第73話 
 集団生活をする細菌たち
 

 
「主な対象読者」
 将来何をしようかと考えている若い人たちを主な読者対象に、また細菌は単純な生活をしていると考えている人達をも対象に、細菌の集団でのダイナミックな生活について説明します。
 
「本稿で学んでもらいたいこと」
 細菌を通じて、私たちの身の回りは驚きに溢れているということを学んでもらえたらと思います。細菌は単細胞ですから単純な生活をしていると考えている方に単細胞だが単純でないことを知ってもらえれば嬉しく思います。また、細菌学を知るきっかけになることを願って本稿を書きました。
 
本 文 目 次
著作 豊福 雅典
 

 
 
第73話 集団生活をする細菌たち
 
はじめに
 私たちの体は、およそ60兆個の細胞からなる多細胞生物体です。この多細胞生物が出現するためには、細胞が集合し、一つの個体を作り上げるために細胞同士が情報を交換しなければなりません。
 一方で、細菌はそれぞれの細胞が独立して生活できる単細胞生物です。そのために細菌はお互いにわれ関せず生活していると長い間考えられてきました。おそらく今この記事を読んでおられる多くのみなさんもそうお思いではないでしょうか?
 しかしながら、最新の研究により、細菌は集合し、お互いに情報交換をするということが明らかとなりました。一見単調な生活を送っているように思えた細菌が、実は複雑な営みを行っていることは、今多くの研究者を魅了しています。そして、この細菌の営みは、私たちの生活とも密接に関係しています。本稿ではこのような細菌の集団生活において、あの小さな小さな細菌がどのようなダイナミックな生活を送っているのか、これまでに分かっていることを踏まえて紹介できればと思います。
 
細菌の家−バイオフィルム−
 お風呂の水を一晩貯めておくと湯浴の壁がヌルヌルしているのを感じたことはないでしょうか?あるいは、歯磨きをしないで寝て起きた次の日に歯の表面がザラザラしているのを感じたことはないでようか?まさにこれが細菌の集合体なのです。
 私たちの身の回りを眺めてみますと、このような細菌の集合体はいくらでもみつけられます。この細菌の集合体では、細菌がネバネバした物質などを生産してその中で生活しており、一般的にバイオフィルム(微生物膜)と呼ばれています。スライムの中で細菌が生活していると言った方がみなさんのイメージにしっくりとくるかも知れません。
 細菌はこのように多くの場合バイオフィルムを形成して生活していると考えられています。海洋や湖などの水中において微生物マットや細菌が凝集したフロックなどが、排水処理場においては活性汚泥 (図1A) やグラニュール(図1B)といった微生物の集合体が観察されており、これらも広い意味でのバイオフィルムの一つの形態と考えることが出来ます。
 
図1 細菌の集合体の一例。A) 活性汚泥 B)グラニュール
 
 
 では、どのようにして細菌同士がくっついているのかというと、先ほど紹介したネバネバした物質が細菌同士や細菌が接している面と細菌を繋いでいるのです。このお互いをくっつけている物質は、細胞外マトリクスと呼ばれており、水分を除くと主に多糖類、脂質、タンパク質、核酸から構成されています。納豆のネバネバも納豆菌が生産した細胞外マトリクスの一種です。多細胞生物ではこのような細胞外マトリクスが細胞同士を接着させるために必要不可欠であり、細菌の細胞外マトリクスはその原始的な形態なのかもしれません。
 
身近なものほど気付きにくい
 これほどまでにバイオフィルムが身近な存在でありながら、実はバイオフィルムが詳細に解析されるようになったのは1980年代に入ってからのことです。これまで細菌学は伝統的に細菌が好む栄養分を水に溶かして液体中で育てる(培養する)方法(液体培養)や、栄養分を寒天で固めたプレートで培養する方法(平板培養)を主にとっていました。これら2つの培養方法では、バイオフィルムを実験室で形成させることができません。そして、これらの方法で培養した細菌と、バイオフィルム状態の細菌に予想以上に大きな違いがあるとほとんどの人が認識していませんでした。
 しかしながら、研究室での実験だけでは自然界で起きていることの説明がつかないことが出てきます。そこで、細菌は実験室では見落とされてきた生活様式を自然界では送っているのではないかと考えられようになってきました。このようにして、バイオフィルムを形成させるための培養方法が開発され、バイオフィルム研究が進むとともにバイオフィルムが広く認識されるようになってきたのです。
 
