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335. 罹ると怖いウイルス性出血熱. 10-31-2003.
 
本来はアフリカの地方病であつた西ナイルウイルス感染症は、北米に定着してしまったようです。この病気の症状については、「328. 西ナイルウイルス感染者の症状」でも紹介しました。西ナイルウイルスが日本国内に入ってこないとの保証はないのですが、これに似たウイルスも国内への搬入が恐れているものがあります。それらは罹ると怖いウイルス性出血熱を起こすウイルスです。
 
エボラ出血熱、マールブルグ病、ラッサ熱とクリミア・コンゴ出血熱の4つの病気をウイルス性出血熱と総称します。日本ではこれまでにラッサ熱の患者が1例報告されているのみですが、ウイルスに感染しているがまだ発症してない潜伏期ないにある感染者が国内に入ってから発症する可能性は充分に考えられます。ウイルス性出血熱は、1人の患者から次から次へと感染が拡大し、しばしば大流行を起こすため、ペストと同じ程度に最も危険な感染症に指定されています。またエボラウイルスとマールブルグウイルスは、輸入されるサルを介して国内に進入する可能性が考えられますので、全輸入サルの検疫が開始されています。
 
出血熱の分布
病 名 原因ウイルス 分 布
エボラ出血熱 エボラウイルス アフリカ中央部
マールブルグ病 マールブルグウイルス アフリカ中央部
ラッサ熱 ラッサウイルス 西アフリカ一帯
クリミア・コンゴ出血熱
 
クリミア・コンゴ出血熱
ウイルス

 
アフリカ、東欧、中近東、中央アジア、インド亜大陸、中国西部
 
エボラ出血熱とマールブルグ病:
エボラ出血熱:
アフリカのスーターンとザイールで1976年に初めて流行し、600人近い患者がでました。スーダーンでの流行では53%、ザイールでは88%の感染者が死亡したとされています。1995年にふたたびザイールで流行があり、その時は300名を超える患者が発生し、81%が死亡したと報告されています。極めて致死率の高いウイルス病です。
 
マールブルグ病:
1967年にドイツのマールブルグ市とユーゴスラビアのベオグラード市で、アフリカのウガンダから輸入されたアフリカミドリザルを用いた研究所で、その実験に関係した32名が発症し、7名が死亡しました。1998年から1999年にかけてアフリカのザイール(現在はコンゴ共和国と呼ばれる)で大流行し、100名を超える患者がでています。エボラ出血熱ほどひどくはありませんが、かなり致死率のタカイウイルス感染症です。
 
原因ウイルス:
エボラウイルスの原因となるウイルスは、ザイールで大流行した地域の河川名からエボラウイルス(Ebola virus)と命名されました。マールブルグ病のウイルスは、ドイツでの最初の事故が起きた場所からマールブルグウイルスと呼ばれるようになりました。
 
エボラウイルスとマールブルグウイルスは、電子顕微鏡で観察するといずれも直径が80nmで長さ1,000nmの糸状(filamentous)に見えることからフィロウイルスと呼ばれるようになりました。フィロウイルスは、1本鎖のRNAを遺伝子とするウイルスで、ハシカウイルス(パラミクソウイルス科)や狂犬病ウイルス(ラブドウイルス科)と比較的似ている。エボラウイルスとマールブルグウイルスの自然宿主はいまだ不明で判っていません。フィロウイルスのヒトへの感染は、感染者の血液、体液、分泌物、血便、臓器や精液などとの接触によると考えられています。
 
生体での標的細胞は、主にマクロファージ(大喰細胞)、肝臓の細胞、血管内皮の細胞などです。このウイルスの感染を受けたマクロファージは、大量のTNFを産生し、これが血管の透過性を亢進させ、出血が起こると考えられています。
 
主な症状:
潜伏期は2日から20日で、突発性の発熱、筋肉痛が初期の症状として現れる。病状は進行し、下痢、激しい悪寒、呼吸困難、出血、腎臓機能の不全、ショック症状がでます。他のウイルス性の出血熱との臨床的鑑別は難しいようです。
 
ラッサ熱:
1969年にナイジェリアのラッサ村で不明熱が大流行したことから、ラッサ熱の名称で呼ばれるようになりました。サハラ砂漠の南西アフリカで毎年乾期に流行することが多く、年間の死亡者数は5,000人程度と考えられています。
 
原因ウイルスは、アレナウイルス科に属し、2分節からなる1本鎖のRNAを遺伝子とするウイルスです。ラッサウイルスの宿主は、アフリカに広く生息するネズミのマストミスで、感染しているマストミスの排泄物や唾液との接触およびラッサ熱患者の血液や体液との接触により感染が拡大します。
 
数日から16日程度の潜伏期の後、発熱、咽頭痛、悪寒に続いて、関節痛、頭痛、嘔吐、下痢などが表れ、悪化すると高熱、胸痛、筋肉痛、結膜の充血や出血が認められるようになります。重症例では、粘膜からの出血やショックが見られ、聴覚障害が後遺症として認められます。
 
クリミア・コンゴ出血熱:
1944年に旧ソ連のクリミア半島で流行した出血熱からウイルスが分離され、その後アフリカのコンゴでも同じウイルスが分離されたことより、クリミア・コンゴ出血熱と呼ばれるようになりました。クリミア・コンゴ出血熱は、アフリカ大陸、地中海周辺、東欧、中近東、中央アジア、インド亜大陸、中国西部と非常に広範囲に分布しているのが特徴です。
 
クリミア・コンゴ出血熱ウイルスは、ブニヤウイルス科に属し、3分節からなる1本鎖のRNAを遺伝子としてもつウイルスです。このウイルスの宿主は、多くの野生動物や家畜で、特にこのウイルスは、動物とダニでのサイクルとダニ間のサイクルで維持されているようです。ヒトへの感染は、ダニによる接触、感染動物の血液や体液との接触、あるいは家族内あるいは院内での感染によると考えられています。
 
2日から9日の潜伏期で、急性のインフルエンザ様症状で始まる。典型的な症例では数日から出血傾向が認められ、吐血、黄疸、肝腫大が認められ、発病2週に大量出血、ショック腎臓機能の不全により死亡することが多い。感染者の発症率は20%、致死率は15から70%です。
 
おわりに
バイオテロとの問題で、この類のウイルスはこれまで以上に危険性が重要視されるようになってきました。その結果、これらのウイルスの材料、ウイルスの遺伝子、患者の血清などの入手や使用が極めて限定された施設に限られてきました。誰でもどこでも取り扱えないことは、ある意味での安全対策に寄与します。しかし、このような状態が続くと「当該分野の研究や診断が遅れる」ことを意味するのです。プロ同士であっても隣人を信用せず疑心暗鬼になると、公式には使用制限となります。残念ながら裏の闇社会ではどのようになっているのか誰にも把握できないのです。

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