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450. 病名に名を残した野球選手ルー・ゲーリッグ. 12-19-2006.
キーワード:ルー・ゲーリッグ NYヤンキース ホームラン王 筋萎縮性側索硬化症 ALS
        ルー・ゲーリッグ病
 
西武ライオンズの松坂大輔投手が契約金60億円でボストンのレッド・ソックスと移籍の交渉にはいる旨の報道がマスコミをにぎわしています。60億円という前代未聞の金額の提示も話題をつくった要因の一つでしょう。
11月18日の土曜日には北海道日本ハム・ファイターズの優勝記念のパレードが札幌で行なわれました。この類の催しは、北海道の歴史140年で始まって以来の快挙のようです。監督や選手に混じって「新庄剛志元選手」がもの凄い人気で迎えられていた様子をテレビで見ました。
松坂大輔投手も新庄剛志元選手もともに日本プロ野球の歴史に名を残す人でありましょう。そのようなことを考えていたら、病名に名を残したプロ野球選手のいることを思い出しました。その人は、38歳という若さで亡くなった往年の名選手、ルー・ゲーリッグです。
 
ルー・ゲーリッグ選手とは
戸籍上の正式な氏名はLudwig Heinrich Gehrigで、通常はHenry Louis Gehrigであったが、略して“Lou”Gehrigと呼ばれていたようです。1903年にニューヨーク市マンハッタンでドイツ系移民の家庭に生まれました。ニューヨーク市マンハッタンにある名門私立大学であるコロンビア大学を卒業しました。1923年からニューヨーク・ヤンキースの選手として、ホームラン王のベーブ・ルースとともに活躍しました。当時としては3人目となる1試合4本塁打を1932年6月3日に記録し、1934年に打撃三冠となりました。1939年までの17年間に2130試合に連続出場しました。
1934年に全米プロ野球選抜チームの一員としてルー・ゲーリッグは来日しました。誕生して間もない日本職業野球倶楽部を全米選抜チームは9戦全勝で圧倒しました。しかし、沢村栄治投手の快速球によって全米選抜チームは、あわや完封されてしまう危機目前に全米軍を救ったのが、ルー・ゲーリッグのホームランでありました。ゲーリッグは、快速投手沢村栄治の名を伝説として残すことに貢献しました。
豪快なベーブ・ルースに対して、ルー・ゲーリッグは紳士的な態度で知られていました。しかし、現役生活の17年目に、いわゆる筋萎縮性側索硬化症に冒されてしまい、1939年5月の試合を最後に引退した。そして1939年7月、ヤンキースタジアムで引退式が行われました。引退式が行われた最初の選手となりました。やがて歩けなくなり、引退式から2年後の1941年に、筋萎縮性側索硬化症の悪化により、38歳の誕生日を目前にして多くの野球ファンに見守られながら亡くなりました。満塁本塁打23本は21世紀を迎えた今も、誰にも破られない大記録として輝いているそうです。
1939年に史上最年少で野球殿堂入りを果たしており、ヤンキースの背番号4は永久欠番となっています。メジャー史上最初の永久欠番であり、またヤンキースで彼より前に背番号4をつけていた選手はいませんでした。
 
ルー・ゲーリッグ病とは
筋萎縮性側索硬化症Amyotrophic Lateral Sclerosis (ASL)は、1874年にフランスのシャルコール医師によって最初に報告されて以来、治療法も症状の進行をおさえる対処法もありません。運動をつかさどる神経を侵し、筋肉をいしゅくさせる、原因不明の進行性神経疾患です。腕、脚、顔、舌などの筋肉、および姿勢を保つ、話す、飲み込みなどの筋肉を侵します。最終的には呼吸する筋肉が侵されます。大脳からの命令が筋肉に伝わらないため、筋肉がいしゅくし、徐々に麻痺するようです。しかし、思考能力、感覚、目の動き、心臓、便通、膀胱、性的機能はあまり影響を受けないようです。英国の宇宙物理学者で車椅子のスティーブン・ホーキンス博士や大リーガーのルー・ゲーリッグなどが罹りました。ALSは、一年に人口十万人に一人の割合でかかる病気と言われ、非常に珍しい病気です。また40歳以上で、かつ、女性より男性の方がやや多くかかるとも言われています。約半数の人が発症してから3年から5年以内に亡くなります。10パーセントの人は10年以上も生存しています。最近になって、ALSの進行を遅らせる薬が開発されています。
 
 
ルー・ゲーリッグ選手は、米大リーグのニューヨーク・ヤンキースの花形選手として、ホームラン王のベーブ・ルースとともに大活躍しました。彼が放った満塁ホームラン数は、いまもって破られない大記録だそうです。そのようなヒーローが突如として選手生命を絶たれるような筋肉が侵される病になりました。原因も治療法も判らない、珍しい病気で、病名も難しく日本語では筋萎縮性側索硬化症、英語ではAmyotrophic Lateral Sclerosis と言います。アメリカでは、いま現在も「Amyotrophic Lateral Sclerosis」と呼ぶよりは、あのルー・ゲーリッグ選手がかかった病気=「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれるようになったのだと思われます。萎縮した筋肉に代わって、ブラックホールの発見者でもある宇宙物理学者で車椅子のスティーブン・ホーキンス博士などのようにわずかに残った眼球やマブタなとの筋肉を使うIT機器が患者の意思表示を手助けしているようです。ルー・ゲーリッグ病の原因は微生物の関与が疑われてはいます。しかし、いまもって微生物が原因とは決まっている訳ではありませんが、病名に名を残した野球選手ルー・ゲーリッグを紹介しました。

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