一つの違いが大きな差を生む
 ここで培養について少し説明します。細菌学において、ある細菌を調べたいと思っても、一匹だけでは調べられることが限られてしまいます。そこでどのようにして目的の細菌を増やすかが重要となってきます。新しい培養方法が開発されると、それまで育てることが出来なかった細菌が実験室で研究できるようになり、すでに培養可能であった細菌もバイオフィルム研究のように、新しい培養方法では違った一面をみせるようになります。
 これまでの細菌学の歴史は培養に大きく依存していました。現在のところ、培養できる細菌は、自然界に存在する細菌のおよそ1%と考えられています。この培養可能な1%についてもまだ十分に理解されていませんが、残りの99%はさらなる未知の世界が広がっています。
 つまり、細菌学はまだまだわからないことがたくさんあり、色々な可能性を秘めていると言えます。ここでは詳しくは述べませんが、最新の技術ではこれまでのような培養をせずに、少数の細菌を調べる方法が開発されています。まさに現在は細菌学の転換期に入っているわけです。詳細な解析はまだ培養に依存しますが、今後は培養技術と少数の細菌を解析する技術の両者の発達によって、ますます細菌学が発展していくと思われます。
 バイオフィルムの培養に成功すると、これまでにわかっていなかった細菌の特徴が次々と明らかになっていきました。その一つの例は、抗生物質への耐性についてです。細菌に感染すると体内の細菌を追い出すための薬(抗生物質)を使うことがあります。その際に、どれくらいの量の抗生物質を用いれば細菌を死滅させることができるのかをあらかじめ測定しておきます。ところが、効果があるはずの量の抗生物質を患者さんに使用しても効かないということがしばしば起こっていました。なぜこのようなことが起きるのかわかっていなかったのですが、そこにはバイオフィルムが関与していることが明らかとなったのです。
 実はバイオフィルムを形成した細菌は、従来の培養方法で試験されていた時に比べて何倍、時には何百倍もの耐性を持つようになることがあると分かりました。その原因として、細胞外マトリクスの存在が抗生物質などの薬剤が細菌に届くのを妨げているとともにバイオフィルム状態の細菌の性質が変化しているためと考えられています。
 
単細胞だけど単純ではない
 ヒトのような多細胞生物は、もともとは一つの細胞でできていますが、体を形成する過程で役割の異なる様々な細胞が発達してきます。それでは、細菌の集合体のバイオフィルムではどうなのでしょうか?細菌は一部の細菌を除いて一般的に、同じ親から生まれた子供は、みんな同じ形質を持つと考えられてきました。しかしながら、バイオフィルム状態の細菌を覗いてみますと、同じ親から生まれた子供でもバイオフィルムのどこに局在するかによって、形質が異なることがわかりました。
 つまり、バイオフィルムを形成している細菌は、均一ではなく、それぞれ個性を持ち、バイオフィルム形成の過程で異なる役割を担うようになるのです。
 
細菌を光らせる
 細菌は、バイオフルムの中で一見するとどうなっているのか良くわかりません。さらにその中から細菌の個性を見分けるのは一筋縄(ひとすじなわ)ではいきません。そこで、どのようにしてバイオフィルム中の細菌を見やすくするのかについて様々な研究者が工夫を重ねてきました。
 その中の一つの方法として広く使用されているのが、細菌を光らせる方法です (図2A) 。細菌に蛍光タンパクを発現する遺伝子を持たせ、特殊な顕微鏡で観察するとバイオフィルムの中の細菌が良く観察できるようになります (図2Bと2C)。
 
 
図2 バイオフィルム中の細菌の可視化。
A)細菌に蛍光タンパクを発現する遺伝子を導入する。
蛍光を放つ細菌により形成されたバイオフィルムを横から見た図(B)上から見た図(C)。
 
 
 この技術を用いると異なる細菌をそれぞれ色分けして、それらを混合することも可能です。それにより違う性質の細菌がお互いにどのような空間的配置をとるようになるかが観察できます (図3)。さらに、バイオフィルム中で興味のある性質がどのように変化していくのか調べたい場合には、その性質に関与している遺伝子を蛍光タンパク遺伝子と融合させることによって、その性質の変化を色で追うことができるようになります。その結果、バイオフィルム中ですべての細菌が同じように振る舞えば、細菌がみな同じ色の蛍光を示しますし、異なる性質を示す細菌がいればそこだけ違う色の蛍光が観察されるようになります。
 
 
 
