第38話
 国連職員をめざす人のために −その5−
 

 
 
「主な対象読者」
 将来は国際的に活躍したい、または将来国連職員になりたいと考えている高校生から大学生および40才代の転職可能年齢層が主な対象です。これを読んだ親御さんは周りにいる若者に国連職員という職種があることを説明してもらいたいと願っています。
 
「本著作のめざすもの」
 国連職員になるにはどうすれば良いのか、その道を教えてもらいたいとの問合せを聞くことがあります。そこで、「国連職員をめざす人のために」という若者への指針的な散文を筆者の個人的な体験にもとづく内容を含めてまとめていただきました。
「その1」から「その5」の5編に分けて連載します。
尚、この原稿は、いずれ単行本にしたいと考えています。
 
 
本 文 目 次
第七章 採用試験
 
第八章 おわりに
 
著作 玉城 英彦
 
 

 
 
第38話 国連職員をめざす人のために −その5−
 
第七章 採用試験
38.国連職員採用競争試験:その1
 このジュニアープロフェショナルオフィサー以外にも国連職員になる方法がある。その一つは「国連職員採用競争試験」である。国連は、外務省と協力して、若手国連職員を採用するため、大学卒業以上のひとを対象としてこれを実施している。この試験に合格し正式に採用となった場合には、ニューヨーク、ジュネーブ、バンコク、ナイロビ、ウィーンなどの国連機関で正規職員として勤務できる。待遇はP1またはP2レベルである。
 
 
選考方法は、書面審査筆記による第一次試験、そして面接による第二次試験からなっている。これは国連の専門機関の専門職というよりも、国連職員をリクルートするシステムである。国連事務局に属さない、WHOなどの専門機関には、それぞれ別の採用制度がある。
 
 上述のアソシエートエクスパート/ジュニアープロフェショナルオフィサーが外務省主催であるのに対して、この場合はUNが担当者である。受験資格は【コラム4】のとおりである。
 
 合格者は、合格者名簿(ロースター)に掲載され、興味を持つ部局から声がかかるのを待つ。ポストのオファーまで一年、二年以上かかる場合もある。今では死語になっている「待ちくたびれて」、他に就職するひともいる。
 
39.国連職員採用競争試験:その2
 ロースターは合格者だけに与えられた広告塔と考えるべきだ。この広告塔を有効利用して、自分をいかにうまく売り込むかということを真剣に考えなければならない。この制度では、面接の合格が最後ではなく、実際にポストを得るまで油断してはならない。この待ち期間をいかに有効に送ることができるかということも、今後の方向を左右する。
 
 一回オファーを断ると、その後のオファーに影響がでる可能性があるので要注意だ。実際、採用提示を二度断ると、もうオファーがないと言われる。国連の中に入ってからでも、異動は可能なので、最初からえり好みしない方がよいのではないか。国連機関内での異動は逆に、昇給のチャンスと捉えるべきである。
 
 さて、この競争試験のために何をどうのようにすればよいのであろうか。高校や大学入試と違って、適切な参考書はない。留学生が米国留学中にニューヨーク国連本部で試験を受けることが多いので、かなり語学に自信を持っているひとたちが受験すると考えられる。語学が堪能であることにこしたことはないが、これがすべての条件ではない。面接では、人柄や国際性、問題解決能力など、より実践的なことが重視される。でもこの競争試験のために、わざわざ留学する必要はないと思う。
 
 修士や博士課程で専門性を高めた結果、競争試験にトライしようというのが大半であろう。だから留学が絶対条件ではない。国内でも語学の鍛錬はできる。語学の中でも、書く能力がより重要であると私は思う。話せることと書けることは同じではない。日本語で論理的に書くように訓練することが、英語で話せるようにするよりも先かもしれない。この競争試験のために準備するものがあるとすれば、自分の専門性と論理的な文章能力の向上ではないか。
 
