第70話
 石油を食べる細菌による汚染土壌の修復
 

 
「主な対象読者」
 自分の専門分野又は専攻などを決めるため情報を探されている若者、教育の現場で環境について教える立場にある先生、親子で環境について話し合い、親子での共通の話題として取り上げたい人などかなり幅広い集団を意識して書きました。
 
「本稿で学んで貰いたいこと」
 これからの環境回復術を知って貰いたい、残留性が高く難分解性の物質による汚染環境を回復させるにはどうするか。バイオレメディエーションでは、汚染物質の除去だけでなく、今後は本当の意味での環境回復が求められると思われます。将来的には環境中の生物を指標とした環境の診断・評価が求められる時代が到来すると考えられています。
 
本 文 目 次
 1) 石油による環境汚染の背景
 2) 石油に含まれる成分と環境中への残留性
 1) 石油タンパク質?石油を栄養として生育する細菌を食料に
 2) 土壌中からの石油分解菌の分離
 1) 石油汚染土壌の浄化方法
 2) バイオオーグメンテーションで重要なこと
 
 
著者 松宮芳樹 & 久保田謙三
 

 
 
第70話 石油を食べる細菌による汚染土壌の修復
 
1.はじめに
 皆さんは、『細菌』と聞いてどのようなことを感じますか?多くの人が、汚い、病気の原因など、悪いイメージを持っていると思います。確かに、細菌の中には病気の原因となるものも多く存在しますが、『細菌』が私たちの生活に貢献してくれている場面も多くあります。
 私は、この学問の世界では駆け出しの新人ですので、深くて広いお話は出来ません。ここでは私たちの石油分解菌の研究例に絞ってお話させていただこうと思います。
 
2.自然環境中の細菌
 皆さんも一度は土壌が肥えている、痩せていると表現を聞いたことがあると思います。私自身もそうですが、農作物がよく育つ土は肥沃な土壌グラウンドや砂漠などは痩せた土壌というイメージを持っているでしょう。
 
 しかし、土壌の肥沃さの原因は何か?と問われると、「土壌がどれだけの水分や空気(酸素)を保持できるか」、「土壌中の生き物の数や種類」、「土壌の粒子の大きさ」、「土壌に含まれる栄養成分」などなど、様々な要因があります。私は、土壌中の細菌も土壌の肥沃さに貢献していると考えています。
 第10話「バイキンの常識、人間の不常識」第54話「地面の下の微生物に挑む」にも説明があるように、土壌中には非常に多くの細菌が存在しています。果たして、土壌中には一体何個の微生物が存在しているのでしょうか?その答えとして現在わかっていることは、遺伝子の組換え、クローン技術など、科学技術の進歩が著しい現代においても、土壌中に存在する細菌の1%以下しか培養することが出来ていないということです。
 
 従来から用いられている平板培養法では土壌細菌の極々一部しか増殖させることが出来ません。そこで、私たちは土壌中の細菌の数をなるべく簡単・正確に測定する方法を開発してきました。石油分解菌からは少し話がそれますが、ここで私たちの研究を紹介します。
 
3.私たちの研究紹介(一部)
 地球上に存在する生物(一部のウイルスなどは除きます)は全てDNAを有しています。もちろん細菌もDNAを持っており、遺伝情報を伝える役割を果たしています。私たちは土壌細菌からDNAを抽出し、その量を測定することで土壌細菌の数を知ることが出来るのでは、と考えました。
 
 そこで、土壌を界面活性剤の溶液に浸して緩やかに撹拌することで、土壌細菌からDNAを抽出する方法を発見しました。また、土壌中の細菌を染色(DAPI染色法)し、顕微鏡で細菌の数を測定したところ、抽出されたDNA量と土壌細菌の数には非常に高い相関性がありました。このことから、土壌細菌からDNAを抽出することで、土壌細菌を測定することが可能となりました。
 
 本手法により、様々な土壌の細菌数を測定したところ、土壌1gの中には1,000万?100億個程度の土壌細菌が存在することがわかってきました。しかも、畑等の農地では、土壌細菌は比較的多く存在し(平均50億個/g-土壌)、石油で汚染された土壌では農地などと比べて非常に低く、1億個に満たない土壌が多く存在していました(図1)。このことから、石油による汚染は環境に悪影響を及ぼしていると言えるのではないでしょうか?
 