図3 異なる蛍光を持たせた細菌を一緒に培養したバイオフィルム
 
 
 このような技術によって、バイオフィルム中の細菌は、みな一様ではなく、その配置によって個性を発揮することが詳細に調べられるようになりました。このように、単純に思えた細菌も実際は発達した生活を送っていることがしだいに明らかになってきています。
 
実際に自分で触れてみることの大切さ
 研究をしていると、鮮明に記憶に残る瞬間がいくつか出てきます。私が研究室に配属して間もない頃、初めてバイオフィルムを顕微鏡で観察した時のことは生涯忘れられないと思っています。
 一週間程バイオフィルムを培養させて観察していると、キノコ状のコロニーが見えました。そのコロニーは、一見なんの動きもないように見えましたが、しかし良く観察していると、コロニー中心部の細菌が激しく動き回っていたのです。さらに次の日観察してみると、激しく運動していた細菌は、コロニーから飛び出してどこかに移動していました。その代わりにコロニーの中心部にはぽっかりと穴があいていました。それはまるでマグマが火山から噴火した後のようでした。
 もし、コロニーのすべての細菌が同じ形質を持つとすれば、すべての細菌が移動するはずです。しかしながら一部の細菌のみ移動し、他の細菌は対照的に水を打ったようにぴくりともしません。ここで観察した結果は、筆者にバイオフィルムを形成させている細菌の性質は均一ではないと確信させるに十分であり、衝撃的でした。
 さらに不思議に思ったのは、なぜこのようなことが起きたのかということと、何が引き金となってこのような劇的な変化が起きたのかということでした。残念ながら、なぜ一部の細菌のみが移動するのかは今もまだ詳しくわかっていませんが、移動の引き金になるのは、環境の変化や細菌の代謝物の蓄積であることが世界中の研究者によって明らかにされてきています。そのバイオフィルムの生活環の例を図にまとめておきました。
 基質に付着した細菌は増殖するとともに細胞外マトリクスを産生し、成熟していきます。その後、一部の細菌がバイオフィルムから離脱して新しい住処を求めていきます(図4)。
 
 
図4 バイオフィルムの生活環
 
 
細菌のことば
 さて、ここまでのお話で細菌が集合体を形成することをみてきました。ここで全体の行動を統制するためには、お互いに情報を交換する必要が出てきます。例えば、ヒトはお互いに声をかけて集団を統制します。実は細菌もお互いに会話をしていることが分かってきました。
 ただし、細菌はヒトのように声を出すことができませんので、その代わりに化学物質(細菌間情報伝達に関与する物質)を使って周囲の細菌に自分の存在を知らせているのです。このシグナル化合物を受け取った細菌は、周囲に仲間がいることを感知して、一匹でいた時とは異なる挙動をとるようになります。シグナル化合物を感知するための装置はレセプターと呼ばれており、シグナル化合物とは鍵と鍵穴のような相性があります。
 私たちが日本語以外の言語を聴いてもうまく聞き取れないように、相性が合わないシグナル化合物が周囲にあってもそれを細菌は感知することができません。一般に、同じ種であれば同じシグナル化合物を使って仲間同士コミュニケーションをとることができるので、周囲に仲間が増えるとシグナル化合物を感知して、一匹で存在していたときとは異なる挙動を示すようになります。
 バイオフィルムとの関係でみてみると、この細菌間コミュニケーション(細菌間情報伝達)は、バイオフィルムの形成にも関わっていることが様々な細菌でもわかってきました。コミュニケーション能力を失わせた細菌にバイオフィルムを形成させると、コミュニケーション能力を持つ細菌とは異なる形のバイオフィルムを形成します。細菌間コミュニケーションによって細菌の運動性や代謝など様々な性質が制御されており、これらがバイオフィルム形成に関与しています。
 この細菌間コミュニケーションは、バイオフィルム形成以外にも様々な性質の制御に関与しており、例えば免疫力の弱くなった人に感染する日和見(ひよりみ)感染菌として知られている緑膿菌(りょくのうきん)は、シグナル物質を少なくとも三種類は生産していることが分かっています (図5)。
 
 
 