40.コンサルタントなどへの応募
 WHOの活動はコンサルタントの献身的な仕事で持っていると言っても過言ではない。2005年9月現在の統計では、正職員4268人に対し、コンサルタントなどを含めた非正規職員は4087人、数の上でもWHOスタッフの半数を占める。
 
 実際、WHOの仕事をうまく展開させていくかは、コンサルタントをいかに上手に活用するかにかかっている。世界のネットワークの中から、有能なコンサルタントを見つけ出し、課題に沿った報告者やバックグランド資料の作成を任せる。その出来具合は、スタッフの昇進に繋がるぐらい重要な仕事になる。そこで、コンサルタントとして誰を採用するかは非常に大切なことである。
 
 コンサルタントの雇用期間は、数ヶ月から最長11ヶ月までいろいろである。再任が可能なので、コンサルタントとして10年以上勤務しているひとも少なくない。コンサルタントにもSTP(Short-Term Professional) やSTC (Short-Term Consultant)などの区別があり待遇にも大きな隔たりがあるので、契約する前に内容を十分に下調べして最適なものに応募することを勧める。採用されてから後悔するひとも少なくない。例えば、家族手当の有無は、家族持ちにとっては死活問題だ。
 
 契約を結ぶ前に、自分の状況を雇用者によく説明して、雇用条件について交渉を忍耐強く行うことを勧める。国連側は一般に、応募者の状況に合わせて、条件を変更するぐらいのゆとりを持っていると考えてよい。これも交渉技術の一つである。国連機関では、この交渉能力が高く評価される。
 
41.コンサルタントの種類
 ジュネーブは生活費が非常に高い。その中でも教育費はばかにならない。日本から行ってすぐにフランス語の現地校に通わすことは子どもにかなりの負担をかける。現地校だと教育費はほとんどただに近いが、言葉の壁は厚い。親の転職で生じた環境変化に子どもがうまく適応できるかどうかは大変重要なことだ。
 
 結局、多くの場合、英語のインターナショナルスクールに子どもを通わせる。一人年間200万円ぐらいかかる。複数の子どもをインターナショナルスクールに通わせるとすると、親の給料の半分以上が教育費に費やされる。余裕のあるひとなら別であるが、通常、相当な負担だ。ここではジュネーブを事例に取り上げたが、現実は地方事務局やカントリーオフィスでもほぼ同様ではないだろうか。
 
 外部からは同じコンサルタントに見えても、待遇には大きな違いがある。一人でジュネーブに赴任する場合には、大きな問題でないかもしれないが、家族が同伴するときにはこの違いがさらに大きな結果を招く。また、仕事柄、出張が多い場合には、STCだと出張先の給与体制に合わせるので、一般的に給与は下がる。調整費が低い途上国に長く派遣されるとジュネーブのアパート賃を指し引くと何も残らないとも限らない。前以って、契約の内容をよく吟味しておくことが肝心だ。
 
42.インターン制度
 国連機関には大学生や大学院生などを対象としたインターンシップのプログラムがある。例えば、WHOだと最低6週間、最高12週間のプログラムだ。いつでも応募できる。給与は出ないので、出国から帰国まですべて自分持ちである。【コラム5】
 
 
 その趣旨は、1)WHOでの実務を通じてインターンの教育的経験を高めること2)インターンの学生をWHOの業務に親しめさせること、そして3)WHOのプログラムに学生の支援を得ることなどである。
 
 インターン担当部所へ直接応募できる。しかし、WHOのスタッフを先輩などに紹介してもらって、そのひとを通じて間接的に応募する方が順調にいく。したがってWHOスタッフとある程度の約束、すなわちスーパーバイザーになってもらうなどを事前に取り付けてから応募するのがよい。
 
43.実を結び、花を咲かせ!
 医学部の学生や大学院生に、この制度を活用することを勧める。学生時代に国連機関の雰囲気や仕事などを体験することによって、多くの日本人が抱いている国連に対する大げさな期待や幻想だけでなく、より現実的な将来計画に繋げられるであろう。
 
