を繋いでいるようにも見えることから架橋構造と表現することもあります。
 
 プラスイオンとマイナスイオンは互いに引きあうので、EDTAが細胞壁からMg2+を抜き取って錯塩を形成してしまうと、Mg2+によって互いを繋ぎ止めていた膜と膜との間がゆるゆるの状態になってしまいます。
 
 そもそも、弱アルカリ側のpH域はEDTAがMg2+を抜き取り、細胞壁をゆるゆるの状態にさせてしまうのに適したpH域であることから、このpH域に調整した溶液で実験を行うことは至極当然のことと言えましょう。またEDTAと同じようにキレート作用のあるクエン酸ナトリウムの場合も、アルカリ側に調整した溶液において抗菌活性が一番強く発揮されることも報告されています。
 
アイデアが生まれるとき(その1)
 ナトリウムやカリウムなどがくっ付いたEDTAは、白色の粉末で水によく溶けます。その液体は無色透明です。あるとき、無色透明のそのアルカリ域で増殖するコレラ菌をいれてみたらどうなるか試してみようと思いました。
 
 コレラ菌をその液体に加えて、フラン器のなかで保温しました。数時間後、コレラ菌が生きているかどうか調べるため、その菌液の一部をコレラ菌を増やす寒天培地に混ぜてフラン器でさらに培養しました。もしその液体がコレラ菌の発育を抑制するような働きがあれば、コレラ菌の発育にEDTAは悪影響を及ぼすのではないかと考えました。
 
 調べてみると、EDTAが入っていない液体のほうは沢山のコレラ菌の集落(コロニー)ができましたが、EDTAが入った液体のほうは比べるまでもなく少ないことがわかりました。ここまではやってみようと思えば誰でも試してみることかもしれません。そのとき、「もしコレラ菌と違う細菌を使ってみたらどういう結果になるだろうか」と、その先を考えるかどうかによって別の結果が得られることがあります。
 
 私は同じ条件で、今度はグラム陰性桿菌の代表格である大腸菌を使って実験してみました。するとコレラ菌と全く異なる結果が得られました。すなわち、EDTAが入った液体に入れた大腸菌のコロニーは全くと言っていいほど減っていなかったのです。不思議でした。この不思議と思う気持ちが次の行動の源になりました。
 
 最初は何かのまちがいではないかと考えました。そこで、何度か同じ実験を繰り返しました。それでも得られた結果は同じでした。そこで、今度は少し異なる条件で、大腸菌とコレラ菌に対してEDTAを作用させたらどのような結果が得られるか実験してみました。
 
 その溶液のpHは弱い酸性でしたので、反対に弱いアルカリ性にしてみたらどのような結果になるだろうかと考えました。後々、異なるpH域で調べてみることは理にかなっていたのですが、そのときは何の根拠もなく、自然に頭の中にうかんできたことをやってみただけでした。それを大げさに言えば“ひらめき”なのかもしれません。
 
 そこで、弱アルカリ性に調整したEDTA溶液をつくり、その他は同じ条件で調べてみました。今度はコレラ菌のほうは発育できましたが、大腸菌は発育できませんでした。これは、弱酸性のEDTA溶液とは全く逆の結果でした。
 
 次に、コレラ菌と大腸菌以外の細菌についても見られるのかどうか検討してみました。いろいろな細菌を使って試してみたところ、細菌の種類によってEDTA溶液に対する感受性に違いがあることが分かりました。“pH5のEDTA溶液で感受性を示す細菌”、“pH9のEDTA溶液で感受性を示す細菌”、“EDTA溶液に感受性を示さない細菌”及び“pH5とpH9のどちらにも感受性を示す細菌”の4群に分けられることが判ったのです。
 
 EDTAの細菌の発育を抑え込む働き(抗菌活性という)は、弱いアルカリ側だけでなく、弱い酸性側においても抗菌活性が出てくる(発現される)という実験結果が得られたことは、EDTAの抗菌活性に関する数多くの報告のなかで、我々の報告が世界で最初のものでした。
 
 
 この点からすると、EDTAによって抗菌活性が発現される現象を、弱いアルカリ側の溶液に限らず、弱い酸性側の溶液でも発現されるかどうか検討しようという試みは、いささかこれまでの研究の常識を逸脱したことだったかもしれません。この種のアイデアは、あまり教科書的な知識を持たないほうが、先入観にとらわれず、結果的には良い結果を生む幸運な例だったと言えるのかもしれません。
 