図5 緑膿菌が生産するシグナル化合物
 
 
 何百という遺伝子がこの細菌間コミュニケーションによって制御されていることが報告されていますが、その中でもよく研究されているのがこの細菌の病原性との関連についてです。
 緑膿菌は細菌間コミュニケーションによって病原性が制御されており、周囲に仲間がいると病原性を発揮します。つまり、一匹でいる時はおとなしく過ごしていますが、仲間が増えると暴れはじめるわけです。これはなかなか賢い戦略だと思いませんか?このように細菌を研究していると、長い歴史の中でそれまでに培ったそれぞれの生存戦略が垣間見えてきます。
 私たちも負けてばかりはいられません。そこでこの生存戦略を逆手に取り、細菌間コミュニケーションを遮断して病原性の発揮を抑えようとする研究も行われています。シグナル化合物に似た化合物を用いて、その鍵穴であるレセプターをふさいでしまうのです。コミュニケーションをとれなくなった細菌は病原性を発揮できずに、その後免疫系によって排除されることが期待されます。これまでの病原菌に対する対策として抗生物質が使用されてきましたが、その問題点は抗生物質が効かなくなる耐性菌が出現するということです。これは長い間、抗生物質を使用する際の悩みの種になっていました。細菌間コミュニケーションを遮断する方法は、それを補う一つの方法になるのではないかと脚光を浴びています。
 
封筒にメッセージを入れる細菌
 細菌間コミュニケーションで使われているシグナル物質は、細菌の体外に排出されるわけですが、興味深いことに一部のシグナル物質は膜で出来た封筒(メンブランベシクル)により運ばれていることが明らかとなっています。メンブランベシクルを使う利点は、まだ完全に解明されていませんが、水に油を数的垂らすと油同士がくっつくのと同じように、主に細胞膜からなるメンブランベシクルは、細胞と融合しやすいと考えられます。
 その結果、メンブランベシクルの中身は細胞の中に放出されます。実際にこのメンブランベシクルの中にはシグナル物質の他に毒素も含まれており、仲間以外の細菌を殺菌し、宿主に感染するときに毒素を宿主細胞の中に運ぶことに関与しています。このメンブランベシクルはランダムに細胞に融合するのかあるいは、手紙の入った封筒のように宛名が書いており、その宛名を変えることができるのか、今後の解明が待たれます。
 
さらに広がるネットワーク
 細菌は私たちの想像以上に賢く、仲間同士(同じ種)でコミュニケーションをとる以外にも、異種間でコミュニケーションをとることも出来ます。さらには動物・植物に対してシグナル化合物が作用する例も知られています。したがって、ネットワークが細菌−細菌間からヒト−細菌間まで網の目のように存在しているのかもしれません。
 ヒトの体の細胞数とヒトが持っている細菌の数を比べると、実はヒトの細胞よりも細菌の方が10倍近く多いということを知っているでしょうか?腸内などには非常に多くの細菌が生息しており、それらの腸内細菌がヒトに及ぼす影響が盛んに研究されています。最近のおもしろい研究では、どのような細菌群が腸内にいるかということと肥満とに関連性があると報告されています。
 このようにヒトと細菌は密接に関係しており、その関係の詳細な解明もほんの入り口に立ったにすぎません。腸内細菌群とヒトがどのような共通言語を用いて情報のやり取りをしているのかという研究も始められており、今後ますますヒトと細菌の繋がりが明らかになってくると思われます。
 
おわりに
 細菌学の歴史の中で、現代はその転換期に来ています。急速な技術の発達とともにこれまでになかった新しい概念が次々に発見されてきています。このような新しい概念の発見は、私たちに新しい視点を与え、さら真実へと近づいていきます。技術も研究もその人が自然を見る視点が色濃く反映されます。科学の発展はこの視点の発展でもあるわけです。この新しい視点を探り、真実に近づくことこそが科学の一つのおもしろさなのではないかと思います。
 私が研究を始めるにあたり、ある先生がこのようなことをおっしゃっていたのを覚えています。『研究をするにあたって技術や経験は先輩にはかなわないかもしれないけど、アイデアなら先輩も後輩も関係ない』。科学研究は若い人たちにたくさんのチャンスを与えてくれます。もちろん楽しいことばかりではありませんが、一年のうちに一日でもおもしろい発見ができれば残りの364日は失敗の連続だったとしても、続けたいと思わせるだけの魅力を含んでいます。
 無論、研究は一人では出来ません。そこには多くの人が携わってきます。細菌が集合すると眠っていた力を発揮するように、私たち人間も集まると大きな力を発揮できるのではないでしょうか。
 私たちの身の回りにはまだまだ分かっていないことがたくさんあります。分かっていないことが明らかになると、世界が一変してみえることもあります。そんな科学にたいする知的好奇心が心の底から湧いてくることをここまで読んでくれた若い人たちに期待しながら本稿を終わりにしたいと思います。
 
平成22年6月30日
著作者 豊福雅典(とよふく まさのり)
画像提供 ;筑波大学大学院
准教授 野村暢彦(のむら のぶひこ)
 
 

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