 インターンはWHO本部、地方事務局、あるいはカントリーオフィスにおいてするかは、それぞれの希望によって決まる。本部では世界保健総会(世界保健総会)やEB(理事会)の活動も直に見聞できるし、全世界な規模での政策や戦略の決定プロセスを勉強することができる。一方、国際保健医療としての臨場感は少ないので、若いひとには不満かもしれない。これも考え方である。国際保健は多くの場合、政治的な活動であると言っても過言でないので、ちょっとの期間でもグローバルな政治環境に身をおくのも悪くない。
 
 地方事務局やカントリーオフィスは医療現場に近いので、それぞれの地域や国の保健問題や課題をより身近で実感できる。しかし、国との政治的な軋轢や文化の壁など、厳しい環境が待っている。でも、国連のスタッフとして地域や国で働く場合、それぞれの厳しさのなかでも、グローバルで中立な視点を忘れないで欲しい。
 
 またインターンというジュニアの身分では、正職員のお手伝い程度で内容に迫ることは難しいかもしれないが、好奇心を旺盛にして、内部に肉薄する努力を忘れてはいけない。自分がいつか正職員なったときに、この努力が実を結び、花を咲かせ、あなたは心広いひとになっているであろう。
 
 
第八章 おわりに
44.地球社会の一員
 この著作は、私自身がWHOにおいて直接間接に関与した出来事を通じて見た事、考えたこと、感じたこと、国連機関での仕事の内容や国際社会での生き方などを中心に自分なりにまとめたものである。
 
 この原稿を書こうと思った一つの理由は、日本の多くの若い人が「国連職員への道」を求めて勉強しているので、陰ながら応援したいと思ったからである。15年以上勤務したWHOについて、内側から書き留めたことがその一助になれば幸いである。国連機関の厳しい状況についても書いたが、逆にこれが発奮材料となって多くの若者が国際機関に関心を寄せるようになって欲しいと思う。
 
 本書ではさらに、自分の些細な経験ではあるが、国際社会における「生き方」についても簡単に触れた。国連関係に日本人の本は、どちらかというと、高いポストについている、あるいはついたことのある人が書いたものが多い。それはそれで参考になるが、私は、国連でこの国の枠組みから外れて、明日はクビになるかも知れない環境のなかで生きながらえてきた。
 
 私は15年間の勤務期間中、退職の勧告を二度受けた。15年で二回は多いか少ないかは状況しだいだろうから、その過多は問題でない。クビの通告の時期が一番問題なのである。次の就職先が決まっておれば、これを勲章として新しい職場でガンラルこともできるだろう。状況はいろいろで、いつそれに対処できるとは限らない。三ヶ月後には、荷物をまとめて帰国しなければならない状況には身が縮まり、髪の毛が抜けるほどストレスがたまる。帰国しても就職のあてはない。子どもは日本語がほとんど話せない状況ではその教育はどうするか。眠れない夜が続く。
 
 政府出向者以外の日本人国連職員は多かれ少なかれ、このような厳しい環境のなかで生き延びているのだ。でも、仕事を通じて、自分たちが世界の平和や健康の向上に貢献していることを実感するから、多少の過酷な環境にも耐えることができる。国連機関といえども、私たちは仕事が国際的であると同時に、地域的でなければならない。鹿鳴館的発想にならないためにも地域のこと、そこの住民のことを考えることが必要であり、ここではじめて私たちは地球社会の一員になる。
 
45.夢を持ち続けよう!
 出向者以外の日本人国連職員は多かれ少なかれ、私のように明日解雇の通知がくるかもしれないという、薄氷を踏みながら毎日勤務している人がほとんどであるが、世の中、成功物語は語られても失敗はなかなか表に出てこない。そこで、本著ではまったくヒラのWHOスタッフの視点から、これから国連職員をめざす人のために、WHOなどの国連機関への就職方法、そこでの業務活動、人間模様などについて、なるべく臨場感が伝わるように書いたつもりだ。が、私の文章能力は非常に限られているので、意気込みだけで目的が達成されていないのではないかと危惧する。
 