何かと何かを組み合わせてみる
 単独では効果が少なくても、何かと組み合わせると強い効果が得られることが時としてあります。EDTAは、細胞壁の構造をゆるゆるの状態に変化(可溶化)させ、抗生物質などの薬剤を細菌の内部へ浸み込みやすくすることによって、その薬剤のもつ効果をより高めることが報告されています。
 
 そこで、消毒剤としても使用されているエタノールは、抗生物質などの薬剤とは細菌を殺す仕組みは異なりますが、EDTAが薬剤の透過性を高めるとすれば、エタノールの透過性を高めることができるのではないかと考えました。アルコール濃度が80%ぐらいの消毒用エタノールと違い低濃度(5〜10%)のエタノールは、常識的には殺菌効果を期待することはできません。しかし、殺菌効果が期待できないほど低い濃度のエタノールでもEDTAと組み合わせれば何か影響があるかもしれないと考えました。
 
 検討した結果、EDTA溶液に5%又は10%の割合でエタノールを加え、その溶液の抗菌活性が高められることがわかりました。また、抗菌活性を高めるためには、最初にEDTA溶液、次にエタノールの順に作用させることが重要で、逆の順に作用させても効果は高められないこともわかりました。
 
 その理由は次のように考えることができます。もし、最初に細菌とエタノールが接触しても、そのエタノールは低い濃度なので細菌の発育を抑え込むようなダメージを細菌に与えることはできません。ですから、次にEDTAと接触してもその細菌のダメージはEDTAを単独で接触させたのとほとんど変わらない、すなわち、二つの薬剤を使ったことに変わりはないのですが、順番がちがうと結果的に抗菌活性を高めることには結びつかなくなってしまうのです。何かと何かを組み合わせるときはその順番も大切なのだという一例になるのではないでしょうか。読者の皆さんは、この現象の理由が分かりますか。
 
アイデアが生まれるとき(その2)
 芽胞の構造は物理化学的な刺激に対して抵抗性が極めて強いことから、芽胞を殺すことができる薬剤の種類は限られています。芽胞は栄養状態の乏しい環境では眠ったままの状態(休眠)でいますが、水分や栄養があると再びもとのような姿(栄養細菌)になって増えることができます。
 
栄養細菌の状態になると薬剤に対する抵抗性が弱まり簡単に殺すことができますが、休眠の状態で殺すにはかなり強い効果のある薬剤でないと殺すことができません。
 
 これらの薬剤は高水準消毒薬と呼ばれますが、芽胞を殺すことのできる薬剤の多くは人体に対しても悪い影響を及ぼすおそれがあります。ですから、マスク、手袋、ゴーグルなどを着用して身体を保護した上で取り扱う必要があります。そのため限られた薬剤のなかから、安全性が高く、しかも安定した効果を保持できる薬剤を選択することは容易ではありません。
 
 これまでの実験でEDTAが細菌種に対してpHに依存した抗菌活性を示すことに加え、EDTAと低濃度のエタノールを併用することにより、単独で作用させた場合に比べ抗菌活性が高められることがわかりました。
 
 これらのことから、既存の薬剤或いは既存の化合物とEDTAを組み合わせることによって、より強い抗菌活性を持つ新たな薬剤の開発につながる可能性が考えられました。実験科学においては推察したことを実験データによって証明しなければなりません。
 
 そこで、納豆を作る時に必要な細菌の仲間であるB. subtilis枯草菌という細菌の芽胞をEDTAとエタノールで処理した場合芽胞を殺す働き(殺芽胞活性という)が認められるかどうかについて検討しました。
 
 しかし、EDTAとエタノールの濃度を溶解度ぎりぎりまで高めても、その溶液に芽胞を殺す能力は全く認められませんでした。すなわち実験は失敗でした。
 
 そこであきらめてしまえば、失敗という結果が残るだけです。しかし、何か他によい方法がないかと考えて実験を続けていくうちに、何か解決のヒントを思いつくことがあります。それは金属化合物に着目したことです。
 
