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99.エイズが確認された頃. 7-15-98.

その1.エイズの原因さがし。

 1980年になってカポジ肉腫という非常に珍しい病気がアメリカの若い人達に多発していることが判明しました。このことがキッカケになって、エイズという新しい病気が発見されました。このエイズという奇妙な病気の発見からエイズを引き起こす原因が判明するまでの期間に展開された科学秘話について少し説明したいと思います。どうしてエイズの発見史に属することをいまさら書くのか、その理由はもう少し読み進めてもらうと判るはずです。

 物事を科学的に考えることが好きな人は、極めて乱暴にまた極端に表現すると、物事の因果関係を実証する実証的な立場をとるグループと経験的な事柄をたいせつにする立場をとる集団に分けることができると思います。実証・物証的な因果関係を非常に大切すると、初期条件が決まればあとは自動的に決定されることが多い傾向があります。生物学の伝統的分野では、経験的または疫学的な因果関係が証明されれば物証はとりあえず無くても事象の平行関係を重要視する場合があります。

 エイズという奇病が米国で流行りだした頃のはなしです。ある地域で多数の患者が見つかり、その患者数はどんどん増加し、更に患者発生の地域も拡大されていきました。これらの現象から、この新しい病気は、遺伝的なものではなく、ヒトからヒトに移る病気であると推測されました。病気を拡大させている原因は何か、別な表現をすると、大掛かりな病原微生物のハンティングが開始されました。

 エイズ患者の増加率とB型肝炎患者の増加率が平行関係にあるから、エイズはB型肝炎ウイルスと何らかの関係がある可能性が指摘されました。また、エイズ患者が増加する数年前からEBウイルス感染者が増加しだし、その上EBウイルスに対する免疫抗体の量が一般人と比較してエイズ患者に高いので、エイズはEBウイルスの感染症である可能性があるとの報告がだされました。その後、エイズが新しいHIVウイルスによることが確認されるまでは、実にさまざまな微生物がエイズの原因体でないかと考えられる成績が発表された経緯がありました。

 これらの研究方法とそこから導き出される結論の出し方は、上に書いた「生物の分野では、経験的または疫学的な因果関係が証明されれば物証は実証されてなくても、事象の平行関係を重要視する場合があります。」の典型的な場合であります。エイズが新しいHIVウイルスによって引き起こされることが判明するまでは、統計的因果関係にあまりにも力点を置くと、その弊害として平行関係が証明されるとなんでもが原因にされてしまう可能性の問題がありました。

その2.実証主義的な立場。

 実証的な立場では、どのような行動や発言が可能性として考えられるでしょうか。例えば、ある会社の製品がエイズの拡大に関係したのではないかと疑われていると仮定しましょう。その加害者と疑われている会社の責任者の立場をシュミレーションしてみます。我が社の製品を使っている集団にエイズの患者が多いことから判断すると、この製品は「灰色」らしいと個人としてその責任者は考えると思われます。しかし、企業の責任者とては、これらの現象を簡単には認めようとせず、製品とエイズとの関係は「科学的な因果関係」は実証されていませんとなることが想定されます。この責任者の発言は、証拠がないというその限りでは正しいと思われます。しかし、原因が解らない時点では、証拠を実証することは誰にも出来ないはずです。物質的に因果関係が証明されないから「黒」とは断言できないとすると、結果は「灰色」になってしまうでしょう。その当時の実証科学では、エイズの原因については何もわからない、即ち「どうしたらいいのか、それがわからない」のが問題となります。

その3.風が吹けば桶屋が儲かる。

 若い人達には理解しがたいかも知れませんが、「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがあります。経験的・疫学的立場の集団が、桶屋の儲けの「原因」は風であると結論しても、少しも不思議でも間違いでもないのです。

 しかし、実証的立場をとる別な集団は、風が吹いて桶屋が儲かったことは事実として認められたとしても、桶屋の儲けの原因が「風」であるとの科学的実証はありません。その証拠に、ものすごい送風機を使って桶屋に風を吹き込んでみたが、その桶屋は儲かりませんでしたと結論するでしょう。

 この二つのたとえ話は、どちらが正しいのでしょうか。また、このような状況に巻き込まれたとしたら、解決法はあるのでしょうか。

その4.実証がなければシロですか?

 再度極端な例をあげます。「環境ホルモン様物質が増加している事実と子供がすぐにキレて人を殺傷する事件が増加している事実」は、共に増加しているという意味では平行しているようです。統計的な立場で極論すると、子供が事件を起こす「切れる」現象の原因は、環境ホルモンであるかもしれませんとなります。実際にある事柄が一見平行関係にあっても、ミセカケの平行関係を排除することが科学として論ずるには必要です。

 即席食品工業協会は、「カップ麺の容器は、環境ホルモンなど出しません」と大きな新聞広告の中で、「スチレンダイマーとスチレントリマーが人間に対する環境ホルモン作用の実証例はなく、日新食品中央研究所の細胞検査でそのような作用がないことが日本で初めて明らかにされました」と述べています。これは、極端な実証科学的な論法に立つ発言と思われます。

 一般的にいう「環境ホルモン様物質群」が科学として見えてこない現状で、「実証されてない」から「シロ」であるとする証拠はどこにも無いと思います。また日新食品中央研究所のホームページを探してみましたが、どこにもそれらしき記載は見つけられませんでした。とすると、「日新食品中央研究所の細胞検査でそのような作用がないことが日本で初めて明らかにされました」とする確証も無いことになります。

 環境ホルモン様物質群で困る問題の一つは、相手が目に見えないことだと思います。だから疑心暗鬼になりがちで、それを扇動するかのようなヒステリックな発言も多くなるのではないでしょうか。環境ホルモン物質群は、極めて複雑な問題です。環境もまた複雑です。しかし、複雑にしたのは環境でなく、じつは私達の考え方なのだと思います。

 一般人は、「環境ホルモン」の存在などつい最近まで知りませんでした。その呼び名の正当性には科学的には問題があるのかも知れませんが、一般語として「ホルモンと生殖」という二つの言葉の意味関係から、ニワカに広く社会的に関心を呼び起こしています。報道される情報の一部のみを取り上げると、この世はすぐにでも終わりになってしまうかの錯覚(?)をおぼえます。それで、ある企業に対して一般人が訴訟をおこしたと仮定し、一般人と会社の双方が、上に述べたような極端に異なる立場で論争すると、結論がだされるまでに何年も何十年もかかってしまうかも知れません。

 「実証的思考にも疫学的思考にも問題がありそうだ」と極端な事例を想定して、勝手な事を書きました。このようなつまらぬことが実際には起こらなければ良いがと社会の良識に期待すると同時に、多少危惧の念をもつているので、このような文を書いてみました。

 タバコの箱に「健康のために吸いすぎに注意しましょう」と書いてあるように、「健康のために摂りすぎに注意しましょう」と書いてある商品が現れないでしょうか?と、ある先生の発言をある集会で耳にしました。別な先生は、「そのような時代に直ぐになりますよ、各社が書くようになります」と言われました。その先生方の環境を考える心の優しさを感じました。

 私達にとって大切な事は、自分達が生きていくのに生活しやすい快適な環境とはどういうものを考えているのか、便利さ以外に真の必要性があるのか、更に廃棄するときに問題が起こらないのか、それらをはっきり考えることだと思います。科学の専門家からはお叱りをうける内容や表現かも知れませんが、皆さんはどのように考えられますでしょうか?

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