 エイズは、人類の存亡に関わる地球規模の問題である。日本の果たす役割は大きいと思う。この問題に真摯に取り組もうとするとする、情熱に燃えた若い人も多い。しかし残念ながら、これらの若い人たちの情熱をくみ上げる日本の現状のシステムは脆弱である。国連機関の邦人スタッフの充足率は、WHOだけ見ても30%にも達していない。他の国連機関の状況もこれに似たり寄ったりか、もっと悪い状況かもしれない。若い人たちには、国連機関就職希望者が多いのにもかかわらず、どうして、日本人スタッフが増えないのであろうか。
 
 一方で、わが国の国連スタッフに占める政府出向者の割合は、先進国のなかで高い傾向にある。絶対的な数が少ないので、出向者の割合が高いという事実はなかなか表面に出ない。実際、政府にゆとりがあれば、国益のためにもどんどん出向させた方がいいだろう。そして、同時に日本国家として、邦人スタッフを送り込む体制を総合的に確立することが求められている。ヘルス関係に、日本人をさらに100人送り込めないほど、日本は国際的な人材に困っているとは思いたくない。政府機関だけではなく、大学や企業にも窓口を広げ、優秀な人材発掘に政府も私たち自身も努めなければならない。
 
 国連機関は人材を育成するところではなく浪費するところである。この浪費に耐える過程で一人一人学習することはできる。よって、WHOのスタッフになるには、10年以上の実務経験が必要だ。一人の、あるいは組織としてのこの経験が商品として世界に配給されるのである。だから、卒業後すぐに国連に、特にWHOに入ることは不可能に近い。卒業後社会で学生時代の夢を10年以上暖め、醸成させることが重要だ。夢を持ち続けることが大切ではないだろうか。
 
56.グローバルからローカルへ
 まったく未知の世界に自分を置く、という経験をこれまで何度かしてきた。それが自分の意思であったかどうかは別として、よく持ちこたえられたものだと自分ながら感心している。これといった明確な目標というか目的があって、その立場に自分を追い込んだわけでもない。何となく夢みたいな淡い気持ちでいたものが偶然にも実現した、ということが正しいようだ。特に努力したわけではないが、水の流れのように自然であった。究極的な偶然を必然として受け入れた。
 
 あの時、君はどのような意思決定で次の行動に移ったかと聞かれると返事に困ることばかりである。確かなことは、その度に周りに心優しい親切な友人やサポーターが大勢いたことだ。彼ら、彼女らの支えがなければなしえなった。
 
 夢と現実には大きなギャップもあるが、国連そのものは一時期の一つの職場、すなわち人生の学習の場の一つとして大いに推薦できる場所である。世界中から入る情報量の多さに圧倒されながらも、国際感覚とグローバルな視点をごく自然に身につけることができるし、自分自身を、そしてわが国民、国家を相対的に位置づけ批判できる精神を養ういい環境である。
 
 グローバル化とは、往々にして強いものが弱いものを制圧するプロセスであるが、逆に弱者が世界に自己主張できるチャンスと捉えることもできる。この自己主張が偏狭的な自己利益に固執してさえいなければ、それに耳を傾ける仲間も自ずと増えてくるであろう。自分の独自の文化、価値観などをグローバルな視点で批判的にまた相対的に批判しつつ、ローカルに、そして持続的に実践・継承することが重要であり、これがまた世界的な規模に発展する可能性を育む。
 