 銅や銀は昔から経験的に細菌類を死滅させる作用があることが知られています。銅と似たような金属を遷移金属といいますが、それらを使ってみたらどのような結果が得られるか実験してみました。遷移金属の一つであるコバルトを加えて実験を進めたところ、B. subtilisの芽胞に対して弱いながらも殺芽胞活性を示すことが判りました。
 
 さらに他の遷移金属についても効果を調べてみると、銅、鉄、ニッケルがより効果的であることがわかりました。さらに作用温度が高いほど、またpHが低いほどそれらの殺芽胞活性は高められることがわかりました。次に、実用性を考えて20℃での殺芽胞活性を検討しました。
 
 その結果、pH0.3で強い殺芽胞活性が得られることが判りました。この薬剤をエタノール剤(Ethanol reagent)と名付けました。この薬剤の殺芽胞活性は、0.05%次亜塩素酸ナトリウム溶液と同じくらいの殺芽胞活性を示しました。しかし、エタノール剤は5℃といった低い温度では強い殺芽胞活性を示しませんでした。より低い温度であっても確実に一定の処理時間内に芽胞を殺すことのできる薬剤への改良が望まれました。
 
 エタノール剤にヨウ素化合物であるヨウ化カリウムを添加した薬剤がこの欠点を補えることがわかりました。これをKMT剤(KMT reagent)と名付けました。KMT剤は20℃で5分間、5℃でも時間作用させればml中100万個から1000万個までの芽胞を確実に殺すことが出来ました。
 
 さらに、過酢酸過酸化水素二酸化塩素次亜塩素酸ナトリウムなどの殺芽胞効果のある消毒剤と比較した結果、KMT剤は15%過酸化水素と同等の殺芽胞活性を持っていることが判りました。
 
芽胞を殺してみよう
 KMT剤の強い殺芽胞活性のデータは、液体と芽胞との関係において得られたものでした。しかし、気化させたKMT剤がどのような殺芽胞活性を示すか未解明で興味がありました。現在、気体として使用できる殺芽胞剤は、アルキル化剤であるエチレンオキサイド及びホルムアルデヒド、酸化剤である過酸化水素、過酢酸及びオゾンなどに限られています。
 
 そこで、KMT剤を気体にした場合、B. subtilis芽胞に対してどのような活性を示すか検討してみました。気化させたKMT剤の殺芽胞活性を客観的に評価するための指標として表面が固く薬剤を吸収しにくい材質、及び表面が柔らかく薬剤を吸収しやすい材質(非吸収性及び吸収性の材質)に、それぞれ数百万個の芽胞液を付着させたものを使用しました。
 
 開口部1.2mの室内排気型の安全キャビネットを使用して、完全殺菌に至らせることのできる条件を検討しました。その結果、24時間で完全殺菌されることがわかりました。現在、殺芽胞活性を有する薬剤のなかで、液体だけではなく気体でも芽胞を殺すことのできる薬剤は過酢酸や過酸化水素に限られています。この研究で、KMT剤は液体だけでなく気体でも殺芽胞活性を有する世界でも珍しい薬剤であることが判りました。
 
アイデアが生まれるとき(その3)
 KMT剤は液体でも気体でも効果のある薬剤ですが、欠点として金属をサビさせる働きがありました。これは、実際に使用する際の妨げになります。何年間もそのことが気になって解決方法を考えたり、実際に試したりしましたが、良い解決策には至りませんでしたので、しばらく、そのことは考えないことにしました。私は良いアイデアが浮かばないときは、そのことを考えずに別のことをやってみたりすると、その中から思いがけないアイデアが浮かぶことを経験していましたので、今回も何か興味のある別のことをやってみることにしました。
 
 そこで私の仕事にも関わりのあるプラスチックと消毒薬の歴史について調べてみることにしました。それらは当時の主なエネルギー源であった石炭との共通点があります。石炭を蒸し焼き(乾留)にすると火力の強いコークスができます。しかし、石炭に含まれる硫黄やピッチもドロドロのコールタールとして出てきます。コールタールは、そのまま捨ててしまえば環境や人体に悪い影響を及ぼします。それを分留という方法で処理することにより、ベンゼン、トルエン、キシレン、ナフタリン、石炭酸(フェノール)などの利用価値のある物質を取り出すことができます。
 