 
図1 様々な土壌中の細菌数
 
4.石油に関する基礎知識
1)石油による環境汚染の背景
 少し微生物の話からは遠ざかりますが、本題に入る前に石油の社会的背景について簡単に紹介させていただきます。石油は、自動車や飛行機、船舶等の燃料として、またプラスチックなどの化成品の原料として非常に重要な物質です。しかしながら、石油を輸送・運搬する際に生じるパイプからの漏洩や、石油を運搬するタンカー等の座礁等により環境汚染も深刻な問題となっています。水鳥などが漏洩した石油で真っ黒になっている写真を新聞などで見たことがあるかもしれません。
 
 それ以外にも、私たちの身の回りには、ガソリンスタンドや工場等の石油貯蔵タンクからの漏洩の事例も多く存在します。このような場所で漏洩した石油は、土の中にしみ込み、地下水に混入し、汚染が拡大していきます。
 
 皆さんも一度は灯油やガソリンなどのにおいを嗅いだことがあるかと思います。頭が痛くなるような嫌な臭いではないですか?もし毒性が無くても、地下水とともに石油が流れてきて、四六時中家の下から石油の臭いがしていたら不快ですよね。
 
 土壌の石油汚染対策として、日本では2006年に「油汚染対策ガイドライン−鉱油類を含む土壌に起因する油臭・油膜問題への土地所有者等による対応の考え方−」が中央環境審議会土壌農薬部会土壌汚染技術基準等専門委員会により発表されました。このガイドラインでは、油臭や油膜の除去が定められていますが、今後はこのガイドラインを基に、より詳細な法規制がなされていくでしょう。
 
2)石油に含まれる成分と環境中への残留性
 石油には短い炭素鎖からなる直鎖状アルカン(n-アルカン)環状アルカン(c-アルカン)、芳香族炭化水素、レジン・アスファルテンなどが含まれています(図2)。炭素鎖の短いn-
アルカンは、灯油等の主成分で、すぐに揮発します。c-アルカンは潤滑油などの主成分です。レジン・アスファルテンは高分子の物質で、道路などで用いられているアスファルトの主成分です。
 
 
図2 石油に含まれる炭化水素成分と土壌への残留性
 
 石油成分の中でも高沸点成分は揮発しないため長期間にわたり環境中に残留します。一般的に、「アスファルテン・レジン>c-アルカン>芳香族>n-アルカン」の順で環境中に残存します。このことから、石油に汚染された土壌を浄化するには、レジン・アスファルテンやc-アルカンを分解する必要があると考えられます。
 
5.石油を栄養とする細菌の分離
1)石油タンパク質?石油を栄養として生育する細菌を食糧に
 私たちが行ってきた石油分解菌に関する研究紹介の前に、石油分解菌の歴史を少しお話させていただきます。石油を分解する微生物の研究は、面白いことに、石油分解菌を食糧として利用しようという考えから始まりました。
 
 現在日本では少子化が進んでいます。しかし、地球規模で見ると、1950年以降、人口の増加は著しく、国連の予測では、2050年には100億人を超えるとされています。このような背景から、食糧問題を解決するため、様々な取り組みが行われてきました。例えば、寒冷地でも育つ植物の創世、砂漠を農地にする研究などです。そのような食糧対策の一つとして、1970年頃に石油を栄養として生育する微生物を培養し、食糧として利用する研究が行われるようになりました。
 
しかしながら、石油価格の高騰、石油に対するイメージ(発がん性等)、微生物タンパク質の安全性などの理由から、実用化されるには至りませんでした。実用化はされませんでしたが、その当の研究の基礎知識が、以降の石油分解菌を用いた環境浄化に生かされていきます。
 
2)土壌中からの石油分解菌の分離
 石油分解菌に関する研究は古くから行われており、多数の石油分解菌が分離されてきました。その多くは、石油に含まれるn-アルカンを分解することが出来ます。また、芳香属系の炭化水素を分解する微生物もこれまでに分離されています。しかしながら、c-アルカンは環境中に長期間残るにも関わらず、分解菌はあまり知られていません
 
 c-アルカンを分解する細菌が石油汚染土壌の浄化に重要であると考えられました。そこで、先ほどお話ししましたように土壌中には優れた細菌が存在していると考えられたため、様々な土壌からc-アルカンを分解する細菌を分離しようと試みました。それでは土壌中からどのようにしてc-アルカンを分解する細菌を手に入れたら良いのでしょうか?
 
 答えは簡単です。私たちもお米を食べるのは、エネルギーを得るためであり、また、生体成分で非常に多く含まれる炭素を得るためです。それと同じで、c-アルカンをエサにして育つ細菌を取ってくれば良いのです(図3)。このときに注意すべきことがいくつかあります。
 (ア)c-アルカン以外の炭素源となりえる物質を培地(エサ)に加えないこと。
 (イ)炭素源以外の栄養成分は培地にくわえてやること。
 (ウ)細菌を分離する場所を限定しないこと。
 
 (ア)は、細菌にとって炭素源となる他の物質を加えることで、c-アルカンを使わずに生育してしまうためです。
 (イ)は、生物は窒素やリン、硫黄など様々な元素から構成されているため、炭素源だけでは生育できないからです。
 (ウ)はとても非科学的ですが、私たちの経験とカンです。
 
 石油分解菌は石油が存在する環境に多く存在しているのは間違いないのです。しかしながら、汚染されていない土壌にも多様な細菌が存在しており、石油を分解するポテンシャルを秘めた細菌が存在しています。このことから、あまり場所を限定しない方が面白い細菌が取れてくると考えています(柔軟な発想)。
 