 国連社会は一般的に概念・抽象的でわかり難いところもある。ということもあって、私たち日本人は国連を雲の上の組織と考えがちであるが、それは私たちの税金で成り立っており、自分たちの組織・仲間の一つであることを認識してほしい。これが多くの日本の若者に浸透したときに、国連の日本人職員も増えてくるであろう。
 
47.「あんぱん」的発想で
 「日本の企業や大学などは優秀な人材を外に出さない」と本気で言うわが国の国連担当行政官もいる。役所でも国内組と外国組があって、前者は優秀で出生コースを歩いている人そして後者は国内の競争に敗れた負組といって区別・差別される。後者には、国内での不都合を国連機関でクーリングオフしているひとも含まれる。
 
 一方、出向組には国内の環境にはなかなかなじめない個性豊かなひとが多い。だから、国連はこのような日本人の掃き留めであるとさえ言われている。一般の日本人に比べると個性が強すぎて国内競争に向かない人ばかりだ。また、これがいいことだ。このような個性豊かな国際人、あるいはコスモポリタンとして国連機関で活躍する若者がどんどん増えて欲しいと願っている。
 
 元気のある国際人は日本の基準に自分を合わせる必要はない。国連機関と日本の組織では評価方法もその物差しも明らかに違うので、逆に、日本では優秀でない方が前者にはより向いているのかもしれない。国連機関は、この自分の可能性を試すにはいいところだ。
 
 幸いに少しずつではあるが、光が見えてきている。それは、1)帰国子女の数が急速に増えてきていること、2)国内の雇用体系が変化して流動的になっていること、3)日本の若者の価値観が変化し国際志向型が増加していること、4)政府の窓口がより広く開放されつつあること、5)国連側が日本人特に日本人女性を求めていること、などの明るいニュースである。このニーズを吸収し受け入れるプラットホームを組織化すれば、将来日本人国連スタッフは増えるのではないだろうか。
 
 国連職員になるためには、言葉を流暢に話すことが条件ではない。知識と技術に裏打ちされたマキシマムな想像力こそより大事なのだ。自分のしっかりした価値体系を持ち、他者のなかに自分を埋没させない程度に日本的美徳を発揮させる。
 
 国連機関は、文化、宗教、言語、生活習慣などの異なる事務局員の集合体であり、一つの大枠の合意で仕事が行われている。このなかで、日本人スタッフ数は決して多くはない。現在の数倍の日本人スタッフが求められている。
 
 米語を含むブロークンイングリッシュを駆使してネイティブと競争するためには、私たち一人ひとりのしっかりした価値観と幅広い専門性に支えられた日本人らしさ、いちめん内向的な日本的美徳は、国連社会においても自己主張の強い欧米型と対等に、場合によっては有利に対峙できる。明治開国時に吹き荒れた西洋化の嵐のなかでの、かの木村屋の「あんぱん」(その反対がバナナ)的発想は現代にも大いに通じる。中身まで西洋化されないで、日本的な「あんこ」をそのまま残した木村屋の気持ちを今でも大事にしなければならない。この「あんこ」の味はまた一つとして同じではないが、少なくとも中身は「あんこ」に留めておこうとする気概が重要なのだ。
 
 グローバル化で最も大事なことは、外国語を学ぶことではなく、私たち一人ひとりがしっかりした日本語と日本人としての美徳を確立することでないだろうか。この中から国際社会で活躍する地球的視野を持った日本人が生まれてくるだろう。私たちは地球社会に貢献する責任がある。その責任を果たす若者が大勢出てくることを期待してこの著作を終わりにする。
 
 
平成19年11月30日
著作 玉城 英彦(たましろ ひでひこ)
北海道大学大学院 医学研究科
社会医学専攻 予防医学講座
国際保健医学分野
著書:玉城教授の故郷の思い出をつづったエッセー集
「恋島(フイジマ)への手紙 −古宇利島の想い出を辿って−」
発行所 新星出版
 
 
 
 

Copyright (C) 2011-2024 by Rikazukikodomonohiroba All Rights Reserved.