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255.「なにかおかしいぞ、日本」私の主張−7

辻斬りについて.

近頃は、いつでも、「人を殺した」と言う内容のニュースであふれています。子供を何人も刺し殺して、精神病の一種みたいな調子のいい事を言っているようですけれど、どう考えてもこれは「辻斬り」です。辻斬りは昔からありました(言葉として残っているくらいですから)。そして、昔から辻斬りを防ぐ/無くすために、昔の人は色々工夫していたようです。しかし、日本は、危機管理がいい加減で、何かあってもすぐ忘れる体質ですので、既に辻斬りの事を忘れてしまっているのではないかと思います。ニュースを聞いていても、辻斬りと言う言葉が出てきた験しがありません。

危機管理全般について言える事ですが、物事は自分の思った通りに動くと思い込んでいる節があります。つまり、原発事故は起こらない、とか、食品の微生物汚染事故は起こらないなどと勝手に思い込んでおり、後で事故が起こってから大騒ぎをする体たらくです。50年前の戦争でも、敵はこちらの思っている通りに動くと勝手に思い込んで作戦を立て、多くの同胞を死なせてしまいました。

勝手に起こらないと決めつけて起こらない事は対策を立てる必要がないなどと考えず、現実に都合の悪い事は起きると認識をし、予め対策を立てておくべきです。そしてもっと、古人の知恵に学び、特に、どの様にして辻斬りに対処していたかを学び、現代に役立てるべきです。

最後に、近頃は、夜中の12時を過ぎても、若者、特に、女子高生(女子中学生?)らしき人が出歩いています。自分が危ないとは思わないのでしょうか。親がどんな教育をしているかも問題です。想像するしかありませんが、比較的治安の良かった時期に育ってきた人達が親となったため、子に危険と言う事の教育していないのでないでしょうか。私達が子供の頃は、まだ、辻斬りなどが意識されており、夜に出歩くのは危険だと親から教わっていました。これなども、一つの辻斬り対策でしょう。何事にも危険が伴う事を意識し、対策を心がける事が重要であると思いますが、どうでしょうか。

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最近の事件に関連して.

最近の凶悪事件に関して、また、書きたくなってしまったので、お手紙します。本当は、もっと明るい話題にふれたいのですが、どうしても暗い方向に目が行ってしまいがちです。次の機会には、もう少し明るい話題に触れたいと思います。

最近凶悪事件が多くなりました。それも原因が、一昔前なら口論ぐらいで済んでしまいそうな事であるということが、現代日本人の病の重さを象徴しているように感じられます。例えば、東急田園都市線三軒茶屋駅付近で起きた、サラリーマンが乗り合わせた四人組に殴り殺された事件や、西武線で発生した、車中で場所を詰めてくれの一言で人が殺されたしまった事件です。いずれの事件でも、原因は驚くほどくだらないことだと、まともな人間ならば思うはずです。

両事件に共通することは、犯人がいずれも相手が死んだとわかる時点まで、知らん振りを決め込んでいたということです。(余談ですが、日本のマスコミはなぜ明らかに罪を犯したとわかりきっている人物に対してさえ、容疑者という言葉を使ってオブラートに包むようなことをするのでしょうか?韓国では、「援助交際」という名前が物事の本質を隠すとして、別な名前に変えようとしているという事実を、日本のマスコミはよく考えるべきでしょう。)これは、今年の成人式で暴れ回った連中と、行動様式がそっくりです。根底には、大事にならずに隠しとおせればかまわないという身勝手な理屈があるのでしょう。田口先生のページに紹介されている乳製品製造会社の態度も、彼らと似たりよったりなのかもしれません。

このような現状には、いくつか原因があるとは思いますが、私が最近感じている原因の一つをここではあげたいと思います。それは、いまどきの人たちは、物事の表面だけしか見ようとせず、本質を捉えようとしないということです。例えば、私が学生のころ、卒業旅行と称して卒業間近に外国旅行をすることがはやっていました。彼らの多くは外国を一人旅することにより人間的に成長できると信じているようでした。しかし、当時の私はこれに非常に懐疑的でした。つまり、「一人で短期間旅行したからといって、その国の何がわかるというのだ。そんなに一国を理解するということは簡単なことなのか?そんなに簡単に人間というものは成長できて良いのか?」という疑問を誰も打ち砕いてくれなかったということです。簡単に成長できると信じている人たちは結局表面上成長できればいいのであって、心底に人間として成長することは望んでいないのでしょう。

こういった事例は、学生などのような社会経験が少ない階層で起こっているかというと、そうでもないのです。私が現在の会社に入ったときも、表面的なことでしか人を評価しない人物ばかりでした。例えば、会社にラフな格好で来て、ぷらぷらしている人物は、本人の本当の実力とは関係なく、無能者で仕事をしない駄目人間というように見られていました。これに対し、スーツを着ていつも机に座っているのは優秀な人間で、仕事も出来ると思われていました。

このように、物事の表面しか見ないという風潮はいたる所で存在し、やたらとたくさんの友達を持つ友達づきあいや、組織の中での飲み会における付き合いなど、挙げたらきりがありません。こういった、表面のみしか見ない傾向は、当然自分自身にも向けられますから、結局、表面上ばれなければ何をしてもよいという安易な結論に基づいて、先にあげた殺人事件の例におけるような行動をとってしまうと考えられます。つまり、事が小さいうちは何とか隠蔽しようとし、事件が大きくなると表面上でもばれる心配があるので、自首をして罪を軽くしようということです。自分の内面の問題はどうでもいいのでしょう。恥のために切腹をした昔の武士の面影はどこへ行ってしまったのでしょうかと思いたくなってしまいます。

ともあれ、こういった人々が増えているのは事実であると思います。こういう人々は、ある一つの物事についてある程度時間を変えてじっくりと取り組み、何かを成し遂げたという経験や、それから来る感動などを味わったことがないのでしょう。だから、安易な方向に流れて行くのではないのでしょうか。そういった経験が、教育の現場で行われることが、これからの日本を救う道の様に思われます。

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生まれた育った環境、受けた教育も現在の職業も違い、多分年齢も違うと思われるお二人の方から期せずして本質的に同じ問題に関するメールを頂きました。意見をお寄せくださった方々にお礼を申し上げます。偶然とは言え「日本人の心の問題」についてほぼ同じ時期にメールを貰ったことは、同じように感じている人達はもっと大勢いることを示唆しているのでしょう。

リコール隠しが発覚してから営業成績が芳しくない企業がスリトラをするようです。一握りの人集団の行為が多くの社員とその家族の心に深い傷を残したようです。そのような企業には見切りをつけてサッサト離職した方が良いのか、ダメな企業だからこそ残って努力すべきか、人によって考えが違うことでしょう。

一度なくした信用や余り考えもしないで起こしてしまった犯罪は、時間を掛けただけでは元には戻らない可能性もあります。他人を思いやる心を失い、他人への配慮が出来なくなった我々日本人はこれからどうすれば善いのでしょう。

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