 実際に、私たちが有している石油分解菌の中で、石油分解に優れたものの一つは、関西にある某有名野球場のグラウンド土壌から分離されたものです。また、分離してきた細菌の中には、バイオサーファクタントと呼ばれる界面活性剤を生産する細菌もいました(図4)。
 
図3 油を唯一の炭素源として利用し、生育する微生物
A)培養前、B)培養後
 
 
図4 バイオサーファクタントを生産し、油をはじく細菌
 
 話は脱線しますが、新しい細菌を探索するモチベーションは、世の中の役にたったり、面白い機能を持つ細菌を発見するだけではありません。動機は不純かもしれませんが、新しい細菌を見つけると、自分の好きな名前をつけることが出来ます(学名までは自由になりませんが)。同じ種の細菌でも個々により違いがあります。
 
 私たちも人間ですが、一人ずつ個性があるのと同じです。私の先輩は取ってきた細菌にCH-1という名前を付けていました。彼は広島カープのファンということで、カープ広島の略らしいのです。好きな名前をつけると愛着が湧いてきますよね。
 
6.石油分解菌による汚染土壌の浄化
1)石油汚染土壌の浄化方法
 ここからは、第54話「地面の下の微生物に挑む」で詳しくご紹介いただいておりますので、簡単にお話させていただこうかと思います。石油汚染土壌の浄化には、大きく二つの方法があります。一つは、土壌中に含まれる石油を加熱・焼却するような物理的な方法です。もう一つは土壌中の微生物の機能により石油を分解する「バイオレメディエーション」と呼ばれる技術です。
 
 バイオレメディエーションには、土壌中の細菌に栄養物質を与えて活性化するバイオスティミュレーションと、石油分解菌を土壌に投与するバイオオーグメンテーションがあります。現在では、バイオスティミュレーションが主流ですが、私たちは石油汚染土壌の効率の良いバイオオーグメンテーションを目指して研究を行っています。
 
2)バイオオーグメンテーションで重要なこと
 バイオオーグメンテーションの効率化には、汚染を浄化中の石油分解菌の挙動を解析することが大切です。石油分解菌が土壌中からいなくなれば、石油分解は停滞します。また、特殊な石油分解菌を環境中に投与するということは、生態系に悪影響を及ぼす可能性もあります。したがって、バイオオーグメンテーションでは、汚染の浄化だけでなく、浄化が終了したのちに、投与した細菌が残存していないか、生態系は大幅に変化していないか、などの解析も必要です。
 
 石油分解菌の挙動を知るには、投入した細菌にマーキングをする必要があります。しかし、動物の生態を調べる時のように、わかりやすいタグを細菌につけることはできません。そこで、石油分解菌のみが有する遺伝子(アルカンヒドロキシラーゼ遺伝子;細菌による炭化水素の分解過程で、炭化水素をアルコールに変換する酵素をコードする遺伝子)を指標として、PCRという手法で投入細菌の挙動を解析する方法を開発してきました(PCRに関しては第68話「毎日食べて健康増進!! 健康機能性米の開発研究」のお話を参照してください)。
 
 石油汚染土壌中で、私たちの分離してきた石油分解菌は最初増加し石油を分解し、土壌中の石油濃度が減少するに伴い減少していくことがわかりました(図5)。しかし石油が残っていても石油分解菌が減少することもあります。そこで、石油分解菌を追加投与することで油分の分解を促進することができます。これにより効率の良いバイオレメディエーションが可能となります。
 
 
図5 バイオレメディエーションにおける石油分解菌の挙動
 
 また、石油の浄化に伴い石油分解菌が減少するということは、浄化が終了した後に、投入した細菌は環境中に残存しにくいということも示しています。さらに、私たちが分離してきた石油分解菌は、土壌中の細菌数にも影響を及ぼさないことがわかりつつあります。
 
7.今後の展望
 石油汚染土壌のバイオレメディエーションについてお話しさせていただきました。バイオレメディエーションは、汚染物質に対して適した細菌を用いることで、石油汚染以外でも実施されています。
 
 バイオレメディエーションでは、汚染物質の除去だけでなく、今後は本当の意味での環境回復が求められるとおもわれます。将来的には環境中の生物を指標とした環境の診断・評価が求められる中で、私たちの土壌中の総バクテリア数の評価は、環境回復の一つの指標として利用できる可能性があると考えています。
 
8.おわりに
 研究は一人では成し遂げられません。ここに紹介した研究成果は、私の所属する研究室のメンバー、たくさんの共同研究者の方々によって成し遂げられたものです。また、私たちのような若輩者にこのような発表の場を与えてくださった微生物管理機構の関係者のおかげで、皆様に読んでいただくことが出来ています。多くの人と関わり合いながら研究活動を行っていくのは非常に大切で楽しいことです。皆さんが科学に興味を持ち、研究の道に進んでくださることを願っています。
 
平成22年2月15日
 
著作者 松宮 芳樹(よしき)
久保田 謙三
立命館大学 生命科学部
生物工学科
 
 

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