 その頃、フェノールは消臭効果があることからゴミや汚水の消臭剤として使われていました。また、英国の医師ジョゼフ・リスターがこれで傷口や手術器具を洗うことで傷口から感染する病気を劇的に減らすことに成功していました。また、水酸化ナトリウムなどを触媒にして、フェノールとホルマリンから熱に強く硬いベークライト樹脂ができました。ベークライトは熱に強く、耐久性が優れおり、現在でも利用されている合成樹脂です。
 
 私はプラスチックと消毒薬の歴史を調べていくうちに、分留ということばに引きつけられました。分留というのは、混ざり物のなかから目的とする成分だけを取り出す方法です。そこで一つのアイデアが浮かびました。エタノール剤とKMT剤は、EDTA、塩化第二鉄、エタノール、ヨウ素などが一定の濃度で混ざりあった液体ですが、これを一度蒸発させ、再び凝縮させることで得られる液体の性質を調べてみたいと思うようになりました。
 
 私のところには本格的な蒸留装置がなかったので、手作りの装置で蒸留してみました。それはフラスコとフラスコをチューブで繋(つな)いだ簡単なものです。片方のフラスコにKMT剤を入れて水を入れた鍋のなかで加熱します。もう片方のフラスコは砕いた氷をいれた容器のなかで冷やしておきます。そうするとKMT剤はやがて沸騰し、蒸気はチューブを辿りながら液体となって片方の冷やされたフラスコの中に溜まります。
 
 エタノール剤も同じように蒸留しました。この方法で2種類の液体が得られました。エタノール剤を蒸留した液体は無色透明でした。KMT剤を蒸留して得られた液体はKMT剤と殆ど変わらない褐色でした。これらの液体を蒸留エタノール剤、蒸留KMT剤 (distilled KMT reagentと呼ぶことにしました。蒸留エタノール剤のpHは約2.5でした。蒸留KMT剤のほうのpHは約3でした。問題が解決できそうな予感がしました。この2種類の液体に芽胞を殺す能力があるのかどうか確かめてみる必要があります。
 
 結果から言えば、2種類の液体には芽胞を殺す能力があることがわかりました。蒸留KMT剤は20℃で15分間の暴露条件で1ml中100万個以上のB. subtilis芽胞を殺すことができました。37℃では5分間の暴露条件で同じ結果が得られました。蒸留KMT剤はKMT剤と同じように気体でも芽胞を殺す効果のあることが確認されました。蒸留エタノール剤には気体での効果は認められませんでしたが、60℃で5分間の暴露条件で同じ結果が得られました。
 長年、解決できなかった金属に対する腐食性の問題についても検討してみました。クロムメッキした鉄をKMT剤のなか浸して、室温で観察しました。肉眼的に5時間後でも殆ど変化のないことが判りました。
 
 芽胞を殺すことができる消毒薬を高水準消毒薬と呼びます。高水準消毒薬である過酢酸、過酸化水素及び二酸化塩素は、程度の差はありますが全てにおいて腐食が見られました。特に過酢酸溶液で処理したものが最も腐食が進んでいました。蒸留エタノール剤のほうも全く金属腐食を起こすことの無いことが確認されました。
 
 一つの課題を乗り越えると、次にまた課題が出て来ます。これからは、これらの薬剤を芽胞汚染で困っている医療や食品製造などの分野で活用できるようにしていくのが大きな課題となりました。
 
おわりに
 これまで、私達の先人たちはたゆまぬ努力のなかから多くの科学的知見を見いだし、それらを蓄積してきました。現在、私達は知る、知らずにかかわらず、それらの恩恵を受けながら暮らしています。
 
 何か不思議なことや興味を惹かれるものに出会ったとき、ためらわず試してみよう調べてみようとするならば、きっと、そのなかからこれまで知らなかった何かに出会えることでしょう。なかには「自分だけが知らなかったこと」だと改めて気づかされることもあるでしょう。それでも、昨日の自分とは明らかに違う自分がそこにあるのです。
 
 何か不思議なこと、興味を惹かれるものに積極的にかかわっていくうちに、誰もが知らない何かに出会えることでしょう。その時、次から次と疑問が湧いてくるにちがいありません。そして、その答えを必死で追いかけようとすることでしょう。そのような気持ちが失われないかぎり、これからも、たくさんの新しい科学的知見が見いだされていくにちがいありません。その担い手になるのは、若い「理科好きの子供たち」の一人一人にほかなりません。
 
平成21年8月20日
著作者 木田 中(のり)
